第4幕第3場 The time is out of joint.

第42話 第4幕第3場 The time is out of joint.

「ママ!」


 幼子二人の前で、若い母親が錆びた鉄に飲まれていく。

 生命を模した錆びた鉄でできた異形のもの――タナトス。

 オオワシを模したそのタナトスは、人一人のみ込めるほどの鉄の羽を持っていた。

 それが青ざめた顔の母親を抱擁するように抱きしめる。

 羽を形作る無数の鋭利な刃物類。それは包丁やナイフなど、日常にありながらその取り扱いを間違えれば、命に関わるものばかりだった。

 そんな文明の利器でできた羽が、若い母親をゆっくりと串刺しにしていく。

 その足元には血まみれの男性が倒れていた。

 男は駅の改札前の路地で、頭から血を流して倒れている。

 駅舎は古く設備は新しい。そんな伝統と革新が混じり合う今時の駅前で、その惨劇は行われていた。


「パパ!」


 男性は僅かに息があるが、その息はかなり荒い。

 額からの出血も相まって、そのままでは命が危ないのがすぐに分かった。


「そんな! ママ! ママ!」


 二人の幼子は姉妹だった。

 姉が自身も泣き顔に顔をくしゃくしゃにしながら、必死に妹をかばおうとしている。


「逃げなさい……二人とも……」


 若い母親が息も絶え絶えに声を絞り出した。

 これは十年前に姉妹に起こった悲劇。


「シース……サーヤ……」


 若い母親が愛しい娘達に息も絶え絶えに呼びかける。

 そして呼びかける間にも、刃物の抱擁は深く強くなっていく。


「……」


 母親がもう一度何か言った。

 幼い姉妹はその光景に互いに震えて抱き合うことしかできない。

 母親足下に一冊の古びた書物が転がっていてる。

 だがこの光景は十年前のものではない――


「サーヤちゃん!」


 それは今まさに見ている悪夢だった。

 名を呼ばれてサーヤ・ハモーンは、二段ベッドの上ではっと目を覚ました。

 汗まみれのパジャマで、サーヤはその身を跳ね起こす。


「夢……」


 サーヤは上半身をベッドで起こすと、絞り出すようにそうとだけ呟く。

 今まさに見てきた夢に、サーヤは顔面を蒼白にさせる。


「サーヤちゃん……大丈夫? 随分うなされていたけど?」


 二段ベッドのハシゴに足をかけ、鵐目小太刀が下から上のベッドに手を伸ばしていた。

 薄闇の中、小太刀は心配げに眉をひそめ、サーヤの肩を揺するために伸ばしていた手を引っ込める。


「……」

「大丈夫?」


 更にもう一段ハシゴを登り、小太刀はサーヤの顔を深く覗き込む。


「……大丈夫……ありがとう……」

「……」

「小太刀、ひょっとして、起こしちゃった? 今、何時?」

「ううん……眠る前に、もらった本読んでたところだから……まだ十一時よ」


 サーヤを揺り起こした小太刀の手には、一冊の文庫本が握られていた。

 それはサーヤが小太刀に渡した〝布教用〟の本だった。


「第3幕第5場。ロミオとジュリエット――二人の仲を裂く、雲雀の声が聞こえる辺りね」


 挟まれたいた栞の位置に、サーヤがまた進捗具合を言い当てる。


「正解。いちいち『注解』っての読まないと、意味が分からないから。なかなか進まないわ」

「そう。でも、読み止まらないでしょ?」

「まあね。でも、さすがに消灯ね。見回りにバレたら大変。ねえ、サーヤちゃん。本当に大丈夫?」

「大丈夫よ」

「本当に?」

「大丈夫だから……おやすみ……」


 最後まで心配げにこちらを覗き込む小太刀に、サーヤは背中を向けるとシーツで深々と頭を覆い隠した。


「……」


 小太刀はその背中をしばらく見てから、ゆっくりとハシゴを降り自分のベッドに戻った。

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