第6話 お節介

「ねぇ、紗奈。ちょっと調べたんだけど、富士山マラソンってキツイ坂道があるよ」

「うん、知ってる」

「今回は、記録は狙わないの?」

「無理には狙わない、かな」

「そうなんだ」

「実は長い距離も走ってみたくてね、ここ、春に開催されるウルトラマラソンのコースの一部なんだって」

「えっ、ウルトラって100キロってこと?」

「うん、まぁ」

 あまりのことに二の句が継げないでいると、紗奈の表情が緩んだ。

「美穂さんの驚いた顔、久しぶりに見た」と言う。

「なんで嬉しそうなの?」少し拗ねてみせると。

「だって美穂さんは、いつも余裕な顔してるから」

「そんなことないよ、いつもいっぱいいっぱいなんだよ、あの時だって…」


 私が勢いで告白してしまったあの日からの数週間のことだ。



ーーー


 いつからだろう。

 この部屋の窓から外を眺めるのが楽しみになっていたのは。

 それなのに今はこんな気持ちで眺めている。

 やっぱり遠くから眺めていただけの時の方が良かったのだろうか。

 おかしいな、後悔しないって思っていたのにな。


 あの日--私が告白したあの時--から二週間が過ぎても、紗奈ちゃんは一向に現れない。

 連絡もない--いや、違う--連絡先を知らないのだ。

 いつもここに来てくれていたから。

 一緒に出掛けた時も、待ち合わせはここだった。

 偶然会ったのも、この下の土手の道だった。

 私は、紗奈ちゃんの住む家も職場も電話番号さえ知らない。

「はぁぁ」

 今日も見かけなかったな。

 いろんな人が行き交う川沿いの道。

 私と彼女を繋ぐ唯一の場所。

 暗くなって、カーテンを閉めた。


 紗奈ちゃんは、考えさせて欲しいと言っていた。あの子のことだからどちらにせよ返事をしてくれると思っていた。

 あの時、その場で断られなかったこと、嫌悪感を示さなかったことで脈があるとさえ思っていたのだ。

 もしも同性同士がダメなら、考えることもなく断るはずだから。

 でも、本当にそうなの?

 優しい子だから、私を傷つけないためにあんなふうに言ったのかも。

 もしも紗奈ちゃんがランニングコースを変えてこの道を通らなければ、二度と私と会うこともないのだから。


 そんな事を考えながら、今日も秋晴れの外を眺める。いっそ、大雨でも降ればいい。雨のせいで紗奈ちゃんは来ないのだと言い訳が出来るから。




 最近の仕事は在宅で行っていたが、その週末は珍しく遠方で打ち合わせがあった。

 先日、雨が降ればいい。と私が願ったせいではないと思うが、まとまった雨となった。冷たい雨で歩きにくいし、当初の予定よりも帰宅時間は遅くなった。まぁ、誰が待っているわけではないのだから、何も支障はないのだけれど。


「えっ?」

 部屋の前でうずくまってる人がいた。

「あ、美穂さん。おかえりなさい」

「紗奈ちゃん、どうして……って濡れてるじゃん! えっ、この手はどうしたの? とりあえず入ろ」


 部屋に入って、タオルで濡れた場所を拭き、暖房を入れる。

「どうする? 着替えるか、いっそシャワー浴びる?」

「大丈夫ですから」

「手、痛いの?」

 紗奈ちゃんの右手には包帯が巻かれていた。

「骨折しちゃって」

「えっ、ちょっと! 大丈夫なの?」

「大丈夫ですから」

「あ、大阪マラソンは? 間に合うの?」

「たぶん、ギリギリ」

「私に出来ることあったら何でもするから言ってね」


「美穂さん!」

 真面目な顔で見つめられた。

「美穂さんのそういう...お節介なところ......好きです」

「お...せっかい?」

「初めて会った時のこと、覚えてますか?」

「あぁ、うん。もちろん」

 トイレを貸す貸さないで揉めたっけ。

「あの時から、好きでしたよ」

「へ? それって」

「この前の返事です。遅くなってごめんなさい」


 はぁぁ。張っていた気持ちが切れたみたいで、へたり込んでしまった。

「だ、大丈夫ですか?」

「良かった......もう会えないのかと思ってた」

「美穂さんの焦った顔、初めて見たかも」

 何故か嬉しそうに言うもんだから、恥ずかしくなった。


「何か飲む? コーヒーでいい?」

「はい、いただきます」

 体を温めるためにホットを。私が落ち着くために豆から挽いてじっくりと淹れた。

 


「ずっと考えていたんです」

 コーヒーを一口啜った後、話を聞いて欲しいと紗奈ちゃんは言った。

 もちろん、そのつもりだ。


「以前から美穂さんへの気持ちは自覚してました。だから美穂さんからの言葉に驚いたけど嬉しかったのは事実なんです。でも、このまま受け入れてしまうのも不安があって。今は良くてもこの先辛くなることがあるんじゃないかって。弱い自分が出てきて。それに美穂さんにそんな思い、させたくないしって。いろいろ考えながら走ってたら、派手に転んじゃって、このざまです」

「転んで、手首を骨折?」

「はい。ヤバって思いました。仕事の事とか大阪マラソンの事もそうだけど、一番最初に思ったのは、美穂さんに会えないって事だったんです。こんなんじゃカッコ悪くて合わせる顔がないって思ったら、物凄く寂しくなって。ただただ会いたくなって。あれだけ悩んでいたのに一瞬で結論が出ました。美穂さん、こんな不様な私ですが、彼女にしてくれますか?」

「もちろん。おっちょこちょいな紗奈ちゃんには、お節介な私が必要でしょ?」

「ですね」

「でも、なんでそんなに派手に転んだの?」

「薄暗くて見えなかったんです」

「何が?」

「チェーンが」

「ん?」

「車止めみたいなコーンがあって、それにチェーンが渡されてたんだけど見えなくて」

「引っかかったの?」

「はい。飛んだように思えました」

 ようやく状況がつかめた気がする。

 想像してしまったら。

「ぷっ...あ、ごめん」

「いいですよ、笑ってください」


 恥ずかしがる仕草も可愛くて、思わず抱きしめた。

「紗奈! 骨折くらいで済んで良かった。無事で良かった。もう暗い道は走っちゃダメだよ」

 小さな声で「はい」と答えて、赤く染まった顔も可愛くて仕方がない。



ーーー


 晴れて付き合うようになって。

 私は手首骨折中でも出来るトレーニング--主に下半身の筋トレを伝授したりして、出来る限りのサポートをした。

 記録こそ不本意だったようだが、紗奈は念願の大阪マラソンを完走した。


 今度はウルトラマラソンか。

 短距離しかやってなかった私は、マラソンの事も勉強中の身であるが、さらなる長距離とは。

 しっかりサポート出来るようにしたいな。

 もっと頑張らなきゃ。

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