ハミングバードの贈り物②

確率を秤にかけ、最も確からしい可能性を選ぶ。

かのシャーロック・ホームズの言葉だが、センはその言葉通り、最も真実に近そうな人物から調べることにした。その人物とは、昨晩エマが夕食を共にしたタツヤというホストである。

エマから聞いた話によると、タツヤは背の高い若い日本人男性。髪は黒、スーツに派手な赤色のネクタイを合わせたイケメンだったという。”タツヤ ホスト”でネットを検索してみると、シティの繁華街にある、”Q”というホストクラブがヒットした。


「まずは”Q”に行き、タツヤというホストに話を聞いてみましょう」


そんなわけで、センはエマを連れ、アルマーの運転で繁華街へと向かったのである。



繁華街”モトマチ・ストリート”はシティ中心の南側の地域にあった。南北方向に伸びるメインストリート沿いには、観光客、それに同伴しているフレンズをターゲットとしたレストランや映画館、ブティック、酒場などが立ち並んでおり、それらの店に混じって、パーク運営部の認可を受けたキャバクラやホストクラブが点在している。夜の繁華街は店や看板の派手なネオンで色とりどりに照らされ、パークらしからぬ妖艶な雰囲気を醸しているのだが、夜が明け朝になれば、一転して忙しなさと抜け殻のような空虚感が吹き抜ける街へと変わる。

センたちが繁華街に足を踏み入れたのはまさにそのような時間帯。往来を闊歩するフレンズや観光客に混じって、フラフラと歩く夜の労働者たちの疲れた影がちらほらあった。センとアルマーはこれまでにも何度かモトマチを訪れてはいるが、来る度にこの街の持つ雰囲気の異質さを感じ、不思議とため息をつくのだった。


そんなモトマチの一角、雑居ビルの3階に”Q”はあった。狭い階段を登り”Q”の扉を叩くと、中からタバコを咥えた細身の男が顔を出した。徹夜で仕事をして疲れ切った様子の男は、眠たそうな目で3人の姿を見て、なんとか営業スマイルをこしらえた。


「……これはお嬢さん方。こんな時間にどうなさいました?」

「お休み中すみません。こちらのお店にタツヤさんという方はいらっしゃいませんか」


と、センが尋ねると、男は少々怪訝そうな顔をしてセンを見つめ返した。


「タツヤですか? ええ、いましたよ。でも今はいません」

「そんな!」


エマは目を丸くした。


「今はいないということは、辞めたのですか?」

「はい。1ヶ月ほど前になりますかね。ところで、タツヤに何か御用でもあったのですか?」

「後ろの女性が、昨日タツヤさんに助けてもらったそうで、礼を言いたいと」


センはエマを指してこのように答えると、男は「それは変だなあ」と首を傾げた。


「タツヤはとっくにジャパリパークから去っていると思うんですけどね。そちらのお嬢さんの思い違いでは?」


するとエマが一歩前に進み出て、タツヤの顔が分かる写真はないかと男に聞いたところ、男はスマホを取り出して、タツヤが写っている写真を探してくれた。そして、


「これでどうでしょう。写真じゃなくて動画ですが」


とエマにスマホの画面を見せた。エマは再生された動画を食い入るように覗き込み、あっと息を呑んではっきりと言った。


「この人です。この人に間違いありません。声もそっくりです!」


センはアルマーと顔を見合わせ、一体どうなっているのかと首を捻った。


「タツヤさんが1ヶ月前に店を辞めて以降の、足取りを知っている方はいますか?」


センが尋ねると、男は店の奥に引っ込み、しばらくして金髪のホストを連れて戻ってきた。アランと名乗る金髪のホストは、タツヤについて次のような話をしてくれた。


「あいつが札幌店に異動することが決まったのは、店長が言ったとおり1ヶ月前です。俺はあいつと仲が良かったんで、あいつを見送りにシティ・ウェダー空港まで行きました。ちょうど20日前のことです」

