執筆8日目


「お、お待たせ……」

「……よっ。待ってないよ。俺もさっき来たところ」

「そっか……でも手冷たそうだね」

「今日は寒いから」

「午後には雪も降るらしいよ」

「じゃあ、ホワイトクリスマスってやつだな」

「うん。そう……だね」

 彼女はおもむろに俯いてみせた。俺は見計らったように、ポケットに手を入れる。

「ん、これあげる」

「……? この箱なに?」

「開けてみ」

「……! これって……」

「今日、クリスマスだろ。忘れないうちに渡しとこうと思って」

「あのさ。今日は誘ってくれてありがとう」

「それ、最初に言うことじゃなくね?」

「そうかも。でも、プレゼントも普通は最初に渡さないよね」

「……お互い様ってことで」

「そうだね! 行こ」


 震える手を絡み合わせた。

 まだ少しだけ暖かかった彼女の手は、次第に冷たくなっていった。

 けれど、彼女はその手を決して離そうとはしなかった。


「南……ひ、ひさしぶり」

 どこかぎこちない名前の感触に不安を催す。

 呼び方あってるよな……。

 背中越しの彼女は、一瞬竦むようにビクッと身体を震わせたあと、

「……う、うん! ひさしぶりだね」

 偶然の再会に喜ぶように、微笑んでみせた。

「そうだな、三年ぶりくらいか。……免許はオートマ?」

「うん、一応ね。祐樹はマニュアル?」

「ん、ああ。こっちも一応って感じだな」

 自分の名前に懐かしさを感じる。久しぶりに同級生から名前で呼ばれたな。

「……で、でも偶然だねー。まさか、こんなところで会うなんて。びっくり」

「ああ、たしかにな」

 てっきり気づかれてるのかと思ってたが……自分が過敏なだけだったらしい。


 ベンチ一つ分空けて、夕暮れに照らされる二つの人影。

 それは、雪も次第に積もり始める高校三年の冬。進路も無事に決まり、大学生活に期待に胸を膨らませていた頃。

 学校の帰りに通っていた自動車学校の待機所で、と再会を果たした。

 最初に気づいたのは二週間前。

 待機所には5×5に並べられた複数のベンチがあり、正面にはガラス張りの窓が包み隠さずに互いの姿を映している。

 僕はいつも左端のベンチに腰を下ろしていた。皆が皆そうではないが、他校の生徒も来校するので、一人で通っている人間はだいたい端に座る習性があった。

 そんな人目を気にしないイレギュラーが、彼女だった。

「なんでいつも真ん中に座ってたの?」

「え? だって、ここよく見えるよ」

「……ああ、たしかに」

 端とは違い、真ん中のベンチからだと車が走るコース全体が見渡せた。

 理にかなっていた。視線を浴びていたのは僕ではなく、車だったらしい。

 なんなら僕が告白したきっかけも、たしか『視線』からだったような気もする。

 あのときも僕の勘違いでした、なんてオチだけは勘弁してほしいものだ。

「マニュアルは難しい?」

「難しいよ。たぶん免許取れても一年経ったら忘れてるね」

「そっか……」

 南はそれを聞くと、どこか肩を落とした。

「どうかしたか?」

「いや、なんでも。ただ、あたしも忘れちゃいそうだなーっと思って」

「オートマなら大丈夫じゃないか?」

「それだけじゃない……よ」

 歯切れの悪い返事が返ってくる。どこか想うところがあるらしい。

 僕が友人として、言えることは……

