第16話 これからも、ずっと。

「なんだぁ、美穂は一人で年越しか? だったらこっちに来れば良かったのに」

 親とのビデオ通話で新年の挨拶をした後、痛いところを突かれた。

 こんなことなら遊びに行けば良かったと一瞬思ったことは内緒だ。

「そんなに長いお休み取れないわよ、顧客第一なんだし」

「そうねぇ、お仕事は大事よね」

 ハワイで悠々自適に暮らしている人に言われたくないけどなぁ。


「恋人とは? 一緒じゃないの?」

「なんだ、喧嘩でもしたか?」

 画面の向こうでは、両親が飲みながらくつろいでいる。娘の恋バナを肴にしたいらしい。

「うまくいってるよ、年末年始は実家へ里帰りなのよ」

「あらそう、美穂もいい歳なんだから、そろそろ身を固めたら良いのにね」

「余計なお世話ですぅ」

 早々に通話を切った。

 別に悪気があるわけではないのは分かっている。

 ただ……寂しいな。

 紗奈が近くにいないだけで、いつもより寒く感じる。

 私も何か飲もう。


 次の日、普段よりも早く起きてしまい、カーテンを開けた。

 まだ早い時間なのに、新年早々ランニングしている人がちらほら……じゃなく、まぁまあいるね。

 お正月はテレビで駅伝もやるから、影響されるのかな。そういえば......


「うっわ、冷える」

 風はそれほど強くないけれど、もうお昼過ぎなのに空気が冷たい。

 去年、紗奈とジョギングしながら初詣に行ったことを思い出し、ランニングシューズを履いて出てきたものの、やっぱり帰ろうかな。いやいや、紗奈が帰ってきたら「一人で走ったんだよ」って自慢してやるんだ。


 紗奈は二週間程前にハーフマラソンを走り、自己ベストを出した。

 その夜、今後の計画を聞かされた。

 三月にフルマラソンを走って、四月の下旬に本番のウルトラマラソンを走るのだと。真剣な表情で語っていた通り、それ以来しっかりとトレーニングに励んでおりーー必然的に紗奈と過ごす時間は少なくなりーーそれでも私は、そんな紗奈を応援した。夢に向かって努力する姿はキラキラしていたから。私の寂しさは我慢すればいい……と思っていた。



  クリスマスイブは、恋人らしく甘い夜を過ごした。久しぶりにうちに泊まってくれたし、年末年始のお休みも一緒に過ごせると勝手に思っていたのだ。

 だけど紗奈は改まって言った。

「美穂さん、父と話したい事があるのでお正月は帰省します」

 そういうところも真面目だなぁと思う。

「そっか、そうだよね。うん、楽しんでおいで」

 私も寂しいけれど、お父さんだって、たまには会いたいだろうし。

 私の笑顔は、引き攣っていなかっただろうか。

 あぁ、でも会いたいなぁ。今ごろ何してるんだろうなぁ。紗奈......


