第11話 第1幕第4場 Nothing can come of nothing. 2
「……タナトス……」
その例外の一人――葉可久礼が、小さく、それでいて血でも吐き出しそうな程の憎しみを込めてその名を呼んだ。
「……久礼……ダメよ!」
鵐目小太刀が何かに気づいて慌てて久礼の制服の裾を後ろから掴んだ。
「……」
久礼の背中は細かく震えていた。
「久礼……分かってるわよね……アタシと、昔約束したよね……もうあんな無茶はしないって……」
「……」
「……返事しなさいよ、久礼……」
「……」
久礼と小太刀の周りを、他の生徒が逃げ惑う。
そんな生徒達に肩をぶつけられながら、二人はその場で動かない。
「……安心しろよ……もう、あんな無茶はしないって……」
しばらく黙りこんでしまった久礼が、ようやく小太刀に振り返る。
その顔にはわずかに口元に硬さを残した笑みが浮かんでいた。
「……本当? アンタは呑気でスケベなぐらいが、一番いいんだからね……」
小太刀がその視線から目をそらしながら、ぎゅっと竹刀と久礼の裾を握りしめた。
「諸君! これが我らが敵――タナトスだ! タナトスとは、死の衝動! 奴らは、まさに死そのものだ!」
壇上のシースが淡々と、それでいて力強くそう告げる。
シースの声に応じて、タナトスの頭蓋骨が声帯も何もないはずの喉から咆哮を上げた。
「タナトスは、多くの人命を奪ってきた! 不条理に! 理不尽に! 無慈悲にだ!」
「……死を……貴様らに……」
声の出せる肉体など持ってはいないのに、人の言葉は一応話せるようだ。
だがそれはすぐに意味をなさない咆哮へと変わり、人々を恐怖に陥れる雄叫びが体育館中に響き渡る。
「そんな! 私達には、力なんてまだ何もないです!」
「そうだ! まだ何も習ってないぞ!」
生徒の悲鳴に混じって、何もないままにこの状況に引き入れられたを恨み節も聞こえてくる。
「Nothing can come of nothing!」
恐怖と怨嗟の声を打ち破り、シースの流暢な英語が会場全体に叩きつけた。
「『何もないところからは何も生まれない』『リア王』第1章第1幕リア王のセリフ。父への歓心の言葉を引き出させようとしたのに、娘に『Nothing.』と答えられて、その娘コーディーリアに言い放ったセリフね、シースちゃん」
「そうだ、峰子! 新入生諸君! 貴様らは、何かしらの理由があってこの学園にきた! 個々の理由は聞くまでもない! 憎いだろう!? この人類の敵が!」
「――ッ!」
「タナトスは若い人間を好んで襲う! 特に我々のような青少年をだ! だが、それは好都合! 奴らに対抗できる力を最も発揮するのも、また我々の年代だからだ! 我々には何もないのではない! 知っているだろう! もう既に持っているものを!」
「それは……」
生徒が戸惑いがちにお互いの顔を見やる。
「今ここで何もできない者は、何もできない! ならば見事、その場であるものを使ってでも、戦ってみせよ!」
「――ッ! 今……ここでなんて……私にはまだバディとなる
姉の飛ばす命に、サーヤ・ハモーンが狼狽を隠しきれずに視線を彷徨わせた。
その視線は壇上のシースと、その間に現れたタナトスに交互に向けられる。
「あら、妹ちゃん……未経験だからって、いきなりの本番が怖いのね? 峰子にもあったわ、そんなこと。誰でも初めての本番は怖いもんね。いきなりそんな風な流れになっても、こっちにも都合ってものがあるものね! ああでも、誰しもいつかは経験することよ! でも、できれば優しいお相手がいいわよね!? こんな荒々しくされるのは嫌よね!? ああ、でも大丈夫! 峰子も初めての時は、そうだったわ! 怖いけど、ドキドキして! そしていざ始まれば、必死すぎて、あっという間! すぐに甘く切ない想い出になるのよ!」
シースの横で峰子が何か甘く切ない想い出を思い出したのか、うっとりと目をつむり頬を赤く染めた。
「忌まわしきタナトスどもよ! 命に餓えしものどもよ!」
「……おお……ハモーン……」
シースのその呼びかけに、タナトスが絞り出すように応えた。
タナトスは各々シースの方に振り返る。
だがまるで猛獣にでも睨まれた小動物のように、タナトスたちはすぐにその場で固まった。
「私が怖いか? だがそこにもう一人ハモーンの者が居るぞ!」
シースの言葉にタナトスが一斉にサーヤに振り返った。
「しかもその娘は特別――禁忌の力の持ち主。喰らえば、貴様らの飢えはこの上なく癒されることだろう!」
「姉様!」
「こいつ! 妹を生贄にでもする気か!?」
自らの妹を差し出すように告げるシース。そのことに驚きを隠せないサーヤと久礼。
「……ハモーン!」
そのサーヤにタナトスがその不気味な頭蓋骨の目を向ける。
タナトスは宙をすっと滑るように移動すると、錆びた鉄クズでできた体でサーヤに襲いかかった。
参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)
『リア王』野島秀勝訳(岩波文庫)
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