ハミングバードの贈り物③

センたちが追って来たのに気づいたのか、タツヤも速足になって路地裏に姿を消した。


「タツヤさん、待って下さい!」


センは叫びながら路地裏に駆け込むと、まもなく細い十字路に突き当たった。どちらへ行ったのかと周囲をぐるりと見回すと、右方向に伸びる道の先で、彼がひょっこり顔を出すのが目に入った。センが右方向に再び駆け出すのを見るなり、彼はすぐにセンに背を向けて逃げ出し、途中で左に曲がって姿を隠した。

そんなもぐら叩きのような追いかけっこが、この後2回ほど続き、センは彼の行動に違和感を覚え始めた。


(彼は私たちから逃げたいわけじゃなさそうだ。というより、私たちをどこかへ誘導している……? なぜ? 何のために?)


そんなことを考えながら走っているうちに、センは川沿いの道路にぶつかり足を止めた。首を回して周囲を見るが、タツヤの姿はどこにも見えなかった。


「ここが、彼が誘導したかった目的地?」


センが立ち尽くし考え込んでいると、後ろからアルマーとエマがようやく追いついてきた。


「ここは?」


肩でゼエゼエと息をしながらエマが聞いた。


「河原沿いの道です。しかし、タツヤさんはどういうわけか私たちをここに連れてきたかったらしいんです」

「こんな場所、私来たことさえありませんが?」

「ならば、この場所にはあなたの知らない特別な”意味”があるに違いありません」


センはポケットに手を入れ、鋭い目線を上下左右に振り回しながら周囲の環境を観察していった。

河原沿いのこの通りに並んでいるのは店の裏口ばかりで、通行人は皆無。路駐している車なども無い。道の片側には2,3階建ての建物が並び、もう片側にはコンクリートの石垣。石垣の向こうは河岸段丘で一段低くなっており、そこに川が北から南へゆっくりと流れている。何の変哲もない、河原沿いの道であった。


(一体ここにどんな意味があるんだろう?)


建物を見上げながらセンが考えていると、後ろでアルマーの呼ぶ声がした。


「センちゃん、あの人何か大変そうだよ!」

「どの人ですか?」

「あの男の人!」


アルマーは石垣の下の河原を指差した。センはアルマーの隣に駆け寄って、石垣から身を乗り出して河原を見下ろしてみると、下には太った男が川に膝まで浸かりながら、川底を漁っていた。しかしセンはその男の風体をみるなり目を見開いた。

男は裸足で、スーツのズボンを膝まで捲くりあげて川に入り、ワイシャツの袖が水で汚れるのも厭わず川面に手を突っ込み、必死に何かを拾い上げていた。その様子は明らかに不自然であった。


(あの男はあんな高そうなスーツを濡らしてまで川に入り込んでいる。何か理由があるに違いない。タツヤが私たちをここに連れてきたのは、あの男の姿を目撃させるため……? 理由は分からないが、この場所には他に不自然なものも無いし、あの男にコンタクトしてみるしかなさそうだ)


センは階段を通って河原に降り、男に声をかけた。


「もしもし。どうなさったんですか、何かお困りでしょうか?」


すると男はびくりと背筋を震わせて振り返り、そこに立っていたセンの姿を見て大きく息をつき、金縁眼鏡の奥に覗く目を細めた。


「し、失敬。少々驚いてしまった。実はカバンの中身をぶちまけてしまいましてな。ちょっと高価な物が詰まっていたもので、拾い残しがあると困るのです。手伝って頂けると助かります。お礼はいたします」

「それは大変だ。お手伝いしましょう」


センがそう言って頷いた時、ふと彼の握られた手が目に入った。その手に握られた物を見て、センはぎょっとした。彼の手の中には、金のネックレスや宝石があしらわれたペンダントなどの宝飾品が覗いていたのだ。

