Ⅴ.マイペースな先輩─馬部碧─

23.真実は夢の中に。

 夢を、見ていた気がした。


 この世界にそんな概念があるんだななんてことも考えたけれども、そんなことよりも大事なのは夢の内容だ。


 いつのことだろう。なにせ夢の内容だからもう細かくは覚えていない。だけど、凄く懐かしくて、そして、凄く悲しいものだった気がする。ずっと昔。そう、遠い昔の、ここに来る前の記憶。


 夢っていうのは頭の中を整理するっていう意味もある一方で、時には未来の出来事を夢に見るようなことがあるって話もあるけど、あれは間違いなく俺の、笹木ささきはなではなく佐々木ささき小太郎こたろうの過去の記憶だった。一体いつのものだろう。少なくともここ数年じゃない気がする。だって、俺はもう、誰かに恋なんてことは、


「……あれ?」


 最初に気が付いた違和感は自分の顔だった。


 涙。


 今はもうすっかりと乾いてしまって、その痕跡しかないけれど、確かに寝ている間に泣いていた感じがある。そんなに悲しい夢だったのか。生まれてこの方寝ている間に泣いたなんて経験は無かった気がするんだけど。


 そして、もうひとつ。目が覚めてくるとともに気が付いた違和感は、


「…………はい?」


 固まる。


 俺の視界には今、二つの大きな球体が映っていた。


 そして、その持ち主は今、ぐっすりと眠り、夢の世界を漂っている真っ最中だ。が、そんなことは正直どうでもいい。だって、


(な、なんで彼方かなたが俺のベッドに居るんだ!?)


 おかしい。


 そんなはずはない。


 俺が眠れないなりにどうにか睡眠につこうとし、漸くうとうとしはじめたころには、確かに彼方は対岸にある自分自身のベッドで寝ていたはずだ。


ベッドが隣り合わせになっておらず、部屋の端と端にある以上「寝ぼけて入って来た」というにはちょっと無理のある距離だ。


 いったんトイレに立って、入る方を間違えた、くらいならあり得るとは思うけど、それとこの状況は余り合致しない。いくら入るベッドを間違えたからって、先客を抱きかかえた上で、頭を胸元によせるなんて行為、普通はしないと思う。いや、彼方が普通じゃない可能性も有るけど、流石にここまではしないんじゃないだろうか。


 そして、この状況、大変まずいことに、彼方の実に豊満な二つの惑星が目と鼻の先にあって、しかもどちらかといえば被害者側の俺からすれば多少は「過失」で言い訳が利く状態で、つまるところ甘え放題な訳なのだ。良くないこれは良くな……あ、ママのおっぱい……ママ……ママ……良くない。ホントに良くない。このままだとアテナドン引きの赤ちゃんプレイが展開され……ママ……おっぱいちょうだい……


(いっかーんーーーー!!!!)


 何とか声は我慢しつつ、彼方を起こさないようにして、引っぺがす。危ない。あのまま放置してたらパジャマだけじゃなく、最終防衛ラインのブラまではずして、直接吸うとかしかねなかった。怖い。ホント怖い。おっぱい怖い。饅頭怖い的な意味じゃなくて。


 と、そんなしょうもないことを考えていると彼方がもぞもぞと動き出し、


「んん……朝?」


 起こしてしまっただろうか。取り合えず補足を入れるように、


「えっと、朝、だよ?」


 だよ?ってなんだ。


 そんな脳内ツッコミなど関係無いしと言った感じに彼方が目を開けて、


「あ」


 おお、みるみるうちに赤くなっていく。人間、恥ずかしがると、こうなるのね。そして彼方がそういう反応をするのは新鮮で、ちょっと可愛い気もする。それよ、それ。その表情でデレてほしいのよ。


 やがて、


「いや、違うのよ。ちょっと、ベッドを間違えたっていうか。うん。そんな感じで」


 沈黙。


 彼方は諦めたのか、観念したのか。


「……はい、私がやりました」


 自白した。いや、いいんだけどね。ただ、ちょっと驚きはしたけど。


 そんな感想をよそに彼方はぽつぽつと、動機について語り始める。


「夜に一回起きちゃってさ。それで、トイレにいって、寝直そうかなぁって思ったら、なんかね、すすり泣きみたいな感じで泣き声が聞こえるの。それで、なんだろうって思ったら、華が、その、泣いてるみたいだったから」


「え、お……私?」


 またやりそうになってしまった。今は笹木華。佐々木小太郎じゃない。油断が過ぎる。


 彼方はそんなぎりぎりでの軌道修正には全く触れずに、


「そう。多分、悲しい夢でも見てるんだろうなって思って、近づいてみたら、なんか「ごめんね、ごめんね」って謝りながら泣いてて。それでちょっとこう、高まっちゃって」


「入り込んじゃった、と」


 無言で頭を縦に動かす彼方。


 うーん……どうしてこう俺の周りには溢れる母性をお持ちの人が多いんだろう。本来ならば母性を溢れさせまくっててもいいはずの女神ことアテナに分けてあげて欲しいくらいだ。そうでなかったとしても、その母性はもっと他の人に分け与えてあげて欲しい。若葉とかどうだろうか。夜じゅう抱きかかえてよしよししててあげるというのは。多分彼女、眠れなくなっちゃうと思うけど。


「別にいいよ。その、嫌ではないし」


 思わずちょっと視線を背ける。


 あれ、これはいけないんじゃないか。俺としては「泣いているから慰めてあげたいと思って抱きかかえてくれていたのに、おっぱいほしいとかそういうとんでもないことを考えていたという事実」がちょっと後ろめたかっただけなんだけど、これって取りようによっては「好きな子に抱きしめられて超嬉しいんだけど、恥ずかしいから顔を合せられない」みたいな大変甘酸っぱい感じの反応になってない?大丈夫?


「あ、うん。そ、それならよかった」


 ほらーー!!!変な空気になっちゃったよ。だから違うんだって。そういうんじゃないんだって。俺は別に好かれなくっていいの!百合カップルのイチャイチャが見たいの!…………あれ、でも、俺と彼方が百合カップルなら、一応見られ、


(違う違う違う違う!!!!!)


 脳内で思いっきり首をぶんぶんと横に振って駄目な思考回路をねじ切る。そんなことに必死で、「謝るようにして泣いていた」という情報には最後まで意識が行かなかった。

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