第15話 第2幕第1場 So young, my lord, and true. 2

「let me die!」


 抜けるような青空の下で、幼女らしき舌足らずだが元気な声がこだました。

 時は十年前――イングランド。

 季節は春。ウェスト・ミッドランズに位置するウォリックシャー。そこを流れるエイヴォン川沿いにあるとある街。

 その郊外に、質素だが上品で清潔感あふれる屋敷と、少しばかりの庭を持つ家があった。

 屋敷は明るい色合いの建物で、青々とした芝が広がる庭とともに、広さ以上の開放的な雰囲気を作り出している。


「……」


 歳の頃は5歳ほど、幼い顔立ちの少女が、そのセリフと共に庭の芝生に倒れ込んだ。

 容姿も幼ければ、そのセリフも元気だが拙い。

 そう。それは演劇のセリフだった。

 幼女は小さな手足を苦しいという風に懸命に振り、お腹の底からセリフを出して倒れる。


「はい、よくできました」

「ママ、甘やかしたらダメよ。悲劇の場面なのに、この娘ったらとても嬉しそうじゃない」


 若い母親がその様子に嬉しそうに手を叩き、少し年上の別の少女がぷっと頬を膨らませる。

 陽光の春の日差しの下、赤髪の母親と姉妹が庭で輪を作っていた。

 どこにである幸せを満喫する、どこにでもいる若い親娘連れだ。


「あら、だってお上手だわ。さすが私の娘。あなたの妹ね」

「褒めたってダメよ、ママ。この娘ってば、てんでダメなんだから。何で、そんな嬉しそうに、悲劇のヒロインを演じるのよ?」


 小さな姉が膨らませた頬ともに両腕を胸の前で組んで見せる。


「……」


 更に小さな妹は庭の芝生に顔を埋めてその表情を隠している。


「ほら、起きなさいよ!」


 姉が妹にしゃがみ込んでその両肩を揺さぶった。

 だが妹は頑なに庭に寝転び続ける。

 芝生と地面の隙間から笑顔が文字通り溢れていた。


「もう!」


 姉が業を煮やして妹の脇腹をくすぐった。


「あはは! お姉ちゃん! くすぐったい!」


 妹がようやく顔を上げる。

 そこには屈託のない笑顔が広がっていた。

 くすぐられる前からあった笑顔がそこで爆発した。


「ほら! こんなに笑って! これは悲劇のシーンなのよ!」

「ええっ!?」

「ええっ――じゃないわ! あなたはホント、ダメな娘ね!」

「あははっ! はいはい、二人とも。So young, my lord, and true.」

「『この若さゆえの真実まこと』!」


 二人の姉妹が声を揃えて母に続ける。


「日本語もお上手ね。そうよ。ウィリアム・シェイクスピア著『リア王』第1場第1幕のコーディーリアのセリフよ。小さい頃に感じたことは、ずっと大事になさい。セリフの感じ方なんて、人それぞれよ」

「だって、ママ! いくら何でも、この娘嬉しそうにし過ぎよ! 悲劇のセリフなのに!」

「だって!」

「いいのよ。それがあなたの妹の感性なの。さあ、時間ね。パパをお迎えに出かけましょう」


りりつ 母親が嬉しそうに二人を抱き寄せる。

 本当にどこにである小さな幸せがそこにはあった。


 その遥か上空で――


 不気味な黒い闇が不意に浮かぶまでは……


参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)

『リア王』野島秀勝訳(岩波文庫)

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