「忘れることで前を向くことだってできるよ。それがすべてじゃない」


 そこで、しばらく会話は止まる。


「就職が不安なんだ」

 数十秒経って、やっと南は重い口を開いてくれた。

 よかった。無視されたのかと思った……しかし、

「……就職、か」

 正直、意外ではなかった。

 明るいことが取り柄の南は、もとから頭がいい方ではなかったし、どこか抜けたところもあるお茶目な性格だった。そんな彼女がいま、就職活動に頭を悩ませている。

 人はこうやって社会に馴染んでいくのかと、勝手に感慨ぶる自分がそこにはいた。

「祐樹は進学?」

「一応な。高校が大したことないから、そんな大層な大学じゃないけど」

「あたしの通っている高校より頭いい高校だから、十分すごいと思うよ」

「なんだそれ。高校がいいからっていい大学とは限らないよ」

「ううん。きっと、いい大学だよ。あたしの高校バカだし」

「ふん、比較対象にもならないね」

「あちゃー。冗談にも厳しいね。でも……」


 「「変わってなくて、安心した」」


 言葉が重なり、クスっと微笑みあう。

 過去に付き合いがあった南は、どこまでも率直に僕と向き合ってくれた。

 改めて、付き合ってくれてありがとう。

 そんな単純な感謝すら口にできない僕はきっと、まだ中二が抜けてない子供だ。

「あのときは酷かったよね」や「あれはないよねー」と、過去の話を茶化して話す関係になれたことが僕にとっては、救いであり、非常に嬉しかった。

 聞く話によると、南には現在彼氏がいるらしい。

 茶化す程度に彼氏のことを催促してみたが、あまり快さそうに話を進めようとしていなかったので、さすがの僕も察した。

「まあ、がんばれよ。たしか連絡先交換してたよな? もしものときは俺に相談してくれても構わないからな」

「うん、ありがとう。それじゃ、そろそろ時間だから」

「事故らないようにな」

「わかった」

 冗談にも真摯に返す彼女は一度だけ振り返った後、道路脇に止まる車へ向かった。

 変わらないもの。

 忘れてはいけないこと。

 経験を積むことで、見える世界は変わってくる。

 南は、そういった大切なことを思い出させてくれた気がした――。

 少しくらい感傷に浸ってもいいだろう。人間過去を振り返ることも大切だ。


 なあ。主人公が挫けたときに助けに来るサブヒロインっているよな。

『いるね。だいたいその立ち位置は、報われないヒロインが多いけど』

 さすが自分。定石は熟知してるんだな。

『もちろん。でも、コロッとそのサブヒロインに行っちまうのもありだと思ってる』

 そう……そうなんだよ‼ 実際メインヒロインを選ばなかった作品達を僕は知っている。加えてそれは、ほとんどが僕が好むとされている優秀な作品達だ。では、どうして好きなのだと思う?

『負けヒロインが好きだから』

 そうなんだよ‼ 可哀想だと同情を生み、僕が、俺が、幸せにしてやる……と。

『……それで何が言いたい?』

 どんなに好きだとしても、サブヒロインのサブ子の手を握ってはいけないことだ。

『サブ子って誰だよ……』

 簡潔に話すがな……作者にとって、メインヒロインを選ばないという行為は作品に対して、冒涜になりかねない。それは、いままで歩んできた物語での行動、伏線、台詞……それらすべてを裏切ることになりかねないからだ。

