第6話

花を用意せねば。

当日の昼休憩のときに買いに行けばいいだろうか。いや、何日か前から花屋見て回って下見したほうがいいかもしれないな。


そんなことを考えつつ、今日の昼休憩は小石拾いに精を出す。


お金持ちの大きい屋敷が並ぶだけあってゴミなんかひとつも落ちてないし、街路樹の手入れする人が落ち葉の掃除なんかもしてるけど、小石は落ちてるのだ。大きい石なら避けるけど、小石だから気付かずに踏む。踏んだら痛いんだよ。石畳の歩道なので、小石が落ちてるかどうか分かりづらい。

だから、はいつくばって手のひらで地面を触る。


そうして十数メートル進んだ頃。馬車が走って来た。車輪が通りの石を弾いて歩道に転がるんだろうなと思っていると、その馬車が俺の隣で止まった。そして、窓を開けて顔を覗かせたのは。


「ユキ?何をしているんだ?」


俺は慌てて立ち上がって頭を下げる。


「旦那様、お帰りなさい。俺は小石拾いの真っ最中です」


旦那様は首を傾げた。


「通りの小石拾い?そんな仕事、ウチにあったか?」


「仕事じゃないです。俺は今、休憩中なので」


俺の返事に、旦那様は不可解そうな表情。そらそうか。なので、俺は事情を話す。

俺はいい暮らししてるけど、そうじゃないマスクの人もいる。どこかの家のマスクの使用人が裸足で歩いてるのを見たことがある。だから俺はこの辺の小石を拾ってる。


「何かが変わるわけじゃない。それは分かってます。でも俺は石を拾いたい」


旦那様は考えこむように目を閉じ、そして息を吐いた。


「そうだな。だが、そのユキの心根は…伝わった」


旦那様はそう言い残し、馬車の窓を閉めた。お屋敷に向かってゆっくり走る馬車。俺がさっき小石拾った歩道に、また小石が飛んだかもしれない。小石拾いは永遠に終わらない作業である。


それから数日後。

俺が花屋に行ってみようとした昼休憩時に旦那様に呼び出された。何かしたっけ。悪いことは何もしてないと思うけども。モグリで働いてること以外は。


「この前の話だが。この地区で、使用人に対して不当な扱いをしている家があった。

そこに指導が入ったから…それで全てが解決するわけじゃないが、一応ユキに伝えようと思ってな」


俺が見た、裸足のマスクの人の勤め先だろうか。この地区の一軒の家での出来事がひとつ解決しただけで、まだまだマスク人権問題は根深いだろう。

それでもあの人はもう裸足じゃない。ひとまず、それはそれでよかった。


「旦那様、ありがとうございます」


俺は深く頭を下げて感謝する。やっぱ侯爵様だけあって、権力あるんだろう。侯爵様がどの程度エライのかイマイチ分かってない俺だけど。


「ユキはよく働いている。何か欲しいものはないか?」


欲しいもの?


「あります。庭の花を分けてください」


庭には綺麗な花がたくさん咲いている。庭師さんが育てた花だ。密かにティウに似合うと思ってる花がある。


「部屋に飾るのか?」


「ちょっとその。プレゼントに。今度摘ませてください」


フフフと笑いが漏れる。そんな俺を見て、旦那様はキョトンとしていた。変な奴だと思われたかもしれない。


ともあれ、俺はうまい具合に花を手に入れることに成功した。ピンクの花びらが重なってる花。名前は知らない。

そしてやっと、この前の夜から一週間。長かった。恋をする俺に、一週間は長かった。俺が恋をしてる話は使用人仲間に広まっていて、手先の器用なメイドさんが花束を作ってくれた。


夜、俺は花束を手に意気揚々と外出。約束通り、ティウはこの前の場所で歌っていた。聴衆は俺ひとり。なんて贅沢な。


歌が終わったところで、俺は花束を差し出した。


「本当に持ってきたんだね」


ティウは花束を受け取ってくれた。マスクの下、どんな表情なんだろう。声だけ聞くと呆れてるようだけど、表情は。


「俺は約束は守る男だ」


少しの間があり、ティウは花束を口元に寄せた。


「ありがとう。…君はヘンな人だね」


「だけど、悪い人間じゃない。自分で言うのもなんだけど」


俺のこと、少しは意識してくれただろうか。俺の真剣な恋心は届いただろうか。


「じゃあ、もう一曲」


楽器をかき鳴らし、ティウは歌った。ゆったりとした旋律の、恋の歌だった。マスクかぶってても視界は良好。楽器を弾くティウの白い手も、ピンクの唇も見える。

だけど、マスクを脱ぎたくてたまらなくなった。遮るものなくティウを眺めたい。が、耐える。おじいちゃんの言いつけを守らねば。


曲が終わると、俺は静かに拍手した。


「こんなに上手なのに、どうして俺しか客がいないんだろう」


「マスク姿だからね。仕方ないよ」


ここにもマスク人権問題があるのか。暗澹たる気持ち。


「知り合いがやってるバーがあって、そこでも時々歌ってるんだけど…。マスクだからってお客にいい顔されないこともあるんだ」


ティウは溜め息吐いて、そして空元気のような声を出した。


「まあ、これでも、先代の領主様のおかげでだいぶ住みやすくなったんだって」


住みやすいと言ってもマスクを脱ぐことはできない。


「俺、最近この街に来たから。あんまりよく分かってなくて」


俺は違う世界から来た人間で。しかもモグリの奉公人で。マスク人権問題に何ができるでもないけど、俺は恋に落ちたのだ。

マスクで顔が見えない相手に。マスクで顔の見えない俺が。


俺の視線がどこに向かってるのか分からないのをいいことに、俺はじいっとティウの唇を見た。キスしたらどうなるんだろう。いやいや、襲ったりしないよ。ちょっと想像してるだけ。


「君の名前を聞いてもいい?」


変質者一歩手前の想像してるところに名前を聞かれ、俺は盛大に挙動不審。


「お、おっ、俺、ユキ」


「ユキ。花をありがとう。また聴きにきてくれると嬉しい」


マスクの下でティウが笑った。そんな気がした。

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