第19話 目標

「あぁ、もう、なんでこの日なんだろう」

 フリーランスなので、仕事の打ち合わせが世間の休日になる事も、ままあることだけど。

「よりによって……」

 愚痴りながら準備をし、今回のクライアントのいる東京へ向かった。

 すっかり春めいて、ポカポカ日和。

 明日は、紗奈が参戦するフルマラソンの日。それも地元で開催されるので楽しみにしていたのに、仕事と丸被りとは……


 私の落胆とは対照的に、紗奈はケロっとしていて「大丈夫だよ、近いから寝坊もしないだろうし、あ、寝坊したら間に合わないか。まぁなんとかなるよ」

 近いから一人でも大丈夫ということらしい。

 なんだか、私がいない方が気楽なの? と問いたい気分だ。私がお節介過ぎるのかもしれないが。


「どう、体調は?」

「うん、いいよ」

「何食べた? 炭水化物多めでね」

「はぁい、分かってるよ。美穂さんもお仕事しっかりね」

「あぁ、うん」

「今日は早めに寝るから」

「分かった、切るね」

「美穂さん、ありがとうございます」

「……え」

「好きですよ」

「あ、私もっ……好き」

「へへっ、照れるなぁ。じゃ、おやすみなさい」

「ん、おやすみ」


 夜の電話では、ちょっとあしらわれた気がするけど、まぁいいか。たぶん、今はマラソンの事に集中したいんだろう。私には応援することしか出来ないし。



 滞りなく仕事を終えて帰宅したのは、翌日の夕方だった。家に着くとほぼ同時刻に紗奈からメッセージが届いた。

 すぐに話したくなって電話をかける。

「どうだった?」

「やったよ! サブフォー」

「ほんとに! 頑張ったね、おめでとう」

 フルマラソンを4時間以内でゴールすること、それを目標に頑張ってたもんね。嬉しさが声にも現れていた。

「美穂さんも出張お疲れ様でした、今どこ?」

「ちょうど家に着いたところ」

「ああ……私、これから仲間と打ち上げあって」

「いいよ、楽しんでおいで。ただし、無理しないように、今日は早めに休みなよ」

「うん、わかってる。美穂さん、明日はお仕事?」

「明日はないよ、家にいる」

「ん、また連絡しまーす」


 仕方ないよね、少しでも早く会いたかったけど、一緒に走った仲間や友達の方が盛り上がるだろうし、地元開催だからたくさんいるみたいだし。

 はぁぁ、でも寂しいな。

 疎外感とでもいうのか、せめて沿道で応援出来ていたら少しは違ったのかな。

 今日仕事じゃなかったら、この目で紗奈の勇姿が見れたし写真にも残せたのにな。




 食事も入浴も済ませ、少しだけ仕事ーー今回のまとめをしてーーそろそろ寝ようかとベッドに入り、スマホでネットニュースを読んでいた。

 玄関の外で何やら音がしたと思ったらインターフォンが鳴った。驚いて行ってみると紗奈がいた。

「あっ、美穂さん」

 入ってくるなり、足がもつれたように寄りかかってきたので転ばないように抱き止めた。

「私、やったよ! サブフォー」

「ん、良かったね」

「美穂さんに早く伝えたくて、来ちゃった」

 体は冷えているのに赤い顔をして、酔っているのは明白だ。

「だいぶ飲んだの? 連絡してくれたら迎えに行ったのに」

 足のもつれ具合といい、相当飲んだんじゃないだろうか、よくここまで来られたものだ。

「そんなことないよ、さっきまでちゃんと歩けてたもん。美穂さんの顔見たら力抜けちゃった」

「とにかく、上がって」

 まだうまく力が入らないようなので、引きずるようにリビングまで連れて行った。ソファに座らせてもまだフニャフニャで「美穂さんだぁ」なんて言って、まわした腕を外してくれない状況で。これはもう寝かせてしまった方が良いなと判断した。

「紗奈、もう休んだ方が良さそうだからベッド行くよ、ほら歩くよ」

「はぁい」

「返事だけはいいんだから」

 へへ、やっぱり美穂さんだぁと同じことを呟く紗奈を寝室へ運んだ。ベッドの奥へ押し込んで、私ももう寝る準備は出来ていたから潜り込んだ。

 こんなに酔った紗奈は初めて見た。余程楽しかったんだろうなと、また嫉妬心が膨れ上がる。それでも私のところに来てくれたことに安心もした。

「美穂さーん」

 いつもと喋り方も違うので、きっと明日には覚えてないんだろうなと思いながら「なぁに」と返事をする。

「ありがとう、美穂さんのおかげでサブフォー達成出来た」

「私は何も……」

「美穂さんがいたから……私は」

 目はほとんど閉じていて、もうすぐ寝そうだ。

「紗奈が頑張ったからだよ、でもそう思ってくれるのは、とっても嬉しいよ」

 紗奈に届いたかどうかはわからないけれど、そう言って寝顔にキスをした。

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