第8話 一番欲しいもの


 道案内してもらって、近くの駐車場へ停める。

 2階建のアパートの2階の角の部屋。そこが紗奈の住む家だった。

「古いし狭い部屋ですけど、どうぞ」

「いいの?」

 私としては、無事に紗奈を送り届けられれば良かったのだけど、部屋に入れてくれるという。

「いいよ、誰もいないから」

「お邪魔します」


「コーヒーでいい? インスタントだけど」

「あ、うん、ありがとう」

 入ってみると、外観よりも広い感じがする。間取りは2DKくらいかな。物が少ない気がした。まるで・・・


「全然広いんじゃない?」

「美穂さんの家に比べたら狭いですよ」

「あれは親の持ち物だからね」

 以前は親子で住んでいたのだが、自由すぎる両親は子供に承諾も得ず勝手にハワイに移住してしまった。

「本当に、そんな人がいるんですねぇ」

 両親の話を聞いた紗奈は、羨ましがる、というよりは驚きすぎて目を丸くしていた。

「うちは、父が一人で田舎で暮らしてるけど」

「田舎はどこ?」

「東北です」

「へぇ、そう言われてみれば、紗奈は色が白いもんね。でも、方言出ないよね?」

「必死で直したもん。あっちは訛りがキツすぎて、普通に喋ったら、何言ってるかわかんないよ」

「えぇ〜聞いてみたいな、ちょっと言ってみてよ」

「やだよー」

「ちょっとだけ」

「絶対やだー」

 あ、良かった。やっと笑ってくれた。



「ねぇ、紗奈はミニマリストなの?」

「ん?」

「物が少ない気がするから」

「そうですか? あんまり考えたことないけど……変?」

「ううん、スッキリしてていいと思う」

 私の家がごちゃごちゃし過ぎなんだなぁ、と感想を漏らしたらクスリと笑われた。


 紗奈も疲れてるだろうから、このコーヒーを飲み終わったら帰らなきゃなって思いつつ、もう少し一緒にいたいなと思って、ゆっくり飲んだりしていたら、紗奈が静かに話し出した。


「私、何かを欲しいって思うことが少なくて。子供の頃も、何かをねだったりすることもなくて、父親には子供らしくないなんてよく言われてたんだけど……でもそれは、欲しくないわけじゃなくて。一度手に入れたものを失うのが怖いからなのかなって。臆病なんですよね、きっと」

「1番欲しいものが、1番失くしたくないもの」

 私の呟いた言葉に頷いて、そうそれですね。と言った。

 紗奈が子供の頃に1番欲しかったものはお母さんの愛情だったのかもしれないな。


「ねぇ紗奈、明日はお休み取ってるんだよね、今日泊まったらダメかな?」

「えっ」

「ダメだったら、もう少しだけ一緒にいていい?」

 やましいことは考えていない。ただ、今すぐ帰りたくないと思ってしまったから。

「美穂さん、お仕事は?」

「明日は午後からで大丈夫なの」

 その答えを聞いて、ホッとした顔をした。

「だったら、いいですよ」

「ほんとに?」

「なんで、そこで遠慮するかなぁ」

 と、不思議そうに言う。



 そうと決まれば、順番にお風呂に入り寝る準備をする。

 少しでも疲れが取れるように、入浴剤も入れた。

 部屋着なんかは貸してもらった。

「紗奈はずっと一人で暮らしてるの?」

「……え? なんで」

 なんとなく最初に感じた違和感を確かめたくて。

「ごめん、言いたくなかったら答えなくていいから」

「同居……してました、好きだった人と」

「そっか」

 広めの部屋、少ない荷物、物を増やさない理由、そっか。

「美穂さん?」

「ん? 大丈夫だよ、ちょっと眠いだけ」

 ほら欠伸すると涙出るでしょ?

「そういえば、美穂さんほとんど寝てないもんね、ありがとね」

 紗奈の手が髪に触れただけで、落ちてしまいそうだ。まぶたが重い。

「美穂さんは何処へも行かないで」

 寝落ちする前に、そんな言葉が聞こえたような気がした。



 翌朝、目覚めたら隣に紗奈がいてホッとして、また寝た。

 再び起きたら紗奈はいなくて、キッチンの方から音が聞こえていた。


「めちゃくちゃ良く寝れたよー」

 と、声をかけたら

「それは良かったです」

 と、振り向いた。

「何作ってるの?」

「ホットサンドを」

 覗き込んだら、下拵えが済んでいた。

「あと焼くだけなんで、顔洗ってきて」

「はぁい」

「あ、ちょっと待って」

 呼び止められて、不意打ちのキスがきた。「おはようございます」と。

「おはよ」

 照れながら、洗面所へ向かった。


「本格的だね、いつも作るの?」

「いつもは作らないよ、美穂さんいるから」

 ホットサンドメーカーは、山好きな友達に勧められたという、簡単だからと。

 確かに、顔を洗っている間に焼き上がっていた。

「え、これを山の上で作るの?」

「そうみたい」

 想像してみたら、「素敵だね」と素直に思った。


「美穂さん、もう少し待っててもらえますか? 自信がつくまで」

「ん? 何が?」

 自信ってなんだ?

「一緒に暮らすっていう話」

「あぁ……」

 そうか、ずっと考えてたんだ。

 あの時返事がなかったのは、拒絶じゃなくて、紗奈なりに考えてくれていたんだろう。

「うん、大丈夫。二人でゆっくり考えていこう」

「はい。それから......」

「うん」

 少し言い淀んでいたので、微笑んで、紗奈が話し出すのを待った。


 それから少しずつ話してくれた。

 一緒に暮らしていた人のことを。


 幼馴染だったこと、ずっと好きだったこと、それでも気持ちは伝えられずにその人は恋人が出来たこと、その時後悔したこと。

 その後その恋人と破局したのを知って、思い切って告白をしたこと。

「それで一緒に暮らしてたんだけど、やっぱり出て行っちゃった。結局ずっと片想いだったってことだよね」


 なにそれ、許せない。


「なんで美穂さんが泣くの?」


 紗奈の気持ちを踏みにじって。

 紗奈に、こんな顔をさせるなんて。


 いつのまにか隣に来ていた紗奈に抱きしめられていた。


「紗奈、私は何処にも行かないから」

「うん。美穂さん、ありがとう」

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