第3幕第1場 Most loving mere folly.

第20話 第3幕第1場 Most loving mere folly. 1

「ぎゃぁぁぁあああああぁぁぁぁっ――」


 男子のものらしい低音で野太く切羽詰まった――しかし何処か態とらしい悲鳴が、新一年生が集まる寮の一角に響き渡った。


「――てな悲鳴を上げてな。鋭い日本刀が、俺の胸に突き刺さった訳だ」


 葉可久礼が筋肉で引き締まった己の胸をドンと音を立てて叩く。

 久礼は学生寮の一室で、無作法にも机の上に腰をかけて座っていた。

 それは周りに集まった他の生徒によく自分の姿を見えるようにする為だった。

 久礼がいたのは寮の談話室だった。

 槍振学園は全寮制であり、久礼は幾つかある寮の一つに初めてその身を寄せていた。

 荷物はまだ机の下に置かれている。

 入寮の前に、全体を集めて説明会が開かれていた談話室で、今は久礼が話題を独占していた。


「おお……」

「どうなってんだ、これ?」


 久礼の周りに集まった生徒たち。特に男子たちの視線が久礼の胸に興味津々に集まる。 

 だがそこには女性化した豊かな胸はすでになく、久礼の剣で鍛えられた胸板があるだけだった。


「だけど、その日本刀が光とともに消えると。ほら、この通り。俺は元の男の姿に戻った」


 久礼は剣道で鍛えた筋肉質の胸をもう一度叩いた。


「スゲェ……」

「不思議」

「まあ、これが俺の自己紹介代わりな。いやぁ、一時はどうなるかと思った。寮の皆も、心配かけたな」

「とりあえず良かったけど、久礼? どうなってんのよ、アンタの胸?」


 久礼の一番前を陣取っていた鵐目小太刀が、その胸元を不思議そうに覗き込む。


「何だよ、小太刀? そんなに俺に胸で負けたのが、悔しかったのかよ」

「そういう意味じゃないわよ! 男に戻れてよかったってことよ!」

「まあ、女の沽券に関わるものな。俺に負けてるようだと」

「うるさい!」

「いや……待て、小太刀。そう言えば。もっと大事なところの確認が、まだだった……」

「はい?」

「沽券と言えばだ……ほい」


 キョトンとこちらを見つめる小太刀の前で、久礼は机から降りて軽く左右に腰を振った。


「お!? ある! 俺の男の沽券ある! ポロンポロンしてる!」

「報告すんな!」


「ぐはっ!」


 小太刀の右の拳がまたも久礼の顔面にめり込んだ。


「まあ、とにかく……戻ったのよね?」

「そうみたいだな」

「何で、タナトスと戦うのに、女性化するのよ?」

「さぁ? どうなんだ、サーヤ?」


 久礼が小太刀の拳から顔を引っこ抜きながら、談話室の壁際の席に振り返る。

 そこでは一人人の輪から外れて、サーヤ・ハモーンが静かに席について本を読んでいた。


「ええ、そうみたいね。あなたに力を戻したから。元に戻ったんでしょうね。でも、そもそも女性化するのが、レアなのよ」

「男のセイキを抜かれたからな」

「だから、堂々と言うな!」


 小太刀の拳がさらに久礼を狙う。


「そうよ。あれはセイキよ……あなたのスピリット――日本語では、セイキって呼ぶのよね?」


 サーヤが何かを思い出そうとするように、天井を見上げながら続ける。


「スピリット? セイキ?」


 小太刀の拳を今度は避けながら、久礼はサーヤに振り返る。


「そうよ、セイキよ。人間の気力とか。精神的なもの? 私の日本語、合ってる? イギリス育ちだから、日本語苦手なのよ。特に漢字が慣れないわ」

「ああ、か!? 精神とか、そっちの精気ね……そっちの精気を抜いたのね……で、俺の精気が、刀になって現れたのか?」

「えっ? セイキって、精気のことなの?」

「ほほう……やっぱなにのことだと思ってたんでしょうね、小太刀さんは?」

「――ッ! ううう、うるさいわね! 精気に決まってんでしょ! さささ、最初から、そう思ってたわよ、精気! てか、それがアナタの異能の力なの?」

「ええ……」


 サーヤが目を合わせずに答える。


「まあ、タナトスと戦えるってんなら、どんなことでもするけどよ。ああ、そうだ。サーヤも自己紹介しろよ。小太刀と俺はもう終わったから。後、自己紹介してないの、お前と、もう一人の男子だけらしいぞ」

「1年3組の男子らしいわ。教室でも、こっちもまだ見てないけど」

「もう一人の男子もしてないのなら、私も要らないんじゃない?」

「それでもよ。自己紹介ぐらいしないと、仲良くなれないぞ」

「……見たでしょ? 私は……タナトスに狙われてるの……私と仲良くしてると、あなた達まで真っ先に命を落とすわよ……」


 その言葉に談話室の人間が一斉に息を飲んだ。


「タナトスに人が喰われるところ、誰だって一度は見たことあるでしょ……」


 続くサーヤの言葉に、ある者は半歩無意識に距離を取り、中にはあからさまに人の背中に隠れるものもいる。


「何だよ、機嫌悪いな。怒ってんのかよ?」


 だが久礼だけは、そんな空気の中、気にした様子も見せずにサーヤに話しかけ続ける。


「はぁ? あんなことされて、怒らないと思ってるの!?」


 サーヤがようやく視線を久礼に向けたが、それは横目でジロッと睨むようなものだった。


「まあまあ。ポヨンポヨンぐらいで怒るなよ」

「ポヨンポヨンが何よ! その前からでしょ!」


 サーヤが怒りに任せて赤い髪を揺らし、本を勢い良く閉じて席を立つ。

 髪だけでなく、赤い目も怒りに燃えて震えていた。


「その前? ああ、校門でな! てか、助けただろ!? まだ怒ってんのかよ?」

「当たり前でしょ!? あなたが、私の! その……む、胸を……胸を……」


 久礼の前まで感情のままに近づいてきたサーヤが、最後は頬を赤らめて視線をそらして立ち止まる。


「あれは倒れたお前を、助ける為だろ? お前も、一応礼を言ってたじゃないか!」

「はぁ! それにしても、あんな助け方しかなかったての!?」


 サーヤが最後は周りの生徒を押し退けて久礼の前に進み出た。


「仕方ないだろ! 掴むところ、あそこしかなったんだから!」

「掴んだ? 掴んだですって? あれを掴んだ――ですって!?」

「いや、まあ……揉んだかな……」


 久礼の視線が泳いだ。

 泳いだあげく、その目は詰め寄ってきたサーヤの胸元に落ちる。


「揉んだかな? あんなことして、そんな言い方!?」

「いや、だが……決してわざと揉んだ訳では……」


 決して態と揉んだ訳ではない胸に詰め寄られ、久礼は再び机に腰掛けるところまで退がってしまう。


「揉んでないって言うの!?」


 サーヤが上半身を荒々しく乗り出し、久礼が腰掛けた机をバンと平手で打つける。


「はい! 揉みしだきました!」

「キーッ! よりによって、そんな言い方!」


 詰め寄り自分で引き出した久礼の返事に、サーヤがやり場のない怒りで机の上を平手で何度も叩いた。

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