第9話

初めてティウの家に行ってから数日後の昼休憩。


「はあ」


俺は昼食のサンドイッチを手に溜め息を吐く。すると、使用人仲間のひとりが俺の背中をさすった。


「どうした?調子悪いのか?」


「ティウと…恋人と結婚したいなと思って」


ぶふっ。

使用人仲間が口に入ってたサンドイッチを噴いた。一緒に休憩してた使用人頭さんは笑うこともからかうことも呆れることもせず、難しい顔で俺に告げた。


「結婚か。今は難しいんじゃないか?三年は住み込みの契約だろう?」


そんな契約だったのか。知らなかった。俺はモグリだからな。どんよりした気持ちでサンドイッチに目を落とす。


「そうですね…。三年か」


さんねん…。長いな。まだまだ先だ。ここに来てから半年以上は経つから、まだまだでもないのか?まだまだなのか?どっちだ。いや、やっぱ長いよ。俺は明日にでも結婚したいんだ。


「三年経てば、外に住まいを持って通いで働ける。それまでは恋人に待ってもらいなさい」


使用人頭さんは俺を励ます。俺も少しばかり冷静に考える。うーむ。まだ結婚の話をティウにしてないし、先立つものもないし。


「三年って聞くと長い気がするけど、耐えます。耐えるっていうか、結婚するならお金貯めなきゃいけないですよね」


住み込みだから今は大してお金使わないけど、結婚したら物入りだろうな。サンドイッチむせた奴はまだごほごほ言ってた。


そんな感じで時間が過ぎ。週に一度のデートのある日。


「いらっしゃい」


初めてティウの家にお招きしてもらってからというもの、俺たちのデートは家デートが多くなった。俺が晩ご飯作って一緒に食べる。お屋敷では活かされない、俺の居酒屋B級グルメの腕。


「ユキ、料理上手だね。今日も珍しい料理?」


狭いキッチンで俺があれこれ作るのを、ティウは毎回物珍しそうにのぞき込む。

大根サラダ、つくね、しゃきしゃきキャベツチャーハン。などなど。

この世界では似たようなものはあれども微妙に違う。そんな俺の居酒屋料理をティウは喜んでぱくぱく食べてくれる。


「洗い物は僕がするから」


食後にティウはそう言ってくれるが、俺は流し台を占領しティウを椅子まで追いやる。


「いいよ。座ってて」


俺はちゃっちゃか洗い物。仕事でもやってるので慣れたものだ。


「なんだか申し訳ないな。いつもいつも」


「ティウのためなら何でもするよ」


洗い物もするし、買い物もするし、掃除もするし、マッサージだってするよ。大きい家が欲しいと言われれば、身を粉にして働く。


「ユキって不思議だよね」


不思議な存在であることは間違いない。なんてったって、違う世界から来たのだから。だけどそれはおくびにも出さずに、おどけてみせる。


「そう?」


「ユキもマスクだけど僕もマスクだから。僕のことを好きだって言ってくれて、何でもするって言ってくれる人がいるなんて思ってもみなかった」


一瞬思考が止まり、そしてゆっくり動く出す。


「俺以外がティウのこと好きにならなくてよかった。俺だけがティウの魅力に気付いたんだもんな。って、まあ、そう解釈するのは簡単だけど…」


好きだと言ってくれる人がいるとは思わなかったって、そんな悲しいことを言わないでほしい。ううん、違う。言ってもいい。いいんだけど、何ていうか。かなしい。


洗い物を終え、俺もテーブルにつく。マスクをかぶっていて、表情は見えない。それは俺も同じことなんだけど、俺はマスクの下で真剣な顔をした。


「ティウの顔を見たい」


ティウは首を横に振る。


「…それは、だめ。絶対見せられない」


「俺も。おじいちゃんから『絶対マスクを取るな』って言われた。だけど、ティウになら見せてもいい。信じられる」


マスク仲間だから見せても平気というわけじゃない。ティウだから見せられる。


「無理だよ。僕もユキの顔を見たいって言わない。だから本当にごめん」


ティウはどうしてもできないというような、つらそうな声で俺に謝った。マスクを取るということ、素顔を晒すということ、それはとてもハードルが高いことなんだ。今の俺には、心の大事な部分を委ねることはまだできないのだろう。


「ううん。俺こそごめん。無理強いするつもりはなかった。ティウが傍にいてくれたら、それだけでいい。もう顔を見たいなんて言わない」


テーブルの上のティウの手を取る。楽器を弾いているので指先が固い。音楽が好きな、一生懸命な手だ。


「ありがとう」


どんな顔か知らなくても問題ない。だって俺はこんなにティウが好きだ。

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