第18話 愛されるということ

「ねぇ紗奈、これ何?」

 着替えの途中で美穂さんの声で動きを止める。

「へ?」

 美穂さんの視線は私の鎖骨辺り。

 これって言われても、自分では見えない。

「赤くなってるんだけど?」

「ん?」

 鏡に映してみる。

「ほんとだ、なんだこれ」

 触っても、痛くも痒くもない。

 鏡越しに映る下着姿の私。

 鎖骨下の赤み、まるで--

「キスマークみたい」

 私が思った言葉を美穂さんが声にした。

「えっ、違うよ、そんなわけない」

 あり得ない、なんだこれ、どこで付いた?

 正解を導き出さなきゃ、誤解を解けないんじゃないかと焦る。

 えっと、最近私何してたっけ?


「あぁそうだ、リュックの肩紐が擦れたんだと思う」

「リュック?」

「長い距離を走る時って、荷物背負って走るんだよ。だから--」

「ふぅん」

 え、信じてない? 本当の事なのに。

「美穂さん?」

「わかったから、もう何か着てよ」

 そそくさとパジャマ代わりのスウェットに着替えながら、どうしたら美穂さんの機嫌が治るのかと考えていた。


「洗い物は私がするから、美穂さんは休んでて」

 今日は久しぶりに美穂さんの家に泊まりだから、早く笑顔に戻って欲しいのだけど、なかなか難しい。


「美穂さん、やっぱり明日どこかへ出掛けようか?」

「明日は30キロ走やるんじゃないの?」

 フルマラソンの3週間前という事で、走り込む予定で、美穂さんにも伝えていたけれど。

「別にそれは何とでもなるから」

「やましい事があるから?」

「違うよ、そうじゃない」

「だったら、予定変更しなくてもいいでしょ」


 最近気付いたんだ、美穂さんは私よりも頑固かもしれない。





 結局、美穂さんの笑顔は見られないままベッドへ入った。

 私は後から入って、バックハグをした。嫌がられるかと思ったが、抵抗はなくそのまま抱きしめられていた。

「まだ疑ってるの?」と聞くと。

 首をふるふると横に振った。

「嘘じゃないのは分かってる」

 ただ、悔しいの。と言う。

「悔しい?」

「私だって、キスマーク付けたことないのに」

 え、そこ? いやだからキスマークじゃないってば。

 静かに突っ込めば、体の向きを変え見つめてくる。

「付けていい?」

「いくらでもどうぞ」


 私は上半身裸にされ、美穂さんは、件の赤みの隣に吸い付いた。

 数秒後、その跡を見つめている。

「付いた?」

「んん、同じみたい」

 並べて付けたのは、比べるためだったのか。

「キスマークも内出血だからね」

「なんだか許せないな、そのリュック。私の紗奈を傷つけて。擦れるのは体に合ってないからだよね、今度ちゃんと合うやつ買いに行こう」

 そうしよっ、と一人で納得している。

 美穂さん、そんなこと考えていたの?

「それとね、明日私も一緒に走るから、自転車で」

 いいよね? と問われるが。

「は……う、うん」

 答えのような吐息が漏れたのは、美穂さんの手が私の胸を揉み続けているからで。今は何を聞かれても頷いてしまう状況なのに。

「じゃ、早く寝なきゃ」

 サッと手を離してしまうあたり、やっぱり何だか今日は意地悪だ。


 悶々としたまま、それでも誤解は解けたみたいだし、明日は一緒に走ってくれるって言うからそれを楽しみにして、眠りについた。




 翌朝は空気が冷えていたが晴れていた。

「よし」

「ペースは5分半でいいの?」

「はい、お願いします」

 フルマラソンを4時間で走るとすると、1キロをおよそ5分30秒で走ることになる。今日は、そのペースで30キロを走れれば合格だ。欲を言えば余裕を持って走り切りたい。

 美穂さんはスマホで設定し、そのスマホを自転車に取り付けた。

 いつもの川沿いのコースを3往復。

「では、行きましょう」



「はぁぁぁ、つっかれたぁぁ」

 シャワーを浴び、全身の力を抜いてベッドへダイブしたまま、どれだけ経っただろう。

 美穂さんはお昼ご飯を作ってくれているのだろう、さっきから良い匂いが漂っている。

 美穂さんが自転車で隣を走ってくれたから、ペースを気にすることなく走る事が出来たし、かっこ悪いところを見られたくなかったからいいペースで走れたと思う。ただ、正直余裕はなかった。大会当日は、この後まだ12キロも残っているのだから……走れる気がしない。

 終わった後の疲労感も半端ない。


「ご飯出来たけど……大丈夫?」

 美穂さんの心配そうな声が聞こえた。うつ伏せている私の顔を覗き込んで、食べられそう? と聞く。

「ん……食べたい、けど」

 体、動くかな。

「紗奈、頑張ったね、後でマッサージしてあげるから」と、そっとキスをくれる。

「んん」

 離れ難くて、腕を伸ばせば抱き起こしてくれて。

「続きも後で」と囁かれたことで、起き上がる事が出来た。我ながら単純だと思う。



「今日は帰っちゃうんだよね?」

「うん、明日は仕事だしね」

「そう、だよね--そっか。はい、終わり」

 マッサージが終わり、お礼を言いながら体を起こす。

「ごめんね美穂さん、4月の大会が終わったらずっと一緒にいられるようにするから」

「私のほうこそ、昨日嫌な態度取っちゃってごめん、紗奈の夢、応援してるから」

 私は美穂さんの手を取って引き寄せた。

「続き--しよっ」

「身体、大丈夫なの?」

「うん」

 美穂さんに触れられるなら、痛みなんて--

「--っ、痛」

「ほら、力が入ってると痛いから、抜いてごらん」

「--ん」

 私は美穂さんに身を委ねた。


「--あっ、美穂さん……なんか、身体が熱い」

「ん、代謝が良くなってるかもね」

「いつもより--」

「感じる?」

「--う、はい」

「可愛い」

「ね、美穂さん」

「なに?」

「跡、付けていいよ」

「……ん、やめとくよ、紗奈に傷は付けたくないもん」


 少し前から気付き始めていた、こんな私でも愛されているってこと。


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