第8話 第1幕第3場 Present fears Are less than... 2
「ね、姉様!?」
「ふん……The better part of valor is discretion...」
シースは興奮を振り払おうとか左右に首を振り、次に落ち着きを取り戻さんとして静かに少々古風な英文を続ける。
「ウィリアム・シェイクスピア著『ヘンリー四世第一部』第5幕第4場のセリフ! 『勇気の最上の部分は分別にある』……それは騎士フォールスタッフが、死んだ振りで、死地を脱したセリフです! 私に
「私と共に戦うですって? 禁忌のスペルの使い手のあなたが?」
「――ッ! それは……」
サーヤの額からすっと一筋汗が流れ落ちた。
「おい……禁忌のスペルって……」
「あの死を呼ぶ呪文のこと?」
「十年前にも、確か犠牲者が出たって……」
会場中が一斉にざわついた。
同時に冷たい視線がサーヤに寄せられた。
「何だよ、こいつら? 急に色めき立ちやがって?」
久礼がその視線に不快げに振り返る。
「しかも今年は、十年に一度の厄災の年。最悪規模のタナトスの出現が予想されている。足手まといは不要」
「姉様……なら、尚のこと……私は……」
「ふん……やっぱりいくら口で言っても、分からないようね……なら今ここで、己の立場を知らしめるまで……」
シースは不意に壇上の奥にいた教師たちに目配せを一つ送った。
今から起きることに手出し無用――
暗にそんなことをその目の奥の光が語っていた。
「姉様!? 何を!?」
「ふん……峰子!」
会場からのサーヤの驚きの声を無視し、シースは後ろに控えていた女子生徒に呼びかける。
呼ばれて前に出てきたのは、こちらは制服の胸元をはち切れんばかりに膨らませた女子生徒だった。
「はーい、シースちゃん! 皆! 私は鯉口峰子! 生徒会長の秘書よ! 気軽に峰子先輩って呼んでね!」
峰子と名乗った女子生徒は、そのスタイル以上に誰をも魅了する笑顔で皆に手を振る。
「おおぉっ……」
峰子の登場に場の剣呑な雰囲気は一瞬で吹き飛び、新入生は喜色もありありと目を輝かせた。
誰もが目を奪われる美貌の持ち主が、はち切れんばかりに制服の胸元を開けて現れたからだ。
男女問わず一瞬で色めき立つのも無理がなかった。
「おい……あれって……」
「どっかで見たことあるわ……」
「確か――」
生徒会長の秘書と名乗る峰子の登場に瞬時に色めき立った後、新入生達が見せ始めた表情は興奮の入り混じった戸惑いだった。
目の前の幸運が信じらない。
だが信じなければ、このサプライズを味わえない。
そんなせめぎあう葛藤が生徒達の中に瞬く間に走った。
「うっひょう! 新しい年上のお姉様きた!」
だがその中で、一人久礼だけは興奮を隠すこともなく歓喜の声を上げる。
「久礼! またアンタは! ちょっと大きいからって、すぐに反応して!」
小太刀が久礼の脇腹を躊躇なく肘で突いた。
「ちょっと大きいからだと!?」
「いつも、そうでしょ! 確かに、ちょっとじゃないかもだけど」
「違う! 何を言ってる、小太刀! 俺を見くびるな!」
「な、何よ……急に真剣な顔して……」
「俺はボリュームにだけなど、惑わされなどしない!」
「はい!?」
「見ろ! あの曲線美! 質量がありながら、それでいて描かれているのは、何処までもなめらかで艶やかな曲線の芸術品だ! 質量に負けて、無駄な広がりを見せていると、あの美しさは出せないぞ! 量、質ともに賞賛に値する! そうだ! 霊峰と崇められる山ほど、その峰はただただ高ければいいという訳ではないのだ! フォルムの美しさあってこその霊山! 御神体のような、曲線美あればこその御山!」
「こ、この男子はいきなり何を言ってるの?」
姉との確執に一人震えていたはずのサーヤが、この時ばかりは呆れた顔で振り返る。
その眉間には、不審と不信によって刻まれた深い縦じわが浮かんでいた。
「ごめんね……コイツ……いつもこうなの……」
「はい、皆! 峰子先輩は、皆を歓迎しちゃうぞ!」
峰子が軽やかなステップで一歩前に出た。
「おおっ……」
「素敵……やっばり、あの人よ……」
峰子は前に出るだけで、自然と男女問わずの嘆息の声を自然と引き出した。
そして生徒達は峰子のことをやはり知っているようだった。
何よりその登場からわずか数分の一挙手一投足で、新入生皆の視線を奪う魅力が彼女にはあった。
教師も含めたその場にいた全員が――シースを除く全員が、その美貌とスタイルに興奮気味に紅潮する。
だが、その数分後――
「うふふ……これが、私達の人類の敵タナトスよ……皆、生き残れるかしら……」
その峰子によって呼び出された人類の敵に、入学式の会場の全ての人間がすぐに血の気を失った。
参考文献(ウィリアム・シェイクスピア訳文参考書籍)
『ヘンリー四世第一部』小田島雄志訳(白水Uブックス)
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