『じゃあどうすれば?』

 だから、サブヒロインに行く気概を持つ‼

『……えーと、つまり?』

 仕方ないってことだ。

 これはあくまで、この作品にのみ適用される暴論だが……。

 ――楽なサブヒロインを選んだ時点で、それは放棄したも同然なんだよ。


     * * *


「糸里とはどうなの?」

 鎌をかけられたのは、久々の積もる会話に花を咲かせていたときだった。

「……この間、少し話をしたくらい。それだけだよ」

 それだけをおもむろに。そして、促すように。

 僕はあからさまに俯いて見せた。


 別に、大したことじゃない。


 その日は妙に道が混んでいて、妙に信号待ちが多い日だった。

 車が赤信号で止まると、ルームミラー越しに運転席の母と目線が交わる。

 三回目にして、ついに母は咳ばらいを合図に、

「えーと、今日はどうだったの?」

 と、沈黙を切り裂いた。

「普通だったよ」

「そう……。先生は元気だった?」

「まあ、還暦にしては元気そうだったかな。知らないけど」

「楽しかった?」

「だから普通」

 自然と口調が強くなった。

 ルームミラー越しの母は顔をしかめた。いかにも文句を言いたげだ。

「糸里ちゃんは楽しかったぁ?」

「はい。楽しかったですよ~」

 後部座席。視界も徐々に慣れ始めた暗がりの中、隣りにたしかに座る彼女は愛想よく応えてみせた。

「そっか~。よかったねぇ……祐樹もこのくらい素直だったらいいのに」

「普通って言っただろ。何度もしつこいな」

「はいはい、普通普通。……ったく、せっかくのパーティーだったっていうのに」

「パーティーだからなんだって言うんだよ」

「別に~。普通だったらいいんじゃなーい」

 末吉祐樹と天口糸里には三年という長い月日がある。

 そして、絶交。

 あの日以来会話は愚か、目すら合わせてくれない状況……そこにはどうしたって、埋めることのできない深い溝があった。

 仮の話。『せっかく、恥ずかしがっている息子の背中を気を遣って押してあげてるのに、どうして素直にならないの……⁉』と母が錯覚していたとしても、

 僕らにとって、それはでしかないのだ。

 ハンドルを握る直前に、母はもう一度だけこちらを覗いて深くため息をつく。

 それも、あからさまに。

「っ……あのな。僕とこいつは――」

「祐樹はさ……寿司ばっか食べてたよね。やっぱりサーモンがまだ一番?」

「いや、え……サーモン? 僕はマグロのほうが好きだけど……」

「あれ? そうだっけ。あ、私の好きな食べ物は覚えてる?」

「は? 覚えてるもなにも……」

 教えてもらったことがない。というか、現状が整理できない。

 溝は、いとも自然に。会話は成立していた。

「なんでもいいから」

 急な忍び声に思わず身体が震える。糸里は耳打ちで催促を促していた。

 どうやら糸里は、母の機嫌をどうにかして取りたいらしい。

「せんべい、だっけか?」

「っ……そ、そう! せんべい! あの、まろやかな醬油味が癖になって……」

 糸里は若干たじろいながらも、巧妙に返した。これは本当にビンゴかもしれない。

「よく食ってたもんな」

「う、うん。まあ……」

 ルームミラー越しに見る母の顔色は、徐々に穏やかになっている気がした。

「よく盗んでたよな」

「いやっ……そんなこと……」

 母は悲しげだ。

「そ、そ、そ、そうなんですよ~……ついつい、お土産しちゃって」

 母は嬉しげだ。

 見事に効果覿面。

 浮かれた気分で横を覗くと、彼女は車窓に視線を戻していた。


「本当によかったの? 二次会行かなくて」

 機嫌を取り戻した母はルームミラー越しに訊いてくる。

「いいんだよ。そーいうのめんどいから」

「そう……。せっかくの佐藤先生還暦お疲れパーティーだっていうのに……」

「そもそも、小学校の担任の還暦を盛大に祝うパーティーって、思い入れが強い人じゃないと普通行かなくないか?」

「そういうのじゃないの。お世話になった先生には、挨拶しに行かないといけないでしょ?」

 とは言うが、母は本当に一言挨拶をしただけで帰路に着いている。

 こういう思い切りが、今後社会で役に立つのかもしれない。

「ふっ、くだんね」


「糸里ちゃんは大丈夫だった?」

「はい。わざわざ送ってくださってありがとうございます」

