第15話
お屋敷の中でのんびり生活を始めて三日目。
騒ぎになるといけないので、しばらくは屋敷の敷地内から出てはいけないと旦那様に言われている。
今日の俺、ティウがぼっちゃんに楽器の弾き方教えてるのをのんびりと眺めていた。
平和な光景だ。だけど、そう…。
今日は庭師さんの来る日だ。花をもらってこよう。花があればこの部屋はさらに完璧に近づく。
「ちょっと庭に出てくる」
そう断りを入れ、てってってと庭へ向かう。マスクを外した姿で庭師さんに会うのは初めてだったが、すぐに俺だと分かってくれた。
「ユキか。旦那様から話は聞いてる」
「ユキです。すみません。マスクとってからいろいろあって、庭掃除できてません」
「『神様の化身』にそんなことさせられないだろう、旦那様も」
庭師さんは笑った。よかった。俺をただのユキとして見てくれてる。
「花をもらっていいですか?」
「ああ、いいぞ。外に買いに行くのは無理だろうし。街は大騒ぎになってる。神様の化身が降臨されたって」
大騒ぎって何が一体どうして大騒ぎなんだろう。
「具体的にはどんな感じですか?」
軽い気持ちで庭師さんに聞いてみる。すると、庭師さんは花を切りながら『しまった』という表情を浮かべた。
「バーで騒ぎになったんだよな?そこにお前を知ってる人がいたらしいんだ。八百屋だか魚屋だか。で、ユキがここで住み込みで働いてることをソイツが知ってたからさ」
俺たち以外、庭には誰もいない。表の通りも静かなもんだ。だけど庭師さんは小さい声。
「…この区域、旦那様の命令で道路が封鎖されてる。今は住人以外は入れないし通れないようになってるんだ。俺も通行許可もらって来たんだ」
わお。大ごとになってる。道路封鎖。そうでもしないとここに人が押し寄せるのか?
「それに」
庭師さんは誰もいない庭をキョロキョロして、更に声を潜めた。
「ユキはマスクかぶってたから。神様の化身はマスクをかぶって隠れてるかもって噂が流れてる。神の化身に会ってみたいがために、普通のマスクの人のマスクを無理やりはがすヤツもいるらしい」
心が急に重く暗くなる。俺のせいで、他のマスクさんたちに迷惑がかかっている。
ティウと同じ部屋で数日過ごしているけど、ティウの素顔は見ていない。
ティウはお風呂以外は寝てるときもマスクをかぶってる。恋人である俺にもそこまで徹底してるティウ。他のマスクさんたちも『絶対に誰にも素顔は見せられない』という強い気持ちは同じだろう。
なのに。
乱暴にマスクをはがすヤツがいるなんて。
「そのへんは旦那様が動いてくれてるけどな。だけど全部取り締まるのは難しいみたいだ」
庭師さんは切った花を俺に差し出す。白くて丸いぽわぽわした花だった。
俺は考える。俺は計らずとも、神の化身であり。そう。実態は伴っていなくとも、俺は『神の化身』なのだ。
それからさらに数日経った。昼下がり、この国の学校の教科書などを読んでいるところに部屋がノックされた。
「ユキ、旦那様が呼んでる。ティウさんも一緒に」
使用人頭さんが俺を呼びに来た。王都に手紙を出したというし、何か進展があったのかもしれない。ティウとそんな話をしつつ、案内された応接間に入ると。そこには。
「お、おじいちゃーん!」
森で俺を助けてくれたおじいちゃん。森での出で立ちとは違い、立派な服を着てる。おじいちゃんは俺に深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。てっきり神の国にお戻りになったのかと」
俺が急に消えて、おじいちゃんはそう理解していたようだった。人違いされて連れて行かれてたとは思いもしなかったそうだ。捜さなかったことをめちゃくちゃ謝られたけど、俺は気にしてないよ。
「いろいろあって、ここで働いてた。俺ってすごく運がいい。ここはいいお屋敷だし、それに…」
ちろっと後ろを振り返る。ティウは控えめに壁際に立っていた。
「俺はこの街で好きな人ができた」
命の恩人のおじいちゃんにティウを紹介する。おじいちゃんは喜んでくれる…かと思いきや、難しい顔になった。
あれ。なんでそんな反応?
「所長、どうなさるつもりですか。所長が目を離さなければこのようなことには」
応接間にはおじいちゃん以外にもお客様がいた。仕立てのいい服をキッチリと着た男の人。きっと役人だ。
「…好きなようにしていただくしかあるまい。『神の化身』を我らが管理することなどできないのだ」
おじいちゃんは語ってくれた。
なんでも、俺を王都に連れて行ってそこでお姫様と引き合わせて結婚させる計画が持ち上がっていたらしい。神の化身とお姫様、なんてすばらしい夫婦。王様万歳。みたいな。
「ごめんね、おじいちゃん。それは無理だ。俺はティウと出会ったからね」
おじいちゃんに謝る。
もし、このお屋敷に来なかったら。
ティウと出会わなかったら。
お姫様との運命計画に乗ってたかも。
「そうですか。いいんですよ。この世界で自由に生きてくださるのが一番です」
「せっかく『神の化身』が我が国に降臨されたというのに」
男の人は不満げだったけど、無理やり俺を従わせようとするつもりはないみたいだった。計画がうまくいかなくてブツブツ言ってるけど。すまんね。
「俺はこの数日考えてたんだけど」
ここ数日のこと思い返す。
俺の姿に驚いたお屋敷の人。だんだんと前と同じ態度に戻ってくれたこと。外で騒ぎになってること。見ず知らずの誰かに迷惑をかけてること。
「俺は普通に生きていきたいけど、それはどうも難しそうだ。『神の化身』という立場がついて回るのなら、そういう振る舞いもしなきゃいけないな、と」
このお屋敷の中では普通に接してもらえるけど、ずっとこのお屋敷の中で生きていくわけにはいかない。外ではマスク狩りという蛮行まで行われている。
「旦那様さえよければ、俺はこの街で生きていきたい。『神様の化身』として振る舞う必要があれば頑張る。それと同時に、身の丈にあった生き方を探したい」
普通は望めなくても、できるだけ普通に。普通ってなんだっけ。むずかしいのう。
「ユキが望むのなら、力を貸そう」
旦那様は穏やかに微笑んだ。いつも通りの旦那様だった。そんな旦那様に対し、役人風の男の人は厳しい口調。
「神の化身にそんな口の利き方をしては」
「私もユキの姿を見て驚いて戸惑いました。ですが、ユキはユキなんです」
旦那様は苦笑いした。予想するに、俺の素顔を初めて見たときの衝撃を思い返してるんだろう。衝撃は大きかったけど、でも俺は俺だった。っていう苦笑いだ、きっとね。
「旦那様、やっぱり旦那様は立派な旦那様だ」
口入屋のプロレスラーの言ったことは、やっぱり本当に真実だった。あ。そういえばあのプロレスラー、処罰されたりしてないだろうか。ま、大丈夫か。
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