第3幕第3場 Let me die...

第27話 第3幕第3場 Let me die... 1

 初めての入寮の夜。その槍振学園女子寮。


「う……うぅん……」


 日も既に変わった深夜に、うなされているような声がある部屋から漏れ聞こえてきた。

 それは新一年生にあてがわれた部屋だった。

 部屋の前のネームプレートには英字と漢字でそれぞれ入居者の名前が書かれている。


「……ごめんなさい……姉様……許して……」


 声の主はサーヤ・ハモーンだった。

 声だけではなく脂汗もその身から苦しげに吹き出てくる。

 汗に濡れたパジャマを身にまとわりつかせ、サーヤは二段ベッドの上で何度も身をよじる。


「私が殺したの……私のせいなの……」


 悪夢にうなされているのだろう。

 目を覚まさないまま、サーヤは一人苦悶に満ちた寝言を漏らす。


「だから……だから、私を――」


 サーヤは眉間に深いシワを刻みながら身悶えする。


「let me die...」


 サーヤはそう呟くとようやく目を開ける。

 まるで沼地から命からがら這い出たように、一刻も早くとその重い瞼を開けた。

 サーヤが上半身を起こすと、どっと額から汗を滴り落とした。


「夢……また、あの夢……」

「ん……どうしたの、サーヤちゃん?」


 サーヤの声に二段ベッドの下で寝ていた鵐目小太刀がこちらも目を覚ます。


「ううん……起こしちゃった? ごめんね、コダチ。何でもないの」

「何、怖い夢でも見てたの?」


 小太刀がベッドの下から顔を覗かせて上にいるサーヤを気遣う。


「うん……嫌なこと思い出して、夢に出てきちゃって……」

「嫌なこと? ああ、もし昨日のことなら、今日アイツを殴っていいからね」

「あはは……そうね。あれを夢に見た方がましだったかもね」

「ん?」

「何でもない。おやすみ、コダチ。朝稽古するんでしょ? 早く寝ないと」

「う、うん。おやすみ」


 小太刀は就寝の挨拶をした後もしばらく上の様子を伺う。

 しかしサーヤは特にそれ以上何か言ってこなかった。


「ちゃんと、寝れたかな?」


 小太刀はそのことを確かめるとベッドのシーツに潜り直す。

 やがてすぐに小太刀は寝息を立て始めた。


「……お母さん……」


 だがサーヤはまだ眠れていなかった。

 シーツの中でサーヤは横向けになり、自分のヒザを抱えて小さな子供のように細かく震えている。

 サーヤの頬に汗ではないものがすっと滴り落ちた。


「……let me die――私を死なせておくれ……」


 そしてサーヤはシーツの中で独り寂しげに呟いた。



翌日。


「何だよ、この学園の授業は!」


 葉可久礼は丼を前に頭をかきむしった。

 入学式の翌日、学園内の食堂に久礼の姿はあった。

 対タナトスのための学園の食堂だが、それ自体は普通の学生食堂だった。

 食券の券売機が入り口近くにあり、セルフサービスで食器の上げ下げをする簡素なシステムだ。

 食堂のメニューもお手頃な価格で、質よりボリュームを重視した育ち盛りの高校生向きらしいものが揃っている。

 広い学園の中には、他にも食堂があったが、ここは一番リーズナブルな品揃えで寮生活を始めたばかりの一年生に人気だった。

 今は実際新一年達を中心に、食堂はごった返している。


「座学! 座学! 座学! 頭パンクするっての!」


 初めての授業がひとまず昼まで終わり、久礼はその食堂で一人煩悶していた。


「何、いきなりキレてるのよ、ヒサノリ?」


 食事を摂るための数人掛けの長いテーブル。久礼の前に座ったサーヤ・ハモーンが、呆れたように半目を相手に向ける。

 サーヤの手には手作りらしきサンドイッチが握られていた。

 そして寸暇を惜しんで勉強する為か、まだ手をつけていないサンドイッチの横に教科書と参考書が積まれている。

 そこに印字されていたタイトルは、『精神感応術』『魔力基礎1』『古典的呪文詠唱学』『形而上学的思考方』『魔術呪文史・中世ヨーロッパ編』など――いかにもな魔術の教科書類だった。

 どれもこれも一番上の一冊だけあった文庫本を覗いて全て真新しい。

 その文庫本だけは、表紙の端々が擦り切れ、持ち主の手垢も染み込んでいそうに黒ずんでいた。

 また何度もページを開いた跡が癖となって、閉じていても自然と開きそうになっていた。

 肌身離さず持ち歩き、何度も読み返さないとこうはならないだろう。

 サーヤは左手でサンドイッチを口元に運びながら、その山から抜き出した一冊の教科書を右手でめくる。


「ヒサノリも勉強しなさいよ」

「タイトルだけで、頭痛くなるわ! 座学ばっかじゃねえか!」


 久礼がテーブルを手の平でバンバンと叩いた。

 八つ当たりを受けたサーヤの参考書類がその振動で軽く揺れる。

 その音に周りの生徒の何人かが何事かと振り返った。


「そのことにキれてたの? 久礼、それは分かってたことでしょ?」


 鵐目小太刀が小さなお弁当箱に箸を運びながら久礼に振り返る。

 小太刀は久礼の隣に座っていた。

 こちらのお弁当も手作りで、卵焼きやウィンナーなどいかにもなおかずが入っている。


「対タナトスの学園なんだから、一日中体動かそうぜ! 鍛えようぜ! ああ、こんなことなら! あの勝負、今日にしとけばよかった! 一刻も早く、剣をふるいたい!」

「久礼、アンタね。腕だけでタナトスを倒せる訳ないでしょ?」

「俺、剣士の方だし! スペルとか唱えないし!」

「それでも、必要よね。サーヤちゃん?」

「そうよ。いくら騎士の腕が良くっても、スペルマスターの力を理解しないと」

「そうかよ? てか、何だよ、あの英語! 何が古典の名作だよ! チンプンカンプンだ!」


 久礼がもう一度強く手をテーブルに叩きつけると、一番上に積まれていた文庫本が軽く宙に舞う。

 『ロミオとジューリエット』――読み込まれ、表紙が擦り切れそうにまでなっていた文庫にはそう題されていた。


参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)

『ロミオとジューリエット』平井正穂訳(岩波文庫)

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