第5話
寝て起きたら平気かと思ったが。
「はあ」
イモの皮むきの手が止まる。溜め息が出ちゃう。そんな明らかに様子のおかしい俺に、料理人さんが声をかけてくれた。
「どうした?ユキ」
俺はもうひとつ溜め息。
「昨日の晩、恋に落ちました」
料理人さん、持ってた鍋をどんがらがっしゃん。でかい音にびっくり。
「大丈夫ですか?」
「ユキこそ大丈夫か?いきなり何があったんだ?」
料理人さんは顔を引きつらせつつ鍋を拾う。
「俺は大丈夫ですよ。昨日の夜にお遣いに出て。そこで偶然出会ったんです。でもね、相手は男だし、この気持ちは気のせいかなって思ったけど…。
朝になってもドキドキは収まらないから、これはもう恋以外の何物でもないんですよ」
昨日の夜、あの人のことを思い出してまた溜め息。切ない気持ちにさせる声だった。あの声、あの歌、また聴きたい。
「そ、そうか。まあ、男同士でも別に構いやしないだろ」
聞くところによると、同性で付き合ったり結婚したりは普通にあるらしい。よっしゃ。
「ユキは変わってるな。その、マスクをかぶってるやつらは大抵消極的で大人しいもんだが」
料理人さんは遠慮がちにそう言った。俺はあまり会ったことにないタイプのマスクなんだろう。
「生まれがちょっと特別なもので」
生まれが特別というか、ここにいる事情が特別というか。森以前は、普通に普通の学生として暮らしていたんだから。
「なんにせよ、前向きなのはいいことだ。ほら、手を動かせ。坊ちゃんはイモ料理が好きなんだ」
そうかそうか。ではイモの皮むきをしっかりせねば。でもすぐに昨日の歌を思い出して溜め息。はあ。今日も歌ってるかな。行きたい。
とは思うものの。
住み込み奉公人の俺は、夜遅い時間に出歩くことはなかなか難しい。ううむ。勝手に抜け出すのはイカンし。俺は真面目なモグリの奉公人なのだ。
出かけたい出かけられない会いに行きたい会いに行けないと悩んで数日。皿洗いしてるところに、使用人頭さんがやってきた。
「最近、ぼうっとしてるだろう?何かあったのか?」
皿洗いを中断し、使用人頭さんに向き直る。
「いや、ちょっと。夜に出掛けたいなと思ってて」
「夜に?」
俺の言葉に使用人頭さんは不審そうに眉を顰めたが、そこに料理人さんが口を出した。
「ユキは街中で恋をしたそうなんですよ」
「ちょ、ちょっと。本当のこと言うの止めてくださいよ」
俺が照れてうへへと笑う。使用人頭さんは一瞬、宇宙人見つけたみたいな目で俺を見た。そして手を頭にやって、何か考える仕草。
「夜か…。毎日は困るけれど、出かけたいときは私に許可を取りに来ればいい」
「本当ですか!?」
「ああ。奉公人とはいえ、ここに24時間縛り付けてるわけじゃないからな。だけど、日付が変わるまでに帰ってくること。翌朝の仕事に支障がでないようにすること。それに、充分に気を付けること。それが約束できるか?」
俺のテンションぐんぐん上がる。
「はいっ!早速今夜出かけていいですか?」
俺の勢いに、使用人頭さんも料理人さんも呆れた表情を浮かべた。
くるくる忙しく働き回り、いつもなら一日が終わるころ。今日はまだ終わらないんだぜ。
許可を取って夜間外出。
ふう。ドキドキが止まらない。足がもつれんばかりの勢いでこの前の場所に向かう。今日もいるかな。いてくれ。いますように。祈る気持ちで歩みを進める。
すると。
聴こえてきた。あの声。俺はフラフラと引き寄せられる。
大通りから一本入った少し寂しい道。ぼんやりした街灯の下で、歌っていた。
「前にも聴いてくれましたよね」
曲が終わると、俺にそう話しかけた。マスクをかぶってるけど、歌うためだろうか口元だけ開いている。唇がピンク色だなと急に意識し、俺は挙動不審。
「あ、はい。来ました。あの、いつもここで歌ってるんですか?名前を教えてください」
ドキドキするあまり、早口でまくしたててしまった。いい印象を与えたいのにこれじゃあ危ないファンだ。
「たまにここで歌ってます。名前は…ティウ」
名前をゲット。綺麗な名前だ。
「次はいつですか?その日にまた来ます。今度は花を持ってきます」
「花?面白いことを言う人ですね」
ティウは呆れるような口調でそう言いながら、マスクを整えて口元も隠した。今日はもう歌わないのか。俺を警戒してるのか。いや、まあ、警戒されるのもやむなしの状況だ。だけど。
「俺は本気だ。本気で…一目惚れしたんだ」
俺の人生、今まで生きてきたなかで一番真剣に言葉。それが届いたのかどうなのか、ティウのマスクの下から少しくぐもった声が聞こえた。
「僕もマスクをしてるから、顔は見えないでしょう?」
「そうだけど。歌ってる姿に一目惚れしたんだ」
二度目のコンタクトでこんなこと言ってよかったのか。理性や建前を無視し、俺の口は好き勝手にしゃべる。ガツガツしすぎて引かれただろうか。恋愛経験ぺらぺらな俺は、駆け引きというものをマンガやドラマの中でしか知らない。実戦経験皆無。
というか、駆け引きという段階でもないだろう。まだ知り合いかどうかも怪しいというのに。俺の頭の冷静な部分は「おい、危ないヤツ一歩手前だぞ」と俺に警告してくる。
分かってるけど俺の口は頭を無視。
自分でも何を言ってるのか分からない状態ではあったが、ティウの肩が少し震えたのを見て俺の口は喋るのをやめた。
「本当に面白い人。次は、来週かな。来週の同じ時間に」
ティウは笑ってくれた。
「絶対に花を持ってくる」
俺のセンスが問われる。好きな人に贈る花。
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