執筆最終日
六畳半の小さな部屋にタイピング音を奏でた。
座る、横たわる以外はできない床の散らかり具合。
ノートパソコンの横には、無造作に置かれた空瓶の山。
カーテンから一筋の光が差され、陽が昇ったことを知った。
「ここの締め切り間に合わないかもな……」
ああ。これは佳境だ。
ふと、眠い眼を両手で擦った。
けれど、視界は変わらない。まだ目標字数までは半分以上もある。
「落ち着こ~う。自分のペース~!」
声のトーンは、ビブラートを効かせたつもりのソプラノパート。
自作の替え歌を口ずさみながら、部屋を密閉するようにカーテンを閉めた。
* * *
飯が美味い。
アパートの管理人さんに飯を作ってもらった。
メニューはニラ玉にカレーライス。
「若くても、ちゃんと栄養摂らないと身体こわしちゃうよ~?」
ありがたいお言葉には目も耳もくれず、
ただ、ひたすらに食にがっついた。
「ごちそうさまでした」
米粒一つ残さずに、食べ終わった食器を丁重に持っていく。
食べさせてもらったんだし、食器くらい洗ったほうがいいだろうか。
「……でね。あ、そこに置いといて。ごめんね。うちの旦那も一緒にと思って」
部屋ののれんをくぐると、人は姿勢をよくして仏壇に語りかけていた。
入居したときから、男か女か判別しづらい容姿だと思っていたが、
これでようやく、性別が割れたな。
「ありがとうございました」
「今度はあんなこと、しないでよね」
女は外に配置された共同洗濯機を指差した。
倒れるにしても、場所は選んだほうがよさそうだ。
「気を付けます。では」
「ああ。ちょっとまって」
女は口上で引き止めた。僕は目線だけを背後によこす。
「またおいで」
玄関のドアを開けると、入り口に付近には貯まったゴミのポリ袋。
腐敗したような異臭が鼻腔を刺激させた。
「くっせー」
いつもはそんなこと言うだけ言って、気を紛らわしていた。
けれど、その日はそれすらも頭に響いてくるようで。
僕は、一直線で玄関を抜けた。
いつもの六畳半の部屋。
部屋の灯りもつけずに、散らかったモノを踏みながら、パソコンの電源を付ける。
急かすように。
画面をみると、自分の甘さに落胆した。
「やっぱりだ」
これは、適当にやっていいものではない。
時間をどれだけかけてもいいものなんだ。
けれど……。
それから、文を一行ずつ消していった。
* * *
彼女の連絡先を再度確認して、もう一度電話を鳴らす。
一人暮らしを始めてから一切連絡を取っていない母には電話がしづらかった。
電話をする理由は、特にない。
ただ、自分の理解者であると思っていたから。
『この電話番号は現在使われていません』
一定の機械音声でそうアナウンスされると、僕は身体を倒し、
おもわず渇いた笑いを漏らす。
「僕、本当に……お前のこと」
最後まで言うのはやめた。過去を振り返るのは時間の無駄だ。
それが向けられた行為で。向けた好意だとしても。
「仕方がない」と、言い訳を言い始めて何日が経っただろうか。
人は常に刺激を求める。
その刺激は自分の糧となり、武器ともなる。
「今日から管理人になりました。どうぞよろしくお願いします」
玄関から響いてきたのはそんな、
どうでもいい挨拶。
代わり映えのしない、つまらない日々は『夢』をモノクロに染めていく。
毎日、生きていて『面白くない』なんて思ってしまうのは、もう嫌だった。
実家に帰ってきた。
コンビニのアルバイトを始めた。
「どうして帰ってきたの?」
あの部屋に囚われたくなかった。
そして……
「久しぶり」
約束を忘れたかった。
---
半年後。
「どう……かな? これ」
「私に読ませてる時点で相当、いかれてると思う」
「いや、だって、あのときは勢いで……」
「勢いがあっても、普通バイト先の制服姿で街中を駆け抜けたりはしないよね」
「あー、そうかな?」
「そうだよ。それに、そこは建前ってやつ。でしょ?」
「さすがの僕でも、本音と建前は履き違えないよ……」
「でも、私は好きだよ」
「……うん。ありがとう」
「約束、忘れてあげないから」
眼前でそう言い放った彼女は、どこまでもまっすぐな彼女で。
『となり、よろしくね』
始まった物語は気づかないうちに、形を変えていった。
物語を綴り始める理由なんて些細なことだ。
妄想をするのが好き。とか、
物語を観るのが好き。とか、
みんな、何かに触発されて書くんだ。
そして、
語り手の場合。
これは、初恋に恋をした――。
ということになるのだろう……おそらく。
語り手は主人公 るんAA @teyuki
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