第2話 お礼

「うわっ! 危なっ。ちょっと美穂さん、お皿割るところだったじゃん」

 洗い物をしている紗奈に抱きついたら怒られた。

 「お皿なんかよりスキンシップの方が大事だもん」と言ったら呆れた顔で

「うちの100均の食器とはわけが違うんだから」と返された。

 出会った当初から、紗奈は洗い物をしてくれているーー食洗機もあるのにーー

 私は、こうして戯れ合ったり、一緒に手伝ったりする時間が好きだ。

 耳元でキスをせがんだら「後で」と素っ気ない対応だったけど、耳はほんのり色付いた。



ーーー



「ありがとうございました。ギリギリセーフでした」

 そう言われて、一瞬「ん? ギリギリ?」と思ったけれど、あぁそういうことかと思い。

「それは良かったですね」と返した。

 ホッとした表情は、さっきと打って変わって可愛らしく、つい。

「お茶でも?」

 と声をかけたら、また慌てだした。

「とんでもないです。すぐにおいとましますから」と玄関へ急いでいる。

 なんとなく寂しく思っていたから。

「あの、後日お礼に伺いたいのですが、この時間ならご在宅ですか?」なんて言われて、少し考えた。

「えっと、、、お礼はいいから、お願い聞いてくれる?」

「えっ、私に出来ることなら、何でも」

 そう言いつつ不安げな表情だ。

「ほんとに? では今度ご飯一緒に食べてくれない?」

「へ?」

 ほんのり頬を染めた顔を見て。

「あ、なんだか口説いてるみたいな言い方だったわね。そうじゃなくてね、料理をするのが趣味で、って言っても大したものじゃないんだけど、でも食べてくれる人がいないとつまらなくてね。だから一緒に食べて欲しくて。出来れば感想とか聞かせてくれたら嬉しいんだけど、どうかしら?」

「はぁ」

「嫌なら無理にとは言わないわ。気乗りしない食事ほど苦痛なものはないものね」

「そんな、嫌だなんて……お礼しなきゃいけないのに、お食事なんて……嬉しすぎます」

「良かった! 決まりね。一週間後のこの時間でどう?」

「はい、大丈夫です」

 最後は、元気な笑顔を見せてくれた。


 うっかり、名前も連絡先も聞かずに去っていった彼女。約束どおり来てくれるのかな?不安もあったけれど、彼女なら大丈夫な気がしていた。



 その日は、午後から料理を始めた。

 よく考えたら、トイレを貸しただけの見ず知らずの人の家へ、ご飯を食べに来てくれる保証なんてない。というか、来ない方が普通じゃないだろうか。

 そんな気持ちを打ち消すように、心を込めて準備をした。


 時間通りに彼女はやってきた。

 ドアを開けると、先週の帰り際に見た同じ笑顔と共に立っていた。

「いらっしゃい。あれ、走ってきたの?」

 少し、息が上がっている。

「いえ、今日は自転車で来たんですけど。階段を駆け上がって来たら息が切れちゃいました」

 少し恥ずかしそうな彼女をリビングへ案内しながら、驚いて尋ねた。

「えっ、エレベーター止まってた?」

 点検の案内はなかったはずだけど、故障とか?

「いえ、ちゃんと動いてますよ。私、階段があると駆け上がりたくなるので」

「あ〜、聞いたことある。坂道見るとダッシュしたくなる。みたいな?」

「あ、あります、それも」

 彼女は更に恥ずかしそうにしていた。

「ランナーあるあるだね、あ、適当に座っててね」

「はい。あ、これ良かったらどうぞ」

 と、差し出されたものを見ると、フルーツゼリーの詰め合せのようだった。

「あら気を使わなくていいのに。でも、ありがとう。遠慮なく頂くわね」

 彼女はホッとしたように微笑んだ。



「凄い、たくさんですね」

 ダイニングテーブルに並べた料理を見て彼女は驚いていた。

「そうそう、肝心なことを聞くの忘れてたんだけど、アレルギーとか嫌いなものってない?」

 今更なんだけどね。だから品数は多めに作ったのだ。

「何でも食べられます。それより、もっと肝心なこと聞いてもいいですか?」

「ん?」

「名前を......」

「あっ、そうだったね。高梨美穂です」

「美穂さん......私は、前田紗奈です」

「紗奈ちゃん......ふふっ、なんか照れるね」




「ご馳走さまでした。美味しかったです」

「お口に合って良かったわ。やっぱり紗奈ちゃんと食べると楽しいな」

 紗奈は、最初こそ緊張していたようだけど、よく食べよく話しよく笑った。

 今は、どうしても! と譲らなかったので、洗い物を一緒にしている。紗奈が洗って、私が拭いている。

「味ももちろん美味しかったけど、身体に良さそうなものばかりでしたよね?疲れた身体に染みる感じです」

「そぉ?」

「ご飯は、玄米?」

「雑穀米だね」

「カツオのたたきとかアサリの味噌汁とか鉄分豊富ですよね?」

「さすが、ランナー! わかってるね。紗奈ちゃんも貧血気味?」

「少し」

「やっぱり」

「えっ?」

「この前会った時、そんな感じがしたから。なんとなくだけどね」

 洗い終わって手を拭いた後、紗奈は少し改まって聞いた。

「もしかして、私のためのメニューですか?」

「ん〜、コーヒー飲みながら話そうか。あ、コーヒー飲める?」

「はい」


「実は私、こういう仕事してて」

 と、紗奈に名刺を差し出した。

「公認スポーツ栄養士?」

「そう、以前は実業団にいたんだけど、今はフリーでやってる」

 なんか凄い......紗奈は名刺を見つめ呟いた。

「ランナーさんの顧客はまだいないんだけど、だから今後のための勉強?利用したみたいになっちゃったね、ごめん」

「いえ、そんな......」と言ったきり何かを考えているようで、紗奈は静かにコーヒーをブラックで飲んでいた。


「ねぇ、紗奈ちゃん。良かったら、また食べに来てくれる?」

「それは、仕事として?」

「もちろん、プライベートだよ」

「だったら次は、一緒に作ってもいいですか?私も食のこといろいろ知りたいなって思ってて、教えてもらえたら嬉しい。あ、ごめんなさい」

「え、なんで謝るの? 一緒に作るのも楽しそうだし、もちろんいいよ」

「あの、この前のお礼しようと思ってたのに、今日もご馳走になって。今日のお礼しなきゃいけないのに、またお願い事しちゃって」

「もう、可愛いんだから」

 思わず抱き寄せたハグに、紗奈は固まっていたけれど、構わずに

「私がしたいんだから、お礼なんていいんだよ」と赤くなった耳元で囁いた。


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