第5話 隠しごと

「そろそろ大会の季節だね。今年はどこ走るの?」

「富士山マラソンにエントリーしたよ」

「富士山? 遠くない? 車で行くの?」

「うん。電車だと遠回りだからね。夜中に出れば3時間くらいで着くみたいだし・・・ん? 美穂さん?」

 紗奈は、考え込んでいた私を覗き込んできた。

「一緒に行く! 心配だから。私が運転すれば寝ていけるでしょ?」

「えっ、いいよ。そんな、美穂さんを運転手にするなんて、、って、なんでそんな顔?」

 わかりやすく、ふくれっ面をした私の頬に手を添えて。

「わかりました、お願いします。でも……美穂さん、私に甘すぎません?」

 片側の口角だけ上げて、少し意地悪な顔をしていたので、こちらもわかりやすく目を閉じた。紗奈の唇を迎えるために。


ーーー


「美穂さーん!」

 手を振って走ってくる紗奈ちゃんが見えた。

 どんどん大きくなってくるその姿に、若いなぁ。と、思わず呟いた。

「大阪マラソン、当選したよ!」

 嬉しそうに報告してくれる。

「あら、良かったねぇ、倍率高かったんでしょ?」

「5倍くらいでした。去年も一昨年も落ちてたから3年越しだよー」

「そっかぁ、気合入るね! どうする、寄ってく?」

「はい」

 元気よく答えた笑顔はキラキラ輝いていた。

 あのラグビー観戦の日以来、ちょくちょく遠慮せずに家に寄ってくれるようになっていた。


「今日は、紅茶でいい?」

「はい、いただきます」

「かぼちゃのケーキ作ってみたんだけど、どうかな?」

「うわっ、美味しそう。綺麗な色ですねぇ。あっ、もしかしてハロウィンだから?」

「ま、一応ね」

「あっ、お菓子! あったかも」

 と、ランニングポーチを探っていたけれど。

「『スポーツようかん』しかないや」

 お菓子か、これ? と首を傾げている姿が可愛い。

「走りながら食べられる羊羹らしいね、聞いたことあるけど食べたことないな」

「どうぞ、食べてみてください」

「いいの?」

「もちろん! せっかくなので走りながら食べます?」

「えっ?」



「走るの、嫌いですか?」

 私が過剰に反応したためだと思う。申し訳なさそうに言う。

「紗奈ちゃんは、走るのが楽しくてしょうがないって感じだよね」

「ん~辛い時もあるけど……走った後の爽快感とか、やりきった感とかで、また走ろうって思っちゃいますね」

「目標とかあるの?」

「一応、サブ4目指してます。まだまだだけど」

「凄いじゃない、フルマラソンを4時間以内でしょ? なかなか出来ないことだよね?」

 堂々と目標を掲げる紗奈ちゃんは輝いて見えた。


「美穂さんと走りたいな。ジョギングとかもしないんですか?」

「実は紗奈ちゃんに影響されて、最近、歩いてはいるんだよ。ジョギングかぁ、出来るかなぁ? もう少し先かな。その時はよろしくね!」

「では、一緒にウォーキングからでお願いします」

「ウォーキングじゃ、トレーニングにならないよ?」

 そう言うと、一瞬顔をしかめて。

「いいんです、一緒にってところが重要なんです」

 と、小さな声で呟いた。


「あ、紅茶のおかわり入れるね。身体冷えてない? 少しブランデー入れようかな」

 リビングの棚からブランデーを持ってきて準備する。

「お酒?」

「アルコールは飛ばすから大丈夫だよ、紗奈ちゃんお酒弱いの?」

「強くはないですね、嗜む程度で」

「そうなんだね」


 ティスプーンに角砂糖を乗せ、ブランデーを浸す。そこに火をつける。

「うわっ」

 ふふっ、驚いた顔も可愛いな。

 砂糖が溶けたところで紅茶に混ぜる。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

「これね、ティーロワイヤルって言うんだって」


 しばらくは無言で紅茶を飲んでいた。