まさか……センが河川敷を振り返ると、アルマーが素頓狂に叫びながらセンに近づいてきた。


「センちゃん! すごい高そうなアクセサリが沢山散らばってる!」

「本当だ! それは全部この人の物ですから、拾ってあげて下さい」

「わかった〜 それにしてもすごい広範囲にぶち撒かれてるよ。一体どんな落とし方したら、こんなことになるのさ」


アルマーの指摘にセンはハッとなり、男に軽く目を向けた。センの目線に気づいた男は、少したじろぎながら目をそらし、


「いやあ。河原沿いの道路を歩いていたら蹴躓いてしまって。アクセサリの入っていたトランクを放り出してしまったんです。いや、お恥ずかしい」

「そうでしたか」


センはギロリと目を光らせる。


「川漁りは私がやります。フレンズのお嬢さん方は河原に散らばったものを拾って下さいな。ああ、そうだ。拾った物はあそこのトランクに入れて下さい」


それだけ言うと男は腰を落とし、再び黙々と川漁りを始めてしまったので、センはアルマーとエマに事の経緯を話し、3人で手分けしてアクセサリを拾い集めることにした。


アルマーが言っていた通り、男がぶちまけたアクセサリは河川敷の端から川の淵まで、かなり広範囲に散らばっていた。その上数も多く、貴金属たちが反射する数多の光が河原をチカチカと照らしていた。


「いくら何でも多すぎじゃない?」

「もしかしてあの方、宝石商なんじゃないですか」


アルマーとエマはそんなおしゃべりをしながらせっせとアクセサリを拾い集めていた。センも同じようにアクセサリを拾ってはトランクへと運んでいたが、脳は推理を進めるべくフル回転していた。


(タツヤが私たちをここに誘導したとしたら、その理由は何だ? 私たち”よろずや”にこの男を助けさせるため? いや違う。エマと私たちは今日たまたま出会ったんだ。タツヤが誘導したかったのは、どちらかというとエマの方。

エマとあの男を引き合わせたかったとか? しかしエマは彼のことを知っている素振りは一切見せていない。もしかして、裏に隠された関係があり、タツヤはそれを知っている……)


センは拾った女物の真珠のネックレスをトランクに入れると、男の背をジロリと睨んだ。

タツヤもそうだが、あの男の言動もかなり妙である。

まずトランクにこれだけ多くのの宝飾品をパーク内に持ち込み、一人で持ち運んでいたことが不自然だ。あの男が本物の宝石商ならば、こんな普通のトランクではなく、もっと頑丈なケースに入れ、セキュリティのしっかりした輸送方法でパークに持ち込んでいるはずだ。それをしていないということは、これらは正規に持ち込まれた品々ではない。恐らく表に出せない、訳アリの財産なのだ。

もう一つ、アルマーも指摘していたが、これだけ広範囲にトランクの中身をぶちまけるには、ある程度の高さからトランクを放り投げる必要がある。しかし男が言っていたように、高々2メートル上の石垣から放り出したのでは高さが全く足りない。もっと高い場所、例えば空中や建物の窓から投げ出さないと、こんなことにはならない。つまり男はでたらめな言い訳をしている。隠したいことがあるのだろう。

そしてトランクの中身がぶちまけられた理由。彼が言うように本当に事故でトランクを投げてしまったか。あるいは他者によりトランクを投げ捨てられてしまったかの二択である。でなければ、必死にアクセサリを拾い集める彼の態度と矛盾してしまう。

以上を総合すると……


(あの男は訳アリの宝飾品を、何らかの理由があってパークに持ち込んだ。しかしつい先程、誰かとトラブルを起こし、高い場所からトランクを河原へと投げ捨てられてしまった。そして今、必死になって散らばった宝飾品をコソコソとかき集めている、といったところでしょうか。では、誰とどんなトラブルを起こしたのか? 誰と……?)


センはちらりと男の背中を見やった。男は先程と変わらずせっせと川を攫っている。


(どうする……あの男に何があったのか聞いてみるか? いや、あの男はいわく付きの宝飾品を大量に持ち込んでいるような人間だ。裏の顔があるに違いない。不用意に詮索するのは危険だ。今は様子伺おう……)


と考えた矢先、アルマーが何食わぬ顔で男に近寄り、話しかけてしまった。センは呆れてぽかんと口を開け、何事も起こりませんようにと祈った。


「おじさん! 河原に落ちていたのはだいたい拾い終わったよ」

「おお、助かったよ! いやー、ここ最近すっかり太ってしまってね、正直一人で拾うのは大変だったんだ。ありがとうお嬢さん方。これはお礼だ。3人で分けて何か美味しいものでも食べてくれ」


