第9話 第1幕第3場 Present fears Are less than... 3

 会場の全員が恐怖と混乱に逃げ回ることになる数分前――


「はいっ! そっちの皆も聞こえる?」


 峰子が今度は皆に向かって大きく右手を振ってみせる。

 その動きでその柔らかな胸が自然に揺れ、胸元のリボンがつられてまるで生きた蝶のように舞った。


「おお! 男女問わずの感嘆の声を出しきったところで、さり気に見せる角度を変えるだと!? 遠くの生徒に気を配り! そしてその動きで、ごく自然と新しい角度を、皆に見せつける! まずは見せた角度から! 何気なく体を向きを変えるだけで、新たな曲線美を見せつけるとは! 芸術とは、見るものの角度によって、かくも新しい感動を与えてくれるものなのか!?」

「この男子……本当に何を言ってるの……」

「ホント……ゴメンなさい……」


 久礼はますます生き生きとし始めた。

 その様をサーヤが不審の極みの目で見つめ、何故か小太刀が代わりに謝った。


「ふふんっ! 聞こえてるみたいね!」

「し・か・も! ちょっと動くだけで、リボンが弾むだと!? この距離で、己が弾力まで視覚で伝える術をご存知とは! 俺たちの目を全体のボリュームとラインで惹きつけて! 揺れるリボンのワンポイントで、内部の質感まで雄弁に物語るとは……俺はまだ……俺はまだ……外観にだけ惑わされていた未熟者という訳か!?」


 久礼の全身からガクッと力が抜け、両膝から床に崩れ落ちた。


「いい加減にしなさい! 久礼!」

「イテテッ! 竹刀でケツを叩くな、小太刀! 揺れるリボンを見逃すだろう!」

「言いたいのは、そこか!」

「あはは……じゃ、始めるわよ……」


 シースの横に並んだ峰子が、ちらりと横目で相手の表情を伺う。


「構わん……覚悟は決めた……」

「はいはい。はーい! 皆!」

「はーい、峰子先輩! 俺、新入生の葉可久礼です! もっと手を振って下さい! 振れば振るほど、お胸が――」


 いつの間にか立ち直っていた久礼が、誰よりも元気に手を振り返す。


「久礼! アンタは! 懲りもせず!」

「痛いって! だからケツを竹刀で叩くな、小太刀!」

「あはは! 元気な子がいるわね! 私は女優――鯉口峰子!」

「キャーッ! やっぱり!? 見たことあると思った! 新進気鋭の舞台女優鯉口峰子よ!」


 生徒達から一斉に歓声が上がった。

 半信半疑だったサプライズが、本当だった瞬間の喜び――それを爆発させる。


「マジかよ!? 舞台修行でイギリスに渡ったって聞いたけど?」

「勿論イギリスでも大絶賛! でも、突然活動を休止したはず……」

「この学園にいたなんて! 感激……」


 峰子の言葉に生徒達は色めきたって、それぞれに語りたいことを話し出す。


「女優!? 峰子先輩、女優なんすか?」


 だが久礼は知らなかったようだ。


「ええ、そうよ。そこの元気な後輩くん! 峰子は気鋭の舞台女優として、その演技力をイングランドでこのシースちゃんに見染められたわ! で、今はこのシース・ハモーン生徒会長の秘書をしてるって訳! 女優だもの! 何だってできるわ! で、もちろん、我が学園の目的はただ一つ! 人類の敵――我らに死をもたらす異形の敵を倒すこと! そう! タナトスの殲滅よ! その為に峰子の女優としての力が必要なら、何だってするわ!」

「……そうだ……その為には、私は何だってする……」


 峰子の言葉に合わせてシースが独り言を呟く。

 その視線はぞっとするほどの冷酷さを放っていた。


「――ッ! 殺気!? またか!?」


 その視線に、久礼が無意識に右手を左の腰に回した。

 そこに刀があればその柄の辺りを、久礼はそれを求めて手を彷徨わせた。


「久礼、何よ? 刀なら、今日から入る寮に直接送ったでしょ?」

「ああ、そうだったな。つい構えちまったが……何だ? 尋常じゃない殺気だぞ、これ……」


 久礼がそれでも抜刀の構えを解かずに額から冷や汗を一つ垂らす。


「ふふ……」


 壇上の峰子が不意に左手を前に突き出した。

 峰子の笑みがとろりと溶けた。

 その笑みは一瞬で、妖艶なまでのそれに変わる。


「うふふ……ウィリアム・シェイクスピア著『マクベス』第1幕第3場――マクベスのセリフ……」


 峰子の頬は紅潮し、目元が一気に潤んだ。

 恍惚の笑みだ。

 突き出された左手とともに、その妖しいまでの笑みが多くの生徒の目を一瞬で峰子に引きつける。

 それは女優にふさわしい妖艶さだった。


「おお……」


 その立ち居振る舞いに男女問わずの新入生が視線を奪われると――


「...Present fears Are less than horrible imaginings...」


 峰子はその忘我の笑みと共に、少々古風な英文を流暢に口にした。

 それは実際は魔法の呪文――スペルだった。

 その証拠に峰子のスペルに合わせて、指先から黒い闇が不意に生まれる。

 瞬く間にその闇は実体のあるものへと変わった。


 ――これが……私達の敵タナトスよ……


 峰子の熱い吐息とともに、その闇から人間の頭蓋骨と錆びた鉄クズでできた異形のものが飛び出した。

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