 そんなことを考えながら走っていたら、スピードが上がっていたようで息切れがした。

 はぁ……はぁ、苦しっ……

 止まって呼吸を整えていたら、後ろから声がかかった。

「速いですねぇ」

 振り向くと年配の男性がニコニコしながらジョギングをしている。

「いえ、すぐにバテちゃいました」

「綺麗なフォームだったから見惚れちゃいましたよ」

「とんでもないです、昔短距離をやってたんですけど、長い距離は苦手で」

「ゆっくり走ればいいんですよ、ほら、景色を眺めながらとか、お喋りしながらとか」

 あぁ、そうだった。去年、紗奈と一緒に走った時は楽しく走れたなぁ。

「ありがとうございます、やってみます」

 よく見れば、ジョギングをしている人たちの年齢層は高い。

 ーーゆっくり長くーー

 それが秘訣なんだろう。


 帰りは、ゆっくりと走ってみた。

 川の中を覗けば、落ち葉がゆらゆらと流れている。買い物帰りだろうか、カートを引きながら高齢の人が歩いていたり。自転車に乗った若者は、びゅーっと過ぎ去った。

 マンションの近くまで来たら、前方に見慣れた背中を発見した。

「あれ?」

 振り向いた彼女も驚いていた。

「あ、美穂さん、走ってたの?」

 あれだけ会いたかった紗奈が目の前に現れて、それでも驚きの方が強くて。

「もう帰ってきたの?」なんて言ってしまう。

「ほんとは明日の予定だったんだけどねーー」

「なんだぁ、私に会いたかったんだぁ」

 揶揄うつもりで言ったなら、顔をしかめたもんだから。

「嘘、図星?」

 私の呟きは聞こえなかったのか、紗奈は黙ったままさっさとエレベーターへと向かっていた。




 ジョギングで汗をかいていたので、先にシャワーを浴びた。

「紗奈も使っていいよ」

 髪を拭きながら勧めるが。

「私はいいや、うちで入るから」

「帰っちゃうの?」

「お土産持ってきただけだし」

「え、帰っちゃうの? ほんとに? ご飯は食べていってよ、午前中に仕込んだカレーあるから」

 二回も聞いてしまった。なんとか引き留めようとしてご飯で釣る。

 最近の紗奈はずっとそうだ。

 嫌われてるわけではないだろうけど、なんだか一線を引かれているような距離感に少しだけ不安になる。


「んん、美穂さんのカレー、やっぱり最高」

 紗奈の、その笑顔の方が最高だ。

「良かった! 実家の方はどうだった?」

「うん、まぁ。有意義だったかな」

 有意義とはーー

「微妙な言い回しだね、でも良かったんだね。行く前は浮かない顔してたから心配してたんだよ」

「え? やっぱり顔に出ちゃうの?」

「紗奈は素直だからねぇ」

 紗奈は、美穂さんには敵わないなぁと言いながら話してくれた。

「私ね、父が田舎で一人で暮らしてるから、将来は私も帰ろうかなって思ってたの。だけどこっちでやりたい事出来ちゃって、その事を話したら喜んでくれて。お前がやりたい事や好きな事をやればいいって、前からそう思ってたんだって、言われて」

「そっか、愛されてるんだね」

 私だってそうだよ、紗奈がやりたい事を応援したい気持ちでいっぱいだもん。

 そのためなら会う時間が減っても我慢しよう、うん、そうしよう。不安な気持ちは愛情でカバーだ。




 一緒に食事の片付けをしていると、パソコンから音がした。

 親からのビデオ通話の呼び出しだ。

「どうしたの?」

「美穂が寂しがってるだろうと思って」

 また、この人達はお酒を飲んでほろ酔いだ。

「寂しくなんかないから」


「美穂さん?」

 片付けを終わらせてくれた紗奈が声をかけてきた。

「あ、うちの両親」


「なんだ、誰かいるのか」

「恋人さん? 帰ってきたの?」

 ごちゃごちゃ言う親は無視しておこう。


「すぐ切るから待ってて」

「美穂さん、私、挨拶しても?」

「え?」

「新年だし、そのーーご挨拶を」

「いいの?」

「お願いします」


 紗奈と一緒に画面の前に立つ。


「あら、可愛らしい」

「おぉ、本当だ。美穂の話、嘘じゃなかったな」

 こっちが何か言う前に盛り上がっていた。

「初めまして、美穂さんとお付き合いさせて頂いてますーー」

 ガチガチに緊張した紗奈が話す途中でも、キャアキャアとうるさい。

 終いには「いつ結婚するんだ?」とか「日本で出来なければ、こっちに来ればいい」など言い出すから「はいはい、もう切るね、バイバイ」強制終了。


「ごめん、あんな親で」

 紗奈は呆然としていた。

「紗奈?」

 涙ぐんでる?

「大丈夫?」

「あ、はい。嬉しすぎて」

「ん?」

「歓迎されるって思ってなかったから」

「え?」

 それなのに挨拶するって言ってくれたの?

 気が抜けてソファに座り込んだ紗奈の隣に寄り添った。


 不安なんて感じる必要なかったんだね。こんなに想ってくれていた。

「美穂さん」

「ん?」

「あけましておめでとうございます」

 そういえば、まだ言ってなかったっけ。

「おめでとう」

「今年もよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

 これからも、ずっとね。

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