第6幕第2場 There rust, and...

第55話 第2場 There rust, and... 1

 オオワシがサーヤを掴んだままでグラウンドに降り立とうとしていた。

 滑空の為に広げた翼

 を曲げ、今はそれ羽ばたかせて着地を試みている。


「……」


 サーヤはその鉤爪に掴まれたまま、抵抗もせず一緒に降りてくる。

 オオワシは着地の際にサーヤを掴んだ足を器用に上げると、今度はくず鉄でできた羽でその身を包み込む。

 錆びたナイフや鈍器類で出来たオオワシの体。羽は特に刃物類で成り立っていた。

 サーヤを抱え込むオオワシの羽は、そのまま幾本もの錆びた刃を人質に向けるように突きつける。

 だがサーヤはその刃を避けようともしない。


「何だって? 死ぬ気だって?」


 降りてきたオオワシの中のサーヤ。そのサーヤを呆然と見つめながら久礼はシースの言葉を聞き返す。

 確かにサーヤは錆びた鉄の刃物の中で、それに抱(いだ)かれながら逃げよともしていなかった。


「……」


 シースは久礼に答えずにただただサーヤを見上げる。


「答える余裕すらないってか? 気丈な会長さんらしくねぇな」

「ねぇ……久礼……サーヤちゃん、どうなってるの?」


 小太刀が庵とともに久礼の下に駆け寄ってきた。


「分からん……死ぬ気とかなんとか……」

「はぁ!? 何よ、それ!」

「僕もお姉ちゃんから、そう聞かされた」

「本当なのか、庵!? ――ッ! まぶし! 何だ?」


 不意にサーヤの目の前で閃光が瞬いた。

 その光の向こうに黒いシミに染まった一冊の古い洋書が現れる。 


「ファースト・フォリオ!? しまった! 母の遺志か……」

「ファースト何だって、会長さん!? サーヤが言ってた本か!?」

「There rust, and...」


 サーヤが小さく呟いた。

 それを合図にしたかのように、光に照らされたサーヤの柔肌に刃の赤黒い錆が移り始めた。

 ゆっくりと、まるで一体化するかのように、タナトスの錆がサーヤの体を侵食していく。

 古書からの荘厳なまでの光に照らされながら、サーヤの体は赤黒い鉄錆の膜に侵されていった。


「――ッ! おい! あれは一体何だ!? 何が起こってる!? 錆がサーヤの体を膜のように覆っていってるぞ!?」

「……タナトスに……サーヤが飲み込まれている……」

「おいおい!? 何だよ、それ!?」

「恐れていたことが……」

「ねえ……さま……」

「――ッ! サーヤ! いや、まだだ! まだ諦めん! サーヤをタナトスから引き離せ!」


 サーヤの弱々しい呼びかけに、シースが精気を取り戻す。

 シースの号令に庵と近衛隊が一斉にタナトスに飛びかかった。

 だが古書からの光に弾かれ、皆の体が一瞬で吹き飛ばされる。


「サーヤ! 拒絶する気!?」

「く……庵! 重ねがけするわよ! 立ちなさい!」


 峰子の足元まで転がるように戻って来た庵。一瞬で傷だらけになった弟を、峰子はすぐさま立たせようと手を伸ばした。


「うん! お姉ちゃん!」

「えっ!? 大丈夫なんですか? 重ねがけって?」

「覚悟の上だよ、鵐目さん!」

「ええ、庵は男の子だもの! いくわよ! A document in madness! そして次! 『狂気にも理性があるのだ』『リア王』第4幕第6場エドガーのセリフ――Reason, in madness!」


 峰子が庵を強引に立たせ、その胸に左手を添える。


「ぐあ……があ……」


 庵が苦しげに唸ると、一気にグラウンドの地面を蹴った。

 庵の体はその一蹴りで、オオワシの人の頭蓋骨の前まで飛んでいく。


「――ッ!」


 今度も光で弾き飛ばされそうになったが、庵は光そのものにクナイの切っ尖を打ち込んだ。

 しかしそのクナイは光の球体の表面をわずかばかりに傷つけるだけだった。

 そして光は激しさを増し、最後は今度も庵は奔流には跳ね返された。


「サーヤ!」


 久礼がたまらずサーヤを引きとめようと前に駆け出した。

 武器も何も持たずに、それでも久礼は前に走り出す。


「ぐはっ!」


 ファースト・フォリオからの光の奔流はそんな久礼を無慈悲にも弾き飛ばした。


「久礼!」


 小太刀が足下に飛ばされてきた久礼に、すがりつくようにしゃがみ込む。

 錆びに全身を覆われ始めたサーヤ。サーヤの錆が広がると、それにつれて光のほとばしりも激しさを増した。

 それは光の奔流が久礼達に詰め寄ることも意味した。


「後輩ちゃん! 逃げて!」

「この! 近寄んな! サーヤちゃんを返せ!」


 小太刀は立ち上がると、木刀を構えて久礼と光の間に立ちふさがる。

 木刀があっさりと弾き飛ばされた。

 次は小太刀自身の番。誰が見てもそう見えた。


「く……この……」


 しかし光はなおもその場を動かない小太刀の胸先までくると、何故かそこで見えない壁に弾かれる。


「あれは……やっぱり! 後輩ちゃん――ううん、小太刀ちゃん! 唱えなさい! あなたならできるわ!」

「えっ!? 何ですか、峰子センパイ!?」

「左手を突き出して! 峰子に続いて! To stop in my tail aginst the hair!」


 峰子が自らも左手を突き出しながら、小太刀に後に続くように促した。


「はい!? トゥー……トゥー・ストップ・イン・マイ・テール……ア、アゲインスト・ザ・ヘアー!」


 相手の指示のままに小太刀が左手を突き出し、拙いながら英文のスペルを峰子を真似て唱える。


「……」


 オオワシのタナトスの体がぐらり揺らぎ、小太刀が左手を前に更に突き出すと一歩二歩と後ろに下がった。


「やった! 小太刀ちゃん、実はスペルマスターの素質があるわね!」


 峰子が左手をタナトスにかざしたまま、小太刀の横まで駆けてきて並んだ。


「はい?」


 小太刀が峰子に習って左手を前に突き出したまま、素っ頓狂な声で答える。

 小太刀と峰子の左手から淡い光が放たれ、サーヤの光の奔流をそこで防ぎ続ける。


「あの時、思ったのよね。峰子の魔力が効かなかったから。素質あるわよ。スペルマスターになれば、特に男子が放っておかないと思うわ」

「へっ? そんな! 私なんて、スペルマスターになるような魅力ないですよ!」

「そうかしら? スペルマスターとして、男子達の精気を抜きまくっても、おかしくないわ」

「いえいえ! 私になんて、そんな需要ないです!」

「そうよね。一人に求められれば、いいものね」

「――ッ!」


 小太刀が真っ赤になってビクンと肩をすくませた。

 小太刀は思わず久礼に振り返るが、


「サーヤ……」


 まだ立ち上がれていなかった当の本人は、そのことに気づかず一人呆然と呟いた。


参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)

『リア王』野島秀勝訳(岩波文庫)

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リビ・ドー 朝香雪定 @chu

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