第3話 冷ややかな視線
四年生の二月。卒業まで一か月半、というところで、ようやく就職が決まった。
それでなくても女子学生は就職難の時代、成績は普通、特技も資格もなし。サークルに所属していないのは協調性に難あり、と取られても仕方ない。人生おしまいか、とまで悩んだ果ての吉報に、心底、ほっとした。
ある夜、銭湯の鏡を見て、顔がやせている気がした。
久々に体重計に乗り、目を疑った。
四十九キロ。
小学五年で五十キロを超えてから、四十キロ台になったことは、一度もない。ダイエットも試みたが、効果はなかった。
それが今になって、何の努力もしてないのに、入学時より十キロも減るとは。
心痛で食欲がなくなる、という人生初の経験がよかったのか。とにかく私は、やせたのだ。もうデブではないんだ。
美人の母は、「あなたは、ほんとにチャーミングねえ」と目を細め、向かいの奥さんが「冴ちゃんは笑うと可愛い」と言ったと告げた。
詩織は「サエってセックスと無縁な世界で生きてるみたい」。「少女そのものって感じ」と評した友人もいる。
劣等感に目が曇り、これらの言葉が響かなかったが、今は違う。
全てのピースをつなげると私は、笑顔が可愛い清純そうな女性?
そうだ、もっと自信をもっていいのだ。今までは毎日が憂鬱で、口角を下げっぱなしだったが、今後は違う。明るく前向きに、笑顔で生きるのだ。
その日、学食で席を探していると、先のテーブルで、ガタンと音をさせ誰かが立ち上がった。
何か言いたげな、悲痛な表情。Nだった。
私は黙無言で通り過ぎた。
冷ややかな視線に、Nは私の心を読み取っただろう。
一瞬でも、あなたを好きだったことはない。
私たちは、付き合ってたわけでも何でもなかったんだからね。
ひどい女なのだろうか、私は。
好きでもない人から好かれても嬉しくない、それは事実だが。新入生の頃、私に自信があったら、学食で声をかけられても。「食事のじゃまをしないで」と、他のテーブルに移ってしまっただろう。
それが、異性の友人がいてもいいな、なんて色気を出して。
異性の友人なんて、高校時代、作ろうと思えば、いくらでも作れたはずだ、男女比が七対二だったのだから。
しかし、引っ込み思案で自意識過剰。必要なこと以外で口をきいた男子のクラスメートは、ほとんどいない。
これが詩織だったら。男子と軽口をたたきあう高校時代。学生時代は、男子の下宿で盛り上がり、夜は雑魚寝。隣に寝たK君は焦ったらしい。
「私のこと意識して、眠れなかったんだって」
と詩織は笑った。
そりゃそうだろう、詩織が隣に寝ていたら。
いいなあ、楽しそうだなあ。
そんな経験、私には一度もない。
私なんか、私なんか。の繰り返し。
太っていることでくよくよ悩み、後ろばかり見ている私に、声をかけてくれたN。
ネガティブ思考の私に、少なくともキスしたいと思ってくれたN。
もう少し感謝してもよかったかな、と、はるかな月日が流れた今、思う。
私は愚かで未熟な十八歳だったが、Nだって、まだ十九歳の子供だったのだ。
最後に、やはり詩織のことを書いておくべきだろう。
詩織は二十四歳で結婚した。お相手は、高三のとき私と同じクラスだったY君。彼が自分を好きらしいと聞いて、どんな人かと詩織に尋ねられた。
「ほら、サッカー部の」
「ああ、あのゴリラ」
がっかり顔の詩織。私も、彼女はもっと素敵な男性と結ばれてほしかったが、紆余曲折を経て、ふたりは挙式、私は詩織の友人代表としてスピーチした。
人前で話すなんてとんでもない、だったが、大親友の依頼とあっては仕方がない。
当日になっても、Y君へのわだかまりは消えなかったが、式の終わりに彼が額に汗して私の傍に来て言った。
「今日はありがとう」
それを聞いたら、何も言えなくなった。
詩織をよろしく、と心の中でつぶやいた。
翌年、娘ちゃんが生まれて幸せいっぱいの詩織一家。だが、かなり後になり、大事件が勃発。
大学生になった娘ちゃんが妊娠、シングルマザーになってしまったのだ。またしても「加害者、被害者」の記事を思い出すことになった。R君の「見守りたい」事件も。
相手の男性と、どういう話になったのかは、聞いていないが、とにかく娘ちゃんは女児を出産、大学は続けたようだ。
小学生だった頃の娘ちゃんの髪をとかしてあげた身としては、複雑な心境だが、お孫ちゃんは、詩織ばぁばに見守られ、すくすく成長しているらしい。
会ったことはないけど、きっと可愛いに違いない。あの詩織の孫だもの、当然だ。
(了)
付き合ってたわけでも何でもなかった チェシャ猫亭 @bianco3
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