男は紳士な振る舞いを見せ、にっこり笑うとアルマーに紙幣を3枚ほど手渡した。


「良いんですか、こんなに頂いても」

「いいんだよ。本当に助かったから」

「エマさん、ありがたく頂いておこうよ」


遠慮するエマの横で、アルマーは暢気に笑ってエマの肩をポンと叩いた。


「どうもありがとう、おじさん……そういえば、おじさんの名前聞いてなかったよ。おじさんのお名前は?」

「わしかい? わしはサイモン。サイモン・シンプソンという者だ。それじゃ、お嬢さん方のお名前も聞いておこうかな」

「あたしはアルマーで、隣はエマ。あっちにいる金髪ツリ目がセン」

「だーれがツリ目ですって?」


むかっ腹を立てたセンが声を荒げたので、向こうからアハハという笑い声が上がった。


「サイモン・シンプソンさんとおっしゃいましたね」


笑い声の合間に、エマが口を開いた。


「英語圏のお名前のようですが、もしかしてアメリカのお方でしょうか?」

「そうですよ。アメリカのロサンゼルスで会社をやっております」

「ああやっぱり! 実は私もロサンゼルス出身なんですよ」

「おお、それはそれは。ジャパリパークで同郷の方とお会いできるとは光栄です」

「こちらこそ光栄です、サイモンさん。

ロスは気候の良い、活気あふれた素晴らしい都市だと思っています。ええ、本当に良い所です。もし私の住む場所がロスでなかったら、両親に置いていかれてしまった私は今日まで元気に生きてこられなかったでしょう。幸福だった両親との生活を突然奪われ、寂しさと心細さに何度も枕を濡らしてきた私のような娘でも、ちゃんと乗り越えて、大人に、なれたのですから」


言葉を重ねるにつれて、エマの上品な喋り方は徐々に荒々しくなっていった。彼女の異変に気づいたアルマーは彼女を制止しようとしたが、彼女は肩をわなわなと震わせ、悲痛な眼でサイモンを見つめ、更に食って掛かった。


「私の姓は、リードReed。私はエマ・リードです! 父の名はピーター! そして母の名はメアリ!」


それを聞いて、サイモンは真っ青になり後ろによろめいた。しかしエマはアルマーの制止を振り切って、サイモンに掴みかかった。


「サイモン! あなたは悪徳高利貸しのサイモンだな!! お前に騙されて失踪したピーター・リードとメアリ・リードという名前に覚えは無いか!」

「な、何の話だ!」


サイモンはエマの剣幕に恐れおののき突き放すが、エマは一歩も退かずサイモンに吠え返す。


「とぼけないで! 今、私の父と母はどこにいる! 答えなさい!」

「し、知らない。わしは何も知らないぞ!」

「言わせないわ、そんなこと!」


烈火の如く怒り、サイモンを引き裂かんばかりの勢いで、今にも襲いかかろうとするエマを、センとアルマーは必死で抑えこんだ。一方でサイモンは川に尻もちをつき、ひどく怯えた目でエマの顔を見上げていた。

丁度その時甲高い警笛とともに、一人の警備隊員のフレンズが、


「こら! あなた達、そこで何をしているんですかっ!」


と声を張り上げ空から降下してきた。

警備隊員の声を聞いて、センもアルマーもエマもびっくりしたが、一番驚き慌てふためいたのは、どういうわけかサイモンだった。サイモンは警備隊員が近づいてくるのを見るなり大慌てで川を飛び出すと、河原に置いていたトランクと革靴を抱え、裸足のまま逃げ去っていった。

そこに遅れて警備隊員のモリバトが着陸し、逃げ去るサイモンの小さな姿を軽く見やってから、


「あなた達はさっきの男と喧嘩を? だめですよ喧嘩は。しかも川の中で。相手を溺れさせたらどうするんですか」


エマはセンとアルマーに脇を抱えられながら河原まで戻り、2人が腕を離すとその場にヘナヘナと座り込んでしまった。そして程なくして感極まったのか、エマはうずくまり、張り裂けるような声をあげ、泣き出してしまった。モリバトはきょとんとした顔をしていたが、エマが激昂するまでの一部始終を見ていた2人には、彼女の悲痛な心中が痛いほど分かった。


「お巡りさん、彼女から事情を聞くのはちょっと待ってあげて下さい」


センはモリバトの横に立ち、そうお願いした。するとモリバトは制帽を脱ぎ、


「泣き疲れるまで待ちましょう」


そう答えて軽く微笑み、蒸れた髪や翼をガシガシと掻き上げた。彼女の髪からはライムのような、甘酸っぱいコロンの匂いが少しだけ香っていた。

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