18.人間の欲求はやっぱり単純だ。

 寮の決まりとして、夕食と風呂は午後六時から九時の間に両方済ませること、というのがある。


 そして、今俺たちは、なぜかか大所帯になってしまった夕食を済ませたのち、いったん分かれて(虎子たちはいったん家に帰ったうえで)、再び合流したうえで、風呂に入りにいこうじゃないかということになっているわけだが、


(どうするかなぁ……)


 悩む。


 いや、本当は悩む必要なんてないはずなんだ。女風呂になんのおとがめもなく入れる絶好のチャンス。これを逃さない手なんてどこにもない。それは分かっている。なんならちょっとした裸の付き合いも目撃できるかもしれないし、それを目に焼き付けにいくというのはもちろん、非常に魅力的な選択肢だ。しかし、


はな?どうしたの?」


「いえ、なんでもないです」


 宇佐美うさみ彼方かなた


 ルームメイトにして、同じ趣味を持つ同好の士。そんな相手と一緒に風呂に入ろうとしている。当然ながら相手は俺のことを“笹木ささき華というルームメイト”だと思っている。それで本当にいいのだろうかという思いが無いわけではない。


 それに、夢野ゆめのだ。夢野と一緒に風呂に入るというのはやっぱりどうしても抵抗がある。いくら幼馴染で一緒に風呂に入ったこともあるとは言っても、


「…………あれ?」


「どした。やっぱりなんか足りないものがある?貸そうか?」


「あ、違うんです。ただ、ちょっと、何かを忘れてるような気がしただけで」


「そう?ならいいんだけど」


 なんだ?今の記憶は。


 一緒に風呂に入ったことがある?


 幼馴染だから?


 確かに、あり得る話だとは思う。この世界での俺と夢野は幼馴染で、女性同士。夢野のちょっと行き過ぎともいえる過保護気質を見れば、一緒に風呂位入っていても何もおかしくはない。ないのだけど、一緒に入った記憶なんてあるものなのか?過去のことなんて全く覚えてもいないのに。思い出を聞かれたらするするっと出てくるもんなのかな。


「お待たせ~……待った?華ちゃん」


 噂をすれば影というやつだろうか。待ち合わせ場所に夢野がやってきた。もっとも、噂をしていたわけでもなければ、ただの考え事にしか過ぎないわけだけど。


「お姉さま~!遅くなってごめんなさい~!」


「あら、結局入るのね、いやらしい」


「ごめんなさい、虎子が下着が見つからないって探し回ってて遅くなりました」


「いやーごめんごめん!荷物全然整理してなくって」


 遅れて、他の面々もやってくる。改めてみるとなかなかの人数だった。



                     ◇



 寮の広さからして、普通の大浴場ではないだろうということくらいは想像がついていたが、実物はそれを軽く飛び越えてきた。


 まず脱衣所からして広い。


 というか、その前の靴箱の数からしてもうおかしい。番号が三桁を優に数えているのは一体どういうことなのか。

 

 中に入れば、その下駄箱と同じくらいの収容数はあると思われるロッカーが立ち並んでいた。しかも、それらすべてに全てに鍵が備え付けられている徹底ぶりで、仮に下着泥棒が入ってきても、ちょっとやそっとじゃ盗むことは出来ないだろう。もっとも、ここに来るまでにも監視カメラらしきものが廊下にいくつも備え付けられていたし、セキュリティ的には「ここまで入られた段階で失敗」というレベルだろうが、それでもなお、大量のロッカーは最終防衛ラインとして立ちはだかっていた。


 その脱衣所だが、全体が見渡せるような構造にはなっておらず、ロッカーが仕切りとなって区切られるような恰好となっているため、場所によっては誰かに見られることなく、着替えることが出来るような構造となっていた。


 なので、「開いているロッカーを探す」というていで、他の面々とは少し離れたところを確保し、荷物をいったんロッカーの中に置いて、これからいよいよ着替え……というか服を脱ぐという段になるわけなんだが、


「うーん……」


 悩んでいた。


 この後に及んで、である。


 もちろん、この世界での俺は女性であり、皆と裸の付き合いをして、なんなら「またちょっと成長したんじゃない?」「きゃっ!?ちょっとやめてよもー」なんてことをやっても許されるはずなのだ。


 ただ。


 それでも。


「ううーん……」

 

