第23話 これからの事。

「なんでダメなの?」

「え、だって、それじゃ私ばっかり得するみたいだし」


 一緒に暮らすことに同意してくれた紗奈だけど、私の家で暮らすことには同意してくれない。


「それでいいじゃない」

「光熱費や食費は出すとしても、家賃要らないなんて」

「だって賃貸じゃないもの。家賃分は貯金しなよ。光熱費だって、一人も二人もそんな変わらないんだから要らないよ」

「そんなのダメだよ」

 なかなか頑固なことは知っている。

 律儀なところも、好きな部分ではある。

 この会話も、もう何度目だろうか。


「まぁ、また考えよう。今日のところはそろそろ寝ようよ」

「はぁい」

 それでもーー言い合いになったとしてもーーこうして甘えてくれるし、最近は、お休み前日の金曜日の夜から泊まってくれるから不安なんてない。

 やっぱりレース前は、甘えてしまうからって敢えて会わないようにしていたらしい。

 思っていることを言い合えることは、私たちにとっては一歩前進なんだと思う。


「美穂さん明日の夜ね、ちょっとだけ飲みに行ってもいい? 友達が私のリタイア残念会やろうっていうから顔だけ出して、すぐ帰ってくるから」

「え、紗奈が主役ならちょっとじゃダメでしょ、いいよ楽しんでおいでよ」

「いやいや、みんなただ飲みたいだけの口実だからさぁ、せっかく美穂さんもお休みなのに離れたくないもん」

 ベッドの中でバックハグをされながら、そんな可愛いことを言うもんだから、私の身体の中心がキュンとなる。

「嬉しい……けど、ゆっくりして来ていいよ、迎えに行ってあげるから」

「いいの? 美穂さん優しい」

 そう言いながら、うなじにキスされたらもう我慢出来ないよ。振り向いて口付ける。今夜も思い切り甘え合うのだ。




 紗奈から連絡が来て迎えに行った。

「あ、美穂さん! ありがとう」

 数人のお友達に挨拶した後、こちらへとやってきた。

 頬は赤いが、しっかりとした足取りだ。

「ん、行こっか」

 さっきまで紗奈がいたグループへ会釈をしてお店を出た。


「そんなに飲んでないの?」

 濃いめのお茶を淹れながら聞いた。

「うん、前回失敗しちゃったからね」

 そういえば、記憶をなくしてたっけ。

「あぁ、そうだったね」

「その節はお世話になりました」

 そう言って、ふうふうしながらお茶を飲んでいる。

「いえいえ、楽しそうだったね」

 チラッと見ただけでも、みんな笑顔で盛り上がっていた。途中で帰るのは忍びないほどに。

「恋人が迎えに来てくれるって言ったら盛り上がっちゃってね」

 思い出しているのか、目尻が下がっている。

「え?」

「みんな誘導尋問が上手くて、ちょっとだけ惚気た。ごめん、話したらダメだった?」

「それは大丈夫だけど」

 照れながら私の事を友達に話す姿を想像して、逆に嬉しくなる。

「今度、ちゃんと紹介ーーなんなら一緒に飲めたらいいな」

「そうだね、でもみんな若いんじゃないの? 私が一緒じゃ浮いちゃわない?」

「そんなことないよ、年齢もバラバラだし。もう子育てが一段落してマラソンに嵌ったっていう四十代の人もいるし」

 パワフルでそんな歳に見えないんだけどね、と不思議顔だ。

「そうなんだねぇ」


 紗奈がお風呂に入っている間に洗い物しながら考えていた。私たちの、これからのこと。私の紗奈に対する気持ちは変わらない。けれどーー


「美穂さん?」

「ん?」

「手伝おうか」

「ううん、もう終わってた」




「美穂さん、何か変なこと考えてない?」

 ベッドに入って、紗奈のポカポカした体温を感じて気持ちが緩んだ時に聞かれたもんだから、つい油断していた。

「なんで」

 わかってしまうのか。

「私だって、美穂さんのことちゃんと見てるんだよ。それに、私が言った言葉で何か引っ掛かったんでしょ」

「だって紗奈、まだ24歳でしょ」

 高卒で社会に出たためか元々の性格か、落ち着いてみえるけれどまだまだ若い、私には眩しいほどに。

「そうだね」

 どう頑張っても美穂さんには追いつけない、と呟く。

「子育てしたいって思わない? 今は思わなくてもいずれーー」

「やっぱりそれか、そうだよね」

 そう言って紗奈は考え込んでいた。


「その事はちゃんと話さないといけないよね、美穂さんまだ起きてる?」

「うん」

 こんな気持ちのまま眠れるわけがない。

「私は、母親になるつもりはないよ。自分が母親を尊敬出来ないんだから、母親になんてなれるはずがないと思ってる」

 あ。

「紗奈、ごめん」

「別に。恨んでるわけじゃないし、捨てられたとも思ってないけど、やっぱり好きにはなれない。今どうしてるかもわからないんだから、どうでもいいんだけどね。美穂さんに嫌われたくなくて、そういう嫌な部分を今まで言えなかった。でもこれが私だから」

「そんな、嫌いになんてならないよ。ごめんね、また悲しい事思い出させちゃったね」

「大丈夫だよ、それより美穂さんはどうなの?」

「どうって?」

「失礼な言い方かもしれないけど、子供欲しいなら年齢的にもそろそろ……だよね、本当に私と一緒にいてもいいの?」

 紗奈も同じように思っていたのか。

「私は、紗奈がいれば何も要らない。紗奈と添い遂げるつもりだから、ずっと、一生、死ぬまでだよ、覚悟してよ!」

 ぷっ、ふふっ。

 何が面白いのか紗奈は吹き出した。

「なんでよ」

「だって、美穂さん子供みたいなんだもん」

「もうっ」

 二人でいれば、何でもないことでも笑いあえる。

 辛いことがあれば抱きしめあえる。

 二人でなら、どこまででも歩いていける、そんな気がする。




 翌日の日曜日は、雨だった。風も強いみたいで外の木々が激しく揺れている。

 昨夜も遅くまで抱き合っていたため、昼前くらいまでベッドの中でウダウダしていた。

「そろそろーー」

「起きなきゃ?」

「違う、そろそろ擦り合わせて決めなきゃね」

「ああ」

「紗奈がどうしてもここじゃ嫌だって言うなら、新しくどこかに借りて二人で暮らしてもいいよ」

「ここはどうするの?」

「仕事場として使うかな」

「……美穂さんの負担が増えるね」

「紗奈はこの部屋が嫌な訳じゃないんだよね? 平等にしたいんでしょ、どっちかが得したり損しないように」

「うん、そんな感じ」

「じゃあさぁ、ここで暮らして今までの家賃分を二人の老後のために貯蓄しておくってのはどう?」

「老後……」

「昨夜も言ったけど、私は紗奈と一緒にこれから先ずっと生きていきたい。たぶんきっと、私の方が先に老いて先に逝く。もし私が動けなくなったり認知症になって介護が必要になったらどうする? してくれる?」

「もちろん、するよ」

「私ばっかり得しちゃうね、その時のための貯金だよ」

「美穂さん……」

「ゆっくり考えていいよ」


 紗奈のこの顔は、もう何度も見てきた。いろんな事を真剣に考慮する時の顔。

 大切な事だから、納得するまでじっくりと考えて欲しい。

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