第22話 レース後。

「あれ、もうここ? 美穂さんごめん、ずいぶん寝ちゃった」

 大会からの帰り道、助手席の紗奈が目覚めたみたいだった。

「いいよ、お腹空いた? どこかで食べようか」

「うーん」

「何が食べたい?」

「うどんとかお蕎麦とかかな。我儘言っていいなら美穂さんの手作りがいいな」

 紗奈のこういうところ、狙ってるわけじゃないんだろうけど、なんだかもう可愛すぎる。必要とされてるのが、とっても嬉しい。

「そうだね、消化の良いものがいいね。家までもう少しかかるから、そこにあるオヤツつまんでいいよ、あと水分補給もね」

「ありがとう」


「今回は、お腹の調子良かったんだよ。美穂さんのおかげだね」

「私はアドバイスしただけで実践したのは紗奈でしょ」

「完走……したかったなぁ」

「これが最後じゃないよ」

「そうなんだけどねぇ」

 小さな溜息をこぼし、窓の外を眺めている。


「さっきの人もリタイアしたんだよね」

「うん、あの人は救急車に同乗したんだと思う」

「えっ、救急車?」

「あぁ、えっと。走ってる途中に倒れた人がいてね。ちょうど近くにいたから駆け寄ったらね、意識がないみたいで」

「えっ、大変」

「前に講習受けてたから、思い出しながら心臓マッサージとかしてたら、人が集まって来てくれて、その中にあの人もいたの」

「そうだったんだ」

「ドクターだからって名乗り出てくれて、事務局や救急への連絡してから心臓マッサージも代わってくれて、関門に間に合わないといけないからもういいよって言ってくれたの、私が最後までこの人に付き添うからって言って」

「そっか」


「でも、あのハプニングがなかったら完走出来てたかなんてわからないし、それを言い訳にはしたくないんだ」

「そう」

 紗奈ならそう言うだろうな、そういう子だ。

「悔しいな、もっと力があったらなって……」

「これが最後ってわけじゃないんだし、次はきっとゴール出来るよ。ほら女将さんも来年も来てねって言ってたしさ」

「来年……」

 長いなぁっていう、小さな呟きが聞こえた。


 家へ着いてから暖かいうどんを食べた。食欲はあるようだけど、やはり元気はないみたいだ。

「今日は泊まってくよね、お風呂の後少しだけマッサージするね」

 出来るだけのことはしてあげたい。

「美穂さん、私……」

 帰るって言わせたくなくて、キスで口を塞ぐ。

「辛い時に一緒にいさせて欲しいの、それとも一人になりたい?」

 紗奈は涙ぐんで首を横に振った。

「でもーー」

「……?」

「でも私ーー」

 その先は涙で続かなかったので、抱きしめた。紗奈がここまで感情を表すのも珍しい。落ち着くのを待ってお風呂に連れていった。

「ゆっくり入って、でも寝落ちしないでね」

 遅かったら見にこよう。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔も愛しいと思うのだけど、紗奈は恥ずかしそうにしていた。



 レース後なので軽めにマッサージをした。リタイアしたと言っても80キロ以上は走っているので筋肉の疲労も大きいだろう。明日以降はしっかりストレッチをしてあげよう。

 触れ合うことは、メンタルにも効果があるようで、さっき紗奈が言えなかったことを少しずつ話してくれた。

「私ね、完走したら美穂さんに話そうと思ってた事があって、でも力不足で出来なくて、情けなくて凹んで、それでも美穂さんは優しくて、我慢出来なくなって泣いちゃった」

 私は脚のマッサージを続けた。

「ほんとに私は弱いから、自分で決めたことなのに守れそうもない」

「ん?」

「美穂さんはさっき、また来年って言ってたけど、あと一年も我慢するなんて出来そうもないしどうすればいいんだろうって」

「んん?」

 私は脚のマッサージを終えて、背中をさすっていた。

「ねぇ美穂さん、こんな弱い私でも一緒にいてもいいの?」

「ごめん、ちょっと話が見えないんだけど」

 なんで、別れ話みたいになってるんだ?

 うつ伏せでマッサージしていたから紗奈の表情は見えなくて、そっと頭に手を当てた。

「私は何があっても紗奈と一緒にいたいよ」


 紗奈は半身を起こして、私と対峙した。瞳は潤んでいるけれど、何かを決意したような光が宿っていた。

「私、美穂さんと一緒に暮らしたい」

「うん」

「完走したら言おうと思ってた。だから、お父さんにもちゃんと話して許可貰ってきた」

 あ、年末に里帰りした時の話か。

「えっ、こっちでやりたい事があるって言ってたのは?」

「美穂さんと生きていきたい」

 そうだったの、やだ嬉しい。

「でも完走出来なかった……もちろん100キロ走れたからって、次の日から強くなるわけじゃないし別に偉いわけでもないけど、なんというか自分の中での自信みたいなのがつくんじゃないかと思ってたんだ」

「そっか、今はどう? 自分に自信ない?」

「まだまだかな」

「そういう謙虚さは紗奈らしいね」

 顔を伏せた紗奈の頬に触れる。

 私の話を聞いて欲しくて、視線を合わせる。

「私はね、紗奈の努力を知ってる。どれだけの想いで、どれだけの時間を費やしてあのスタートラインに立ったか、この私と会う時間さえ削ってトレーニングしてたんだよ? 結果がどうであれ、貴女がどう思おうと、それは貴女の強さだよ。それと、あのドクターが言ってた。貴女の勇気が一人の命を救ったんだよって、紗奈に伝えて欲しいって」

「助かったんだね、良かった」

「うん、私はそんな紗奈を誇りに思ってるよ、自慢の彼女だよ。だから私からお願いしたいの、私と一緒に暮らして欲しい」

「美穂さん……」

「私のお願い、断らないわよね?」

「……はい」

 返事と共に涙がこぼれた。

 あぁ、また泣かせちゃった、明日は目が腫れちゃうかもなぁ。後で冷やしてあげよう。

 紗奈を見てるとどうしても構ってしまいたくなる、愛しい人。

 涙を拭って抱きしめる。

「私は絶対にいなくならないからね、ずっとそばにいるよ」

 死が二人を分つまでずっと。


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