「ううん、二次会。糸里ちゃんはお友達いっぱいいそうなのに参加しなくていいのかなーって思って……あれ、もしかしておばさん余計なお節介してる?」

 安心してくれ。隣り合わせで座らせてる時点で十分お節介だ。

「いえ。私も今日は疲れが溜まっていたので……」

「あら、そう。どうせ近所なんだし、今日はうちに泊まっていく?」

「いえ。遠慮しておきます」

「そう……。なら、ここらへんでいいわね」

 突如として、強い刺激で目がくらむ。

 車のエンジンは止まり、車内は一遍、明かりで照らされていた。

「……っ。どういうことだよ」

 道路脇に駐車された車の周りは、やけに静寂を纏っていた。

 車窓から見渡す限りあたり周辺は、街路灯は愚か、信号の灯りすら見当たらない暗闇の夜道だった。

「いやー、歳だから糸里ちゃんの家の位置、覚えてないの。だ、か、ら――」

 母は徐々に頬を上げていき、最後の一押しを告げようとすると、

「もう近いので、大丈夫ですよ」

「……あら、そう?」

 母の目論見を予知するように、糸里は軽くあしらった。

「それでは、失礼いたします。祐樹もじゃあね」

 それだけ口にすると、糸里はあっさりとその場から去っていった。

 なんだかデジャヴな展開だな……。

 念のため、仕掛け人である運転席に座ったままの母に目を向ける。

「ねえ、どうしよう。糸里ちゃん行っちゃったよ……」

 母は困り顔だ。

 あのときと唯一違うことは、後ろ姿をまだ視認することができたことだろう。

「そういうわけにも、いかないだろ」

 思わず握った糸里の左腕は、微かだが震えているように感じた。


 追いかけて、第一声。

「せんべい、そこまで好きじゃないから」

 そう釘を刺されたあと、二つの影は横に並行して夜道を歩いた。

 腕を組みながら歩く糸里は少し、肌寒そうで、紅葉も枯れる頃かと思った。

 数分歩いたあたりで、糸里は沈黙に耐えられなくなってか、口を開いた。

「どうして来たの?」

「……何に?」

 祐樹が訊き返すと、糸里はまた少し、吐息を漏らした。

「……同窓会。そういうの来る柄とは思わなかったから」

「久しぶりに話したい、と思ったんだ」

 ありのままに応えた。今度は、逃げたくなかったから。

「誰と? 何を?」

 糸里は平静に、けれど間髪入れずに訊いてくる。

「それは、同級生だった奴らと……まあ、いろいろあるだろ」

「いろいろ、ある。そうだね」

 糸里はゆっくりと復唱した。その言葉を嚙みしめるように、ゆっくりと。

「進路はどうするの?」

 漏らすように、吐いたそんな問いに。

「え……?」

 僕は逃げるように、聞こえないふりをした。

「私はね、看護師になりたいと思ってるの。高校を卒業したら、看護の専門学校に通って、もっと勉強して看護師になるの」

 耳を塞いだ僕には構いもせず、彼女は自分の夢を悠然と語った。

「看護師って大変なんだよ。休みも少ないし、覚えることも多いし……」

 それは、自慢でも、慰めでも、気遣いでもなく。

「建前は大学に行くつもりだったんだけど、本当の夢はこっち」

 それは、一つの夢をひたむきに目指す少女の姿。

「祐樹は進路、考えてる?」

 それは、あの日を払拭してくれるかもしれない、そんな期待を持ち合わせた宣言。

 それは、まっすぐな彼女と夢を目指すことが許されるかもしれない宣言。

「僕は……大学に行こうと思ってる、かな……」

 けれど、逃げた。

 、僕と君の関係を壊した一つの原因だと思ったから。

 それを、また壊してしまうと怯えているから。

「それで?」

「いろいろ学んで、就職しようと思ってる」

「本当は?」

 けれど、許してはくれなかった。

「……作家になりたいと思ってる」

 心に留めていた妄想を反吐の如く、ぶちまけた。

「小説家ってこと?」

「え……いや、その……」

 何を企んでいるかは、もちろん、墓まで持っていくつもりで。

 ささやかな抵抗として、視線を逸らすことしか僕にはできなかった。

「謙遜しなくていいと思う。すごいことだよ」

「そう、かな?」

「うん。アニメとか好きだったもんね」

「ま、まあ……そんなところ」

 彼女は、ゆっくりと手を差し出す。

 それが何を指しているのか、僕はもう知っていて。

「――うん。応援してるね」

 僕はその約束を……確かに誓った。

 

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