第8話

ティウとのお付き合いが始まった。え?始まったよな?


毎日会いたいけどそれは仕事もあって無理。会えるのは結局今までと変わらない週1かそこら。

だけど変わった。

ティウは楽器を持ってこない。俺がそれでいいと言った。

夜の街をふたりで散歩する。そして公園のベンチや川べり、そこで俺のためだけに歌ってくれる。楽器がなくても、ティウの歌声だけで俺は死にそうになる。心臓がぎゅううっとなるのだ。寿命が縮まってるかもしれないけど、それでもいい。


そんなある日。


「ユキ、今日はデートの日だよな?雨が降るかもしれないぞ」


外出許可を取りに行くまえに、使用人頭さんのほうから声かけてくれた。俺のデートの日を、使用人のほとんどが知るところになっている。


「雨か…。うーん、まあなんとかなるでしょう」


なんとかなるかな。普通だったら店に入ったりするんだろう。だけど、店は入りたくない。

一度どこかの店に入って晩飯食べるか聞いてみたことあるけど、ティウは店には入りたくなさそうだった。俺たちがマスクだから、無用なトラブルは避けたいと。ティウは言外にそう滲ませた。やっぱ世知辛い世の中なんだ。


雨が降らないように祈りながらも、ティウとの待ち合わせ場所へ意気揚々と向かう。

そこにティウはもう来てた。

川べりに座って鼻歌を歌ってた。やわらかいメロディ。鼻歌でこのレベル。俺の胸は高鳴る。好きだとどれだけ伝えても足りない。


「おまたせ。今日はいいものあるよ」


ティウの隣にすとっと座り、砂糖菓子をティウに差し出す。結構高価なものらしい。王家御用達の砂糖菓子だわ!とメイドさんがキャッキャ言ってた。奥様が使用人のみんなにと分けてくれたものだ。


「いいの?」


「もちろん」


ティウはマスクの口元部分を外し、壊れ物を扱うようにそっとお菓子を摘まんでゆっくり口に含んだ。もむもむと口を動かしながら、ティウは俺に聞いた。


「ユキは今日はどんな仕事した?」


今日一日を思い出す。何したっけかな。


「今日は薪割りとイモの皮むきと、庭掃除。庭が広いから掃除のしがいがある」


庭師さんが来ない日、俺は庭の番人だからね。旦那様や奥様がいつ散歩するか分からないし。いつも綺麗な庭にしとかないと。


「ユキって前向きだね」


前向き。自分でもそう思う。この世界に来て、なんとかなる精神で今日までやってきた。


「貴族のお屋敷で住み込みなんだよね。つらくない?」


つらいかどうか。それは即答だ。


「全然。やることは多くて忙しいけど、いいように使われてるわけじゃないし。旦那様も奥様も、俺がマスクでも気にしない人なんだ」


俺はマスクの下でニッと笑う。それがティウにも伝わったのか、ほっと息を吐く気配がした。


「それならいいんだ」


「俺のこと、心配してくれた?」


そう聞くと、ティウの手は所在なくもそもそ動く。


「少しね。ユキは前向きだから大丈夫だとは思うけど。やっぱり、その」


ティウはティウで、ツラいことあるんだろう。

夜に人の少ない路地で歌ってること。店に入りたがらないこと。世の中を変えることはできないけど、ティウを守ることならできる。俺ならきっとできる。

にじにじ。にじり寄る。

ティウの肩に肩をくっつける。ティウの肩はびくっとしたけど、俺から離れることはしなかった。


そんな感じでいい雰囲気になったその時。

ポツリポツリ。雨が降って来た。雨め。こんな雰囲気のときに降って来るな。空気読んでくれよな。と、空を見上げて恨めしく思っていると。


「ウチに来る?」


俺の耳、自分の都合のいい幻聴が聞こえたのか。そう思って、隣に座るティウを見る。ティウは今度こそはっきり口を開いた。


「来る?でも、変なことしたら叩き出すよ」


「しません!」


俺は勢いよく立ち上がった。


川沿いを歩き、小さな橋を渡り。下町の一角、小さな家々が並ぶところ。

そこにティウの家があった。


「おじゃまします」


玄関入るとすぐにキッチン。間取りは1DKのようだ。ここに住んでるのか。ティウの匂いがする。


「突っ立ってないでそこ座って。今片づける。お茶を淹れるよ」


テーブルの上にはたくさんの紙が散らばっていた。それを重ねていくティウ。


「これは?」


「書きかけの詞とか、曲」


俺の知ってる楽譜ではないけど、何かそんな感じのものが見えた。しっかり書き込まれたものもあれば、メモ書きのようなものもあった。


「自分で作ってたんだ。知らなかった」


俺はまだティウのこと知らない。ティウ検定5級がいいところだ。


「今まで歌ってた歌の中では、何曲かだけだよ」


照れたような声を出して、ぱっぱと紙を片づけていく。俺は照れてるティウが可愛くて、にへにへする。マスクかぶっててよかった。かぶってなかったらドン引きされてるだろう。今の俺、そんな表情をしてる自信がある。


「すごいよ。本もたくさんある。読書家?」


本棚にはぎっちりと本が並べられてて、収めきれないのか本棚の上にも置かれていた。俺は感心しての発言だったのだが、ティウは意外な反応。片づけの手を止め、すうっと息を吸った。


「詞を書くのに、心理描写や心情理解のために読んでた。だけど、今はあんまり読んでない。ユキと一緒にいて、いろいろ分かってきたから。人を好きになることとか、寂しく思うこととか」


それって。それって。

本を読んで頭で理解してた恋というものを、本を読まなくても心で理解したということか。

理解、じゃない。

なんていうんだろ。


覆面の 下の頬色 桃色の 胸に染み入る 恋心


なんだそれ。短歌を一句詠んでしまった。一句詠んでる場合じゃない。人間は嬉しすぎると混乱し、混乱したら訳の分からないこと思いつくんだな。


ティウの白い手を見つめて、俺は心臓を押さえた。

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