「つまり、タツヤさんは20日前にシティを去っていたということですね」

「ええ。そうだと思っていたんですが……」


アランはそう言いかけ、不可解な面持ちとなった。センは耳をそばだて、アランの次の言葉に集中する。


「今でもびっくりしているんですが、俺、最近見たんです。あいつの姿を」

「ほう。いつ、どこで見かけましたか?」

「前の土曜の18時頃、出勤する途中で見ました。俺はタワーホテルの前の大通りを通って通勤しているんです。あの日も同じように大通りを通って店に向かっていたんですが、ちょうどタワーホテルの前でタツヤの姿を見たんです」

「どうしてタツヤさんだとわかったんですか」

「じっくりと確認できたわけじゃないですが、あの顔、あのスーツの立ち姿。あれは確かにタツヤだったと思います」


アランは少々興奮気味に、きっぱりと言い切った。


***


”Q”を後にしたセンたちは車に戻り、シティ中心地区を貫く大道路を通って北へと向かった。警備隊本庁のあるシティ中心を通り過ぎると、まもなくエマの滞在先であるシティ・タワーホテルへと到着した。

タワーホテルはその名の通り、20階建ての高層ビルを丸ごとホテルとして利用した巨大なホテルであり、シティへの観光客の半数以上はこのホテルに泊まると言われている。その噂は真実のようで、昼前だというのにホテルのロビーにはチェックイン待ちの客の列ができていた。


センたちはその行列の後ろを抜けてエレベーターに乗り、エマの部屋———9階の903号室を調査しに行った。センはアルマーと二人がかりで部屋の出入り口や窓などを確認した。結果、部屋には特に変わったところは無いという結論にまとまった。それはつまり、昨晩エマが部屋に戻り寝入った後、何者かが外部から部屋に侵入し、ハンドバッグに指輪を入れた可能性は低くなったということである。

センは大通りに面した部屋の窓を背にして立ち、顎に手を当て考え込む。


「となると、指輪がハンドバッグに入れられたタイミングは、エマさんが部屋に戻る前までの間になりますね」

「その間にエマさんに接近した人物はタツヤだけ。やっぱりタツヤが指輪をこっそり入れたんだよ」


アルマーの考えを聞いたセンは、鋭い目つきで「そこが問題なんですよ」ぴしっとアルマーを指差した。


「タツヤは1週間前の土曜と、昨日の夜、このシティ内で目撃されている。しかし彼は20日前にシティを去っている。一体彼はなぜ、シティに戻ってきたのでしょうか。もう一つ、彼はどうしてエマさんの指輪を持っていたのか、これも大きな謎です」

「あたしにはさっぱり分からない」

「私もです。もっと情報を集めないと」


顔を見合わせた二人は、肩をすくめ首を振った。

センは窓の側を離れ、壁際の机の上に何気なく目を落とした。机の上にはエマの私物を含めいくつかの品が整理されて置かれていたが、その中の一つにセンは目が止まった。それはホテルの約款などが入った革張りのファイルであった。ファイルに後から綴じ込んだと思わしき紙が1枚、ファイルから少し飛び出していたのだ。センはファイルを拾い、飛び出ていたその紙を取り出した。

その紙は宿泊者に向けたお知らせであった。内容は———


「土曜日、それから日曜日の夜は、ホテル2階の大レセプションホールで貸し切りのイベントが行われる予定となっています。その影響で通常よりロビーやエスカレーターなどが混雑することが予想され……ご理解ご協力をお願いします、と。へえ、昨日と一昨日はホテルでイベントがあったんですね」

「そうだったみたいです」


エマは曖昧な返事をした。


「私がホテルに帰ってきたのは23時だったので、その頃にはイベントは終わっており、ロビーに居る客もそれほど多くなかったんです」

「土曜、日曜とイベントをやっていた。それが何のイベントだったのか、気になる所です。そこから何か見えてくるかも……」


センは小声でブツブツと独り言を呟きながら、手帳に何か走り書きしつつ考え込んでいた。しばらくして、センはパタンと手帳を閉じ、ベッドに座っていた2人の前を横切って部屋の出口へとつかつか歩いていった。


