第28話 第3幕第3場 Let me die... 2
「むむっ! 私達が使うスペルは、ウィリアム・シェイクスピアの名作群からとってるのよ。何ケチつけてんのよ」
サーヤが参考書の山の上で軽く宙に舞った文庫本を慌てて手で押さえた。
「そうだよ、そこだよ! まず、そこだよ!」
「どこよ?」
「いや、誰だよ? そのシェイなんとか?」
久礼が文庫本の表紙を訝しげに目を細めて見た。
「そこなの!? イングランドの文豪――ううん、世界の文豪じゃない!」
サーヤがくたびれた文庫本を久礼に向かって突き出す。
「知らね」
「キーッ! こんな奴が、私のバディだなんて! シェイクスピアよ! ウィリアム・シェイクスピア!」
「それが、誰だか分からん」
「もう! いい? ウィリアム・シェイクスピアは、十六世紀イングランドの劇作家よ! 人間の普遍的な――」
「ああっ、ダメ! そういうのが、ダメ。蕁麻疹出る。オツム痛くなる。ポンポンビックリする!」
「アンタね。サーヤちゃんが、せっかく説明してくれてるのに」
「なら、小太刀。お前、今日の授業分かったのかよ?」
「えっ……えっと、それは……」
「ほらな! 俺たち脳筋族は、体育系の授業でないと、ついていけないんだよ」
「一緒にすんな! アタシは少しは勉強してるわよ!」
小太刀がスカートのポケットから一冊の本を取り出した。
それは先にサーヤが小太刀に渡した文庫本だった。
小太刀が久礼にその本を見せつけるように振ると、本に挟まれた栞の頭から垂れたリボンが揺れる。
サーヤのものと比べて、もちろんそれは真新しい。
「サーヤに押し売りされた文庫本読んでるだけだろ!」
「るっさいわね! アンタよりはましよ!」
「ああっ! その栞の位置なら、ロミオとジュリエットが出会って、最初のキスをするところね!」
栞の挟まれた位置に、サーヤがが小太刀の読書の進み具合を看破する。
「え、ええ……開いてもいないのに、よく分かるわね、サーヤちゃん……」
「分かるわ! 日本語訳も、こんなになるまで読んでるもの!」
「だからって。栞の位置よ?」
「当たり前よ! 第1幕第5場の場面だわ! ああ、二人の姿が、目に浮かぶよう……」
実際に瞳に浮かべようとしてか、サーヤが自身の文庫本を両手で胸に当ててうっとりと目をつむる。
「第1幕って。何だよ、小太刀。いくらも進んでねえじゃねえか!」
「いいでしょ、別に!」
「もう……ヒサノリも。実際多少の知識は必要よ。自分の精気を武器にするのよ。知らないじゃ、すまされないわよ」
サーヤが目を開けると、ジロリと久礼を睨みつける。
「自分の精気ぐらい、知ってるだろ」
「本当に?」
「知ってるって! ふふん……そうだな――」
久礼が言葉の途中で何かイタズラを思いついたような顔をした。
「何、ヒサノリ?」
「いや、何でも。よし、あえて断言しよう! 俺の精気! 立派に精通してるぞ!」
「ぶっ!」
久礼の言葉に小太刀が食べかけのウィンナーを吹き出しそうになった。
「どうした、小太刀?」
「久礼……食事中に、アンタは……」
「何が食事中だと、悪いんだよ? 俺は、俺の精気、ちゃんと精通してる――よく知ってるって、言ってるだけだぞ」
「アンタね……」
「また、何を想像したんでしょうね、小太刀さんは?」
「なっ……そそそ、そりゃ……アンタが……」
「俺の精気は、俺ん家の家宝の姿をとって現れたからな。あれは、昔からよく振ってたから、ちゃんと精通してるぞ。そういう意味でしか言ってないな、俺は」
「ぐぬぬ……」
「ふふん……あっ!? しまった! 俺の昼飯……とろろ丼だった……」
久礼が勝ち誇ってから丼に目を戻すと、そこには白濁したとろろ芋がたっぷりとご飯にぶっかけられていた。
「何が『しまった』なのかは、訊かないわよ」
「くそ……自分の昼飯には、精通していなかったか……」
「何の話? まあ、いいわ。ヒサノリの精気、ちゃんと精通してるのね。今度確認するわ」
「サーヤちゃん! 確認しなくって、いいから!」
「そう? で、その力を引き出すのが、スペルマスターの仕事よ。だからこそ、騎士側も多少はスペルマスターのこと知ってないと」
「はいはい。おお! 食ってやる! とろろ丼食ってやる!」
久礼が意を決したように丼を掻き込み始めた。
「よろしい。で、コダチはどうするの?」
「ん? 何、サーヤちゃん?」
「何って? スペルマスターを目指すの? それとも騎士?」
「へっ?」
小太刀が思いがけないことを聞かれたとばかりに素っ頓狂な声を上げる。
「だって。タナトスと戦う為に、この学園に来たんでしょ、コダチ?」
「ええ、まあ。確かに、アタシも剣の腕を磨かないとだね」
「ん? スペルマスターは目指さないの?」
「ええっ!? スペルマスターって、サーヤちゃんみたいな素敵なバディじゃないとなれないんじゃないのかな!? 私なんて、ほら! 貧相だし! 魅力ないし! ナイスなバディなんか、程遠いって言うか! ほら、がさつに剣をふるってる方が似合ってるって言うか!」
「貧相? 関係ないと思うけど? どっちのバディになるのにしても」
サーヤが不思議そうに首を傾げた。
「えっ? そ、そうね……そうよね……」
「今日も朝から鍛錬してたみたいだし。騎士を目指すなら、それもいいと思うけど」
「うん……」
小太刀が横目で久礼の様子を伺った。
久礼は丼に顔を埋める勢いで胃に中身を放り込んでいた。
「バディねぇ……」
その横顔を小太刀は複雑な表情でしばらく見つめた。
「何だよ? 俺の顔に何かついてるか?」
実際はご飯粒を頬につけた久礼がようやく相手の視線に気づいて振り返ると、
「フンッ! 別に!」
小太刀は慌てたように目をそらしてそっぽを向いた。
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