第11話
ざぶざぶごしごし。水は冷たいがせっせと洗濯に励む。ふんふんふーん。
「今日は一段と元気だな。デートの日か?」
鼻歌歌ってたせいか、一緒に洗濯してた先輩に冷やかされた。
「はいっ!聞いてください!俺の恋人は歌うたいで、バーで歌ったりしてるんですけどね。俺、今日、そのバーに聴きに行くんです」
今日はデートじゃなくて、お客さんとして聴きに行く。ティウに『聴きにきてもいいよ』って言われた。ほんのりツンデレ入ってて可愛かった。
「そ、そうか」
「ふたりきりのときは俺のために歌ってくれるけど、たくさんの人の前で歌うのを聴くのは初めてだから。なんだかワクワクしちゃって」
バーのオーナーにお願いされるくらいだから、きっとお客さんの反応もいいんだろう。楽しみだな。
「そ、そうか。分かった分かった。ほら、手を動かせ。それは旦那様のシャツだから、丁寧にな」
先輩は俺の惚気に付き合う気はないようで、話を終わらせてしまった。もっとティウのこと自慢したかったが…仕事はせねば。これは旦那様のシャツなのか。生地を傷めないように注意深く洗わないと。
その日の夜。
ティウに書いてもらった地図を手に、俺は初めてバーというところに足を踏み入れた。ドアを開けると、薄暗い空間。小さい店だった。
「いらっしゃいませ。…ユキさんですか?ティウから聞いてます。どうぞこちらへ」
あらかじめティウが俺のことを話していてくれたようで、お店の人は俺のこと知ってた。この人がオーナーさんかな。
「俺は隅っこの席でいいです。ティウが緊張するといけないから」
オーナーさんはマスクの俺にステージ近くの席を勧めてくれたけど、俺は固辞。ステージから一番遠い、はじっこの席。俺はそこに腰を下ろし、今か今かとティウの登場を待つ。店内は静か。お客さんはお酒を楽しんでいた。
ティウの歌を聴く目的で来た人も、ひとりくらいはいるだろうか。そんなことを思いながら、俺も少しお酒をいただく。
ちびちびお酒を飲むマスク姿の俺に、ちらっと目を遣るお客さんもいたけど別に何も言われない。この世界かこの国かこの街か、とにかく今の俺の生活圏内でのマスクの扱い。表立って差別するものではないが、仲良くしようと思わない。
それが多くの人の無言の意見だ。
まあね。それは仕方ないかもしれないけどね。寂しい気持ちにもなる。
少ししか飲んでないけど、久々の酔っ払った感覚がやって来たころ。
ティウが音もなくステージに現れた。そして、楽器を鳴らし静かに歌い始めた。この店ではお酒が主役で、ティウの歌はお酒を楽しむための添え物。
でも、綺麗な音を奏でて歌うティウに、お客さんの視線が集まる。ティウの歌は、ただのBGMじゃない。
一曲終わると小さい拍手がいくつかのテーブルから聞こえて、俺も嬉しくなる。
ティウはすごいだろ?なあすごいだろう?心の中でお客さんに自慢する。
見えてるかどうか分からないけど、ティウに小さく手を振る。俺はここでティウを見てるよ。
そして、次の曲が始まった。
これ、聴いたことある。前のデートで歌ってたやつ。目を閉じて聴き入る。デートのときに聴いたのは楽器なしでもう少し速いテンポだった。あれもよかったけど、これもいい。しっとりした感じ。
ほうっと溜め息が漏れる。ティウのこと、好きだな。もっと人気が出てほしい。だけど俺だけがティウの良さを知ってるというのも捨てがたい。
ううん、俺がティウの歌を独り占めしてはいけない。二人きりのときは、俺がティウを独り占めしてるわけだし。
と、俺がティウへの気持ちを噛みしめているその時。
事件は起きた。
「いつまでマスクに歌を歌わせるんだ!辛気臭えな!」
突如、本当に予想だにしなかった、客の一人からの罵声。それがティウに向けられた。
歌は止まり、俺の心臓も止まった。止まったように、冷たくなった。
「酒がマズくなる!引っ込めよ!」
周囲のお客さんが迷惑そうに眉をひそめ、オーナーさんがカウンターの向こうでお酒を作る手を止めて客に何か言おうとする。
しかし、それよりも早く。
「ティウの歌はいい歌だ!」
静まり返った店内に、俺の怒りの声が響く。店の端っこから罵声の客の元へずんずん。頭に血が上るってこういうことか。
「マスクだからって…何が悪いんだよ。俺たちが何か迷惑かけたか!?」
罵声を浴びせた客に詰め寄る。悔しい、すごく悔しい。マスクだからという理由で、ティウが傷つけられたのが悔しい。
「はあ?視界に入るだけで迷惑だろう?」
男は俺をじろじろ見て、バカにしたように笑った。あからさまに侮蔑を向けられるのは初めてだった。なんとなく避けられることはあっても、悪意を向けられるのは。
こんな、こんなことって。
「ユキ、いいよ。やめて」
ティウはいつの間にかステージから降りていて、俺の後ろから袖を引っ張った。
くるりと振り返る。マスク姿のティウ。マスクの下でどんな表情なんだろう。怒ってるのか、泣きそうなのか。俺は泣きそうだよ。
「いいわけあるか。ティウが、ティウの歌が…」
涙をこぼさないように歯を食いしばる。息をするのも難しい。ティウは俺を落ち着かせるように両手で俺の右手を握り込む。
あたたかい。
男のことは許せないけど、ここは我慢しなければ。
そう思ったが。
「悔しかったら素顔晒してみろ」
男が俺のマスクを後ろから掴み、乱暴に引っ張った。口の部分のボタンが取れ、ずるりと俺の顔が暴かれた。
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