 ふぅ、と一つ息を吐き。

「香りが良いですね、なんか落ち着きます」

 それは、柔らかい笑顔だった。



 いいよって言ったのに。

「片付けくらいはさせてください」って動きだしてしまう。

ブランデーこれは、どこですか?」

「あ、そっちの棚ね」

 リビングを指す。


「美穂さーん!」

 大きな声で呼ばれたので、行ってみると。

「これ、何ですか?」

 棚の中にあったメダルを指していた。

「あぁ、学生の時にね、短距離やってて」

「インターハイって書いてありますよ?」

「うん、インハイで入賞した時の。怪我してから、走るのはやめちゃったから。昔の話だよ......紗奈ちゃん?」

 なぜか泣きそうな顔していた。

「怪我って?」

「靭帯をやっちゃってね。でも、もう治ってるよ……え、なんで?」

 ついに紗奈ちゃんは涙を流していた。

「私、そんな人に走るの楽しいとか言っちゃって……ごめんなさい」

「違うよ、走れるけど走らなかっただけだから。私の問題だから」

「でも美穂さん……うぅ」

 あぁ、さらに泣かせちゃったかも。

「ごめんね」

 ハンカチでは足りなさそうだったので、タオルを渡し落ち着くのを待った。


「でも……美穂さん、なんで話してくれないの?」

 まだグズグズしているけれど、少し話せるようになったみたい。

 あれ、いつの間にか敬語が抜けてる? ってちょっと嬉しくなったのだけど。

「ごめん」

「いつもそうだよ?美穂さん」

「ん、ごめん」

「仲良くなれたって思ってたのは私だけだったの?」

「ごめ…ん? えっと?」

「美穂さん、隠しごとが多いんだよ。びっくりすることばっかりだもん」

「ん~」

「料理が美味しいって思ったらお仕事だったり、前から私の事見てたなんて言ったり、インハイって何? 凄すぎるじゃん、なんで言ってくれないの?」

「ごめん」

「もう、ない?」

「え?」

「もう、隠してること。ない?」


「あるよ。ひとつだけ」


「なんですか?」


 あ、敬語に戻っちゃったな。

 なんてぼんやり考えながら、次にいう言葉を探してた。



「紗奈ちゃんが好き。ずっと気になってた。知り合うようになってどんどん惹かれてる。付き合ってほしい。これが嘘偽りのない本心。もう隠し事はないよ」


 一気に言ってしまった。


「え......」

 紗奈ちゃんは驚きすぎて涙も止まったようだ。

「少し、考えさせてください」

「うん」


 そうだよね。驚くよね。

 私のこんな形で告白するつもりではなかったんだけど。

 せっかく仲良くなってきたのに、この関係を壊してしまいかねないことをしてしまった。


 でも、紗奈ちゃんの泣き顔を見ていたら、抱きしめたくなって。

 初めて紗奈ちゃんが本音を漏らしてくれた気がして、それに応えたくなって。

 自分の気持ちを隠したままなのが苦しくなった。


 願わくば、想いが通じて欲しいけど。

 たとえ叶わなくても、私の気持ちは変わらないし、後悔はしない。

 と、この時は思っていた。

 紗奈ちゃんが置いていったスポーツ羊羹を握りしめながら。



ーーー


 この時期になると思い出す。

 今年も、かぼちゃケーキとティーロワイヤルを出した。


「安定の美味しさですね」

「なんで敬語なの?」

「なんとなく。思い出してたからかな」

 何を?とは、聞かないでおく。


「美穂さんは、ティーロワイヤルみたいな人ですね」

 また改まって、そんな事を言う。

「なにそれ」

「香りが良くて、落ち着く」


 真顔でそんな事を言わないで欲しい。

 アルコールは飛ばしたはずなのに、顔がほてるから。





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