第36話 第4幕第1場 A document in madness! 3

 先まで晴れていたはずの春の空が、一瞬で闇に覆われる。

 まずは小さな点で生まれた闇が、またたく間に大きくなった。

 ちょうど太陽を隠すように成長したそれは、地上へと届く光を見る間に遮る。


「タナトス!?」


 葉可久礼がその理由と正体にいち早く気付いて上空を見上げた。


「タナトス! 学園に現れるなんて!」


 久礼に負けず劣らずの素早さで、サーヤ・ハモーンも反応した。

 久礼とサーヤがほほ同時に上空を見上げる。

 そこには昼の太陽の光を闇で汚すような、黒いシミが中空に現れていた。

 その闇から早くも人の髑髏が覗いている。

 眼球などとうに失った眼窩で、それでもじっとこちらを見下ろしていた。


「何で!? 鍛錬場にタナトスが!」


 鵐目小太刀が二人にわずかに遅れて竹刀を身構えた。


「ここは以前から、結界にほころびが見つかってて。タナトス襲撃の予兆が現れていた場所なのよね」


 鯉口峰子が悠々と振り返り、その闇に目を凝らしながら答えた。

 遠くから警報が鳴る音が響いた。

 それは聞く人間の体に、腹の底から響く。


「……危険度A判定だったとはいえ……本当に現れるなんて……もう余裕がないのね……」


 峰子が警報に耳を澄ませながら第3鍛錬場の周囲を回す。

 野次馬に集まっていた生徒達がそれぞれに身構えていた。

 入学式の時と違い誰一人としてパニックを起こしてはいない。

 一人一人がこの事態にどう対処すべきか、冷静に考えようとしているようだ。


「……予習しておいて……よかったって感じね……入学式のあの騒ぎは、これも狙っていたのね……シースちゃんは……」


 闇から現れたタナトス。その一部が早くも鍛錬場に舞い降りてきていた。

 先陣を切ったのは、人の頭蓋骨を持ち、犬を想像させるような姿のタナトス。姿こそ犬の形をしていたが、その大きはクマほどあった。


「……」


 チェーンや刃物、鈍器で構成された胴を、その大きな犬のタナトスは空中で一つ身震いさせた。

 錆び付いた人工物できた体は、胴はもちろん、四肢も釘や包丁、鋭利な金具、鈍器のような工具などでできている。


「ハモーン……」


 タナトスの髑髏から苦しげな声が漏れた。


「サーヤちゃんの名前!? やっぱりハモーンの家は、タナトスに狙われてるの!?」

「ええ、そうよ。さあ、ここよ。ハモーンの血の者は、ここにいるわ」


 サーヤが一歩前に出た。


「アブねって、サーヤ! 死ぬ気かよ!? 小太刀、俺の刀を使え!」


 そんなサーヤの前に久礼は割り込むように出る。


「えっ!? 久礼! アンタはどうすんのよ!?」

「俺のはあるだろ! お前はそれで身を守れ!」

「えっ? 何言ってんのよ! アタシも戦うわよ!」

「まともな武器が通じないのは、お前だって知ってるだろ?」

「う……そうだけどさ……」


 小太刀が久礼の日本刀をギュッと握り締める。


「さあ、サーヤ。俺の精気を抜け!」

「い、いいけど……ヒサノリ……」

「何だよ、サーヤ? 何、躊躇ってんだよ? お前の力で、俺の精気抜かないと戦えないだろ?」

「いいけど――ポヨンポヨンは、もうなしだからね……」


 自分を庇う久礼の背中に、サーヤが疑惑の半目を向ける。


「うっ……知るかよ! 女体化は、頼んでねえよ! てか、そんな胸してる、お前が悪いんだろ!」

「何ですって!」

「ふん、久礼くん! バディと喧嘩とは、見てられないね! そうだ! どっちが、早くタナトスを倒すかで、勝負と行こうよ!」

「何? 勝手に決めるな、庵!」

「タナトス、僕が相手だ! お姉ちゃん、スペルマスターの力を僕に!」

「ふふ……いいわよ、庵」

「何……だと!? 弟の精気を、お姉さんが抜く――だと!?」

「何驚いてんのよ、ヒサノリ? ただのセイキでしょ? お姉さんが、弟のセイキを抜いて何か悪いの?」」

「いや……それはサーヤ……確かにそうだ……ただの精気だから、そのはずだ……」

「うふふ……庵の精気……本番で、峰子が抜くのね……ゾクゾクするわ……いくわよ――」


 峰子が左手を前に突き出し、庵の胸――心臓あたりにその掌を当てた。


「A document in madness!」


 峰子の流暢なスペルとともに閃光が辺りを染め上げる。


「……」


 光が収まると、庵の右手には一振りの武器が握られていた。

 庵が手にした武器。それは両刃の刃を持ち、持ち手の先が輪っかになっている小ぶりの武器――クナイだった。

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