第50話 第5幕第3場 Holy palmers kiss. 2

「――ッ! ぐ……」


 そのスペルを耳にした久礼が、その場で力が抜けたように膝を着いた。


「ヒサノリ!? 姉様!」

「ふふん。シースちゃん、得意のスペルね。『ロミオとジューリエット』第1幕第5場ジューリエットのセリフ。『手と手をぴったり合わせるのが巡礼者の接吻くちづけでございましょう』ってね」

「何だ……体が動かない……」


 久礼は木刀を構えたままの姿でうずくまる。


「巡礼者の口づけ。ロミオとジュリエットが、最初の出会いで交わす愛の言葉。手と手を取り合うだけで、全てが始まり、全てを奪われるわ――シースちゃんにね」

「そうだ。サーヤのスペルは、ジュリエット最期のセリフ。だが私は、ジュリエットがロミオと初めて交わした愛の言葉を得意のスペルとする。二人の全てが始まったセリフだ」

「俺の体の自由を――」

「いや、全てだ」


 シースの言葉を合図にしたように、近衛隊が一斉に二人の間から退いた。


「何を!?」

「お前の全てを奪った」


 冷徹な表情でシースは久礼を見下ろす。


「何を言って……」

「恋とは、そういうものだろう?」


 一転してシースは、まるで恋人に向けるかのような優しい笑みを浮かべる。


「な……」

「ね、姉様!?」

「ほら、その証拠に。もう私のことしか見ていない」

「なっ!?」


 シースの指摘に驚き見開かれた久礼の目。足は膝をついたまま、目は不自然な角度でシースを見上げている。

 そしてその瞳は微動だにしなかった。


「私のことしか、瞳に入っていない」


 シースが窓の向こうのタナトスを確認しようと久礼に背を向けた。

 そんなシースの背中を追って、久礼の瞳がどんな無理な角度でも追いかけようと動いた。


「何を……」


 久礼がシースの言葉に抗おうと、瞳を動かそうとした。

 だが久礼の目は震えるだけでシースの姿をどこまでも追おうとする。


「ふん……他の生徒会役員に連絡を。ここはもういいわ」


 シースはもう久礼に興味はないとばかりに、タナトスの姿を目で追いながら近衛隊に話しかける。

 シースの言葉通り、近衛隊がサーヤから離れるが、久礼はその場を動けなかった。

 久礼はシースの姿が視界の中で人影に見え隠れするや、慌てて先ほどまで動かなかった頭ごと巡らせてその姿を追おうとする。

 それでいて、久礼の体は目に見えない縄に縛られたかのように動かない。


「この……」

「さあ。愛しい私の言葉に従い、そこで大人しく座っていろ。我々は、貴様ら抜きでタナトスを殲滅してくる」


 シースが久礼の視線を独占しながら、その相手を自身は振り返りもせずに言い放つ。

 だが――


「――ッ! うおおおおぉぉぉぉぉっ!」


 突如雄叫び上げると、久礼は震える膝で立ち上がろうとした。

 膝はがくがくと全く定まらないが、それはわずかに床から離れる。


「何!? これでも、立つか!? 葉可久礼!」

「ふふん……やっぱり……Erected Knightだったかしら?」


 シースが驚きに目を見開き振り返り、峰子がその後ろで一人ほくそ笑んだ。


「ここで立たなきゃ、男がすたる! サーヤを返せ!」


 久礼が目に見えない縄を強引に引きちぎろうとする。

 まだ見えない力に押さえつけられそうになりながら、久礼はそれでも中腰まで立ち上がった。


「ヒサ……ノリッ!」


 その姿にサーヤが声を詰まらせながらその名を呼ぶ。


「バカな……私のスペルを拒絶するだと……」

「こんなものに、心奪われるかよ!」


 久礼が完全に立ち上がり、シースに木刀を振り上げて飛びかかった。


 その瞬間――


「――ッ!」


 甲高い音を立てて窓が打ち破られ、一体のタナトスが校舎に侵入してきた。


参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)

『ロミオとジューリエット』平井正穂訳(岩波文庫)

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