 踏ん切りがつかない。


 もはや一体何に悩んでいるのかも分からない。


 別にいいじゃないか。幼馴染なのだから。昔は一緒に風呂に入っていたのだから。


「…………昔?」


 まただ。


 昔の記憶が強烈な違和感と共にに浮かび上がる。いや、浮かび上がってはいない。何故なら俺はその光景を一切思い出せないのだから。


「なーに、まだ脱いでないの?早くしなさい?皆まってるんだから」


 不満げな声が聞こえる。


 ふと、振り返ると、


「…………エンジョイしすぎでしょ」


 なぜかアヒルさんが入ったマイ桶を持ったアテナがバスタオル一枚を体に巻いた状態で仁王立ちしてた。これはあれだ。風呂上がりに腰に手を当てて牛乳のむやつだ。賭けてもいい。



                    ◇



 ここは女風呂なんだ。


 そんな当たり前のことを、改めて実感した。


一緒に来た面々も、最初はみんなバスタオルで体を隠すなり、なんなりしていたので、実質全裸というわけではなかったのだ。


 ところが、流石にずっとその恰好という訳にはいかない。体を洗うにはバスタオルを使う必要性があるし、そうでなかったとしてもいちいち局部を隠していては洗うものも洗えない。


 ましてや浴槽にタオルを巻いたまま入るなんてことは基本的にはマナー違反であり、さぞかし育ちの良いであろうお嬢様の多い白百合女学院の寮生にはそんな行動をとる人間などほぼほぼ皆無なのだ。


 加えて、無駄に広い大浴場にはいくつかの特殊な風呂やサウナが備え付けられていて、それらを移動する際にも「まあちょっとの距離だから」ということでタオル片手に移動するという場合がほとんどなのだ。


 結論として、あちらこちらで容赦なく年頃の女子高校生が全裸で歩き回っているわけで、年齢=彼女いない歴で一度目(という表現が正しいのかは分からないけど)の生涯を終えてしまった俺からすれば大変刺激の強いものだった。


 これは良くない。教育上良くない。一体誰の教育なのかは分からないが、とにかくよくない。


 なにかを間違って、女子学院に女装して通いたいなんてアホなことを言い出さなくて本当に良かったと思う。そんなことをしていたら約一部のふくらみによって一瞬でお縄だ。イメージとしては最大サイズまで大きくなっている気分なのだが、ついていないものは膨らみようがない。形而上の男性器は目には見えないのだ。なんだよ、形而上の男性器って。


「どうしたの、華ちゃん。ほら、いこ?体洗ってあげるから」


 手を引かれる。夢野だった。やだ、この子油断も隙も無いわ。動揺して、心に付け入るすきがあるところに滑り込んでくるんだもん。こうやって依存させていくのね、怖いわ。


 夢野は何故か俺を抱き寄せて、


「ほら、大丈夫だから。ね?こんな広い立派なお風呂に驚いたんだよね?よしよし」


 これは駄目だ。良くないことだ。心の隙間を利用した、あっ、なでなで嬉しい……もっとして……俺を落とすための手段なんだ。だからすぐに引きはがして、そんなことしなくても一人で体くらい洗えるって主張し、あ、ママ……おっぱい……おっぱいちょうだい……


「だぁーーーー!!!!」


 思わず跳ねのける。


 駄目だ。夢野は危険だ。何が危険って、俺の弱点と言うか好きなところを良く知ってる感じがする。多分本能なんだろうけど。


 怖いなぁ……甘やかしボイスとかそういうの駄目なんだよ。返ってこられなくなっちゃうから。ボイスなら時間に制限があるけど、夢野の場合は下手したら無限なんだ。どこかで断ち切っておかないと、大変なことになる。大変なことというのがいったいなんなのかは分からないけど。


 跳ねのけられた夢野はかなり落ち込んで視線をうつむかせ、


「そう……そうだよね。もう昔とは違うもんね……」


 とぼとぼとシャワーのあるところに向かっていく。


「あ、違う。まって、夢野」


 夢野は振り向いて、


「身体、洗ってもいい?」


「えっと……うん」


 直後、夢野の表情が明らかに明るくなり、


「わ、嬉しい。隅々まで綺麗にしてあげるからね」


 隅々まで、というのは一体どれほどのレベルのなのか。怖いので聞くのはやめておいた。なんか、結局夢野の思い通りな気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る