第5幕第3場 Holy palmers kiss.

第49話 第5幕第3場 Holy palmers kiss. 1

「タナトスが!? タナトスが空に!」


 それはタナトスの出現を告げる悲鳴と警報だった。

 遠くからの悲鳴に続いて、周囲の生徒達が一斉に廊下の窓の向こうを見る。


「……」


 シースが鬼の形相で窓の外に目をやった。

 そこには眩しい太陽の光の空に、その明るさにそぐわない黒いシミのようなものが浮かんでいた。

 そしてそこから、頭蓋骨の頭部を持つ異形のものが、幾つか苦しげに這い出ようとしていた。

 それは数体の話ではなく、何十もそのあとに続くのだとすぐに知れる。

 既に頭蓋骨の見えている異形のものの周りから、次々と別の異形のものの頭蓋骨と四肢が見え隠れしていたからだ。


「――ッ! タナトス!? あいつら――」


 久礼が膝を床に着きながら、憎悪に歪んだ目で同じ光景に目をやる。

 久礼は近衛隊に囲まれながら、木刀を杖代わりに立ち上がろうとした。


「タナトス……なんて数……まるでこの学園を、餌食に定めたみたいな……」


 その光景に生徒の一人がぽつり呟く。


「そうだ! 生命力あふれる我々のような若者が、奴らにとっては格好の餌! だからこそ、この学園は建てられた! タナトスをおびき出す罠として! それでいて、この国の対タナトスの最前線として! それでいながら最後の砦として! いざ、ことが起これば、あれだけの数が押し寄せるのは道理!」

「そんな……」


 シースの断言に、生徒達が互いに見合って息を飲む。 


「タナトス……あの数……これじゃ、また久礼が……」


 小太刀は窓の外に目をやると、ちらりと横目で久礼の様子を見る。

 一度は膝を屈した久礼が、その膝を震わせながら立ち上がろうとしていた。


「あら、後輩くん……まだ立つのね? 本当元気ね……やっぱり、そうでなくっちゃ……」

 

 皆がタナトスに気をとられる中、峰子は久礼の様子に満足げに呟く。


「タナトス……母様のかたき……」


 サーヤもその光景を近衛隊に体を押さえつけられながら目だけ追った。

 こちらは無理やり体を押さられており、長い髪がその表情を見えにくくしていた。


「――ッ! 早くサーヤを縛り上げろ!」


 サーヤの声を聞いたシースが、近衛隊に自身も急いだようにそう命じる。


「はぁ!? サーヤは、あんたの力になりたいって言ってんだぞ!? いつも姉様の為に生きたいって言ってんだぞ!」


 久礼が木刀を前に構えながらなんとか震える体で立ち上がる。


「だから、貴様は阿呆だと言っている! 葉可久礼!」

「何だと!?」


 久礼が未だ近衛隊に捕らえられているサーヤを見た。

 サーヤの膝の傷はそのまま放って置かれ、血が廊下にもにじみ出ている。

 サーヤ自身は四肢を抑えられ、傷をかばうこともでぎすにただ痛みと苦痛に顔を歪めていた。

 サーヤのカバンがその脇に放り出されている。

 久礼がプレゼントしたペンギンのマスコットが、丁度血の浮かんだ膝の横に転がっていた。


「この期に及んで、分からず屋の姉貴だな! てか、こんな暴挙許せるかよ! サーヤを離しやがれ!」

「ちょっ、ちょっと久礼!?」


 久礼が小太刀の制止を振り切り、目の前の近衛隊に木刀を打ち込んだ。

 近衛隊が怯んで空いた一瞬の隙間を突き、久礼はシースに木刀を打ちおろす。


「Give us the swords;」

「we have bucklers of our own.」


 だが振り下ろされる木刀を前に、シースが冷静に英文を口にすると、すぐさま峰子がそれに続いた。

 息のあった二人のセリフは、光を伴って眼前に円形の何かを生じさせる。


「盾!? 見えない壁が!」


 二人のスペルは見えない壁を作り出していた。

 久礼の一撃はシースの眼前で弾き返される。


「『引き渡すなら剣にしてくだい。盾なら円いのをもともと持ってます』ウィリアム・シェイクスピア著『から騒ぎ』第5幕第2場マーガレットのセリフだ」

「マーガレットはもちろん女性。じゃあ、元々持ってる丸い盾って何のことかしらね?」


 見えない盾の向こうで、シースが挑発的な笑みを見せ、峰子がいたずらっ子のそれを浮かべる。

 近衛隊がすぐに態勢を立て直し、その一人が久礼に掴みかかった。


「久礼に何を!?」


 小太刀が横から竹刀でその近衛隊の腕を弾いた。


「おっと、後輩ちゃん。あなたも、そこまでよ――to stop in my tail against the hair!」


 峰子が小太刀の前にすっと出ると、竹刀の脇を抜け左手を前に突き出した。

 峰子のスペルとともに、左手が小太刀の胸で閃光を放つ。


「なっ……この!」


 だが小太刀はひるむことなく竹刀を横に一閃し、その左手を振り払った。


「ありゃ? 全く効かない? まさか……」


 その様子に峰子が目を白黒とさせた。


「葉可久礼。あくまで歯向かう気か? なら、時間が惜しい。今度は私のスペルで、大人しくしてもらおう」


 後ろに残ったシースが、近衛隊の向こうで両手を胸の前まで上げた。 


「そんなところから、何ができるってんだ!」

「想いに、距離など関係ない……」


 シースが一人そっと手を合わせる。


「……Palm to palm is holy palmers kiss……」


 愛しい人の名を呼ぶように、それは優しく切なくそれでいて苦しげに唱えられた。


参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)

『から騒ぎ』松岡和子訳(ちくま文庫)

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