第19話 第2幕第3場 Foul deeds will rise. 3

 サーヤは何か納得いかない話を姉としたらしい。

 不貞腐れたように唇を軽く尖らせながら、ちらりと横目で久礼の背中を確かめた。

 その背中に隠すようにサーヤは一本の鞘を持っていた。


「ふん! 木刀など恐るに足らん! この胸のふくよかな丸みで、はじき返してくれるわ! ほれほれ!」


 だが小太刀に向き合っていた久礼は、背中でドアが開きサーヤが教室に入ってきたことに気づかなかった。 

 久礼は小太刀に見せつけるように胸を左右に揺らし続ける。


「何が、ふくよかよ! 丸みよ! あっ……」


 サーヤが入ってきたことに最初に気づいたのは、久礼の肩越しに相手の姿が見えた小太刀だった。


「おい……」


 そして次に教室中の他の生徒達が気づいた。

 何人かの生徒がその登場に半歩後ろに身を退いた。

 タナトスは明らかにサーヤを狙っていた。

 そのことが皆に無意識に距離を取らせたのだろう。


「い、一応礼を先に言っておくわ……」


 サーヤは久礼の背中まで近づくと、すぐに視線を横にそらした。

 視線を相手から外したまま、サーヤは久礼の背中の前で止まる。

 いまだに唇は軽く尖り、その頬は紅潮で赤くなっていた。

 サーヤの手の中で鞘が細かく震えた。

 それは本人の手の震えだった。


「納得はいかないけど……お礼だけは……その、言っておかないと……」

「ちょっと、久礼……」

「それそれ!」

「追いついたら。ね、姉様にまずは叱られたの……助けられたのは、一応……一応事実なんだからって……礼ぐらいは言ったのかって……」

「あ、ほれほれ!」

「ひ、ヒサノリとか言ったわね……最初の時も……結構な距離を……人の目も気にせず、助けに駆けつけてくれたのよね……そ、その……む、胸を……胸を掴まれる結果になったのも、ヒサノリがギリギリで駆けてきてくれた結果だって……上から見てた姉様は言ってたわ……」

「あっ……ほら、久礼……シーッ……シーッ……」

「それに、タナトスとの戦い……あなたがいなかったら……」

「何だよ、小太刀?」

「だから、シーッ! だってば! 久礼!」

「シーッだって、小太刀!? 確かに、そうだ! この大きさ! 形! 盛り上がり!」

「はい? ちょっと、ヒサノリ……何を言って?」


 久礼のその一言に、サーヤはようやく真っ直ぐ相手の方を見る。

 改めて見た相手の背中は、こちらに気づかず、これ見よがしに胸を揺らすために腰ごと左右に振られていた。


「なっ……」

「何って? 見よ! この弾力! 張り! ボリューム! 存在感! 揺れる揺れる!」

「な、なななな……」


 サーヤの目の前で奇妙なリズム感すら漂わせて胸を揺らす久礼の背中。

 その光景にサーヤの顔は見る間に真っ赤になっていった。


「だから! 久礼! シーッ! シーッってば!」

「そうだな、分かるぞ! サーヤのサイズ! この揺れ具合を見れば分かるだろ!」

「なっ……私のサイズ……揺れ具合ですって……」

「おうよ! お前もそう思うだろ? あいつ、性格キツイけど、いいもの持ってるよな! 見よ、このポヨンポヨン!」 

「ポヨンポヨン……」

「おう、そうだ!」


 久礼が背中から聞こえてきた声に、満面の笑みで振り返る。

 振り返った拍子に、これでもかと久礼の胸が弾んで揺れた。


「あ……」


 そして振り返ったところで久礼は固まる。

 体は固まったが、勢いのついていた柔らかな胸は、呑気に二、三度弾んでからようやく止まった。

 待っていたのは殺意に目を光らせたサーヤの暗い瞳だった。


「よ、よう……サーヤ……説教は終わったのか……大変だったろ……」

「何誤魔化そうとしてるのよ、久礼」

「だってよ、小太刀。俺知ってるぞ。誤魔化さないと……殺されるパターンだ。これ」

「……Foul deeds will rise...」


 サーヤがうつむき、その表情を陰に隠して呟いた。


「何だって、サーヤ?」

「Though all the earth o'erwhelm them, to men's eyes...よ……『悪業はきっと露見する、たとえ大地がこぞって、それを埋め隠そうとしても』『ハムレット』第1幕第3場ハムレットのセリフ……」

「はい?」

「……」


 ようやく顔を上げたサーヤが、久礼の右手から日本刀をすっと取り上げた。


「おっ? 俺のセイキ戻してくれるのか?」

「……はぁ? 許してもらえると思ってたの……」


 サーヤはそう冷たく言い放つと、日本刀の切っ尖を躊躇なく久礼の胸に突き刺した。

 何の抵抗もなく、胸から背中へと刃が久礼の体を突き抜けた。

 それと同時にサーヤが背中に隠していた刀の鞘が光ととともに消える。


「キャーッ! 久礼!」


 小太刀が胸に刺さっていく日本刀の様子に堪らず悲痛な悲鳴を上げると――


「ぎゃぁぁぁあああああぁぁぁぁっ!」


 久礼は年相応の〝男子〟に相応しい低い声色でこちらも悲鳴を上げた。


参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)

『ハムレット』野島秀勝訳(岩波文庫)

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