「センちゃんどうかした?」


アルマーが尋ねると、センは背を伸ばして振り返り、軽く微笑んだ。


「考えが煮詰まりました。近場で何か食べて一息入れませんか」


***


3人はホテルの近くのオープンカフェで昼食をとることにした。気持ちの良い秋晴れの空の下、折角なので3人はカフェのテラス席につき、各々注文した料理に手を付けた。


「この店のピザ、ロスで普段使っているピザ屋より美味しいですよ」


エマはピザを1枚平らげて、満足げに顔を綻ばせた。


「よかった。この店はあたしのお気に入りなんだ。席も多いし、料理も外れがない。ただ難点があるとすれば、ラジオの音がちょっとうるさいことだね」


アルマーは苦笑して、店の軒先に下がっているスピーカーを指差した。スピーカーからは、シティの地元ラジオ局”City-FM”のニュース番組が大音量で流されていた。


《……セントラルやシティを中心に、最近詐欺など金銭が絡むトラブルが増えていることを受け、パーク運営部は新たに経済犯罪を扱う部署を設け、規約の整備などを進めていく方針を固めました。運営部は……》


ニュースを聞いたエマは目を丸くして、そして机に右肘をつき、何かを思い悩むように額を手のひらにのせた。そんなエマを見かねてか、今まで黙々とコーヒーフロートをつついていたセンが、どうしたのかと尋ねて彼女を気遣った。エマは「何でも無い」と僅かに微笑みを浮かべたが、続けて、


「ただ……私、ジャパリパークは浮世離れした平和な場所だというイメージを持っていたもので。だから、詐欺なんて犯罪がパークで起きているという事実が、ちょっと意外でした」

「パークを中心に多額のお金が動いていますからね、仕方のないことです。それに、パークの平和は、フレンズとヒトの良心を信頼した上に成り立っているだけ。だから時に、トラブルが起こるのです」

「でも、巻き込まれてしまうフレンズの子たちは可哀想じゃないですか。フレンズの子たちは皆いい子ばかりなのに、外からやってきたヒトの都合で、嫌な思いをさせられ、被害者になってしまう。フレンズの子たちに、私のような思いをして欲しくはない」

「ああ、そうでしたね。エマさんはご両親を……」


エマは12年前、詐欺に遭った両親と生き別れになってしまった過去があることを、センは思い出した。事務所から繁華街へ向かう車の中で、更に聞いた話によると、両親が蒸発した後、エマは祖父の家で大切に育てられ、大学まで卒業した。しかし両親が消えてからの12年間、両親のことを思い出さなかった日は一度もなかったという。

だからこそ彼女は、指輪を届けてくれた人を探し出そうとしているのだろうと、センは推測した。彼女は知りたがっているのだ。自分の両親が今どうしているか。生きているのか、それとも死んでいるのか。12年の時を経てようやく現れた手がかりを、なんとしてでも彼女は手繰り寄せたいのだろう。


———探偵兼なんでも屋として、その気持ちに寄り添わなくては。


センは自らの探偵としての矜持に面と向かって今一度誓った。そしてアイスが溶けてドロドロなコーヒーフロートの残りをいっぺんに飲み干した。口周りについたコーヒーを拭い、センは茶色の瞳でエマを真っ直ぐに見つめた。


「エマさん。指輪の贈り主は必ず私たちが割り出してみせます。そのためには、あなたのご協力が不可欠なのです。よろしくお願いいたします」

「こ、こちらこそ。どうかお願いします。私が知っていることでしたら、何でも隠さずお答えしますので」


エマはぺこりと頭を下げ、右手を差し出してきた。センはその手を握り、固い握手を交わした。


「さてと、ご飯も食べ終わったことですし仕事に戻りましょう。

エマさんはパークには観光で来たと言っていましたね。それは誰かのお誘いか何かがあってのことですか」

「違います。会社の休みがたまたま取れたので、前から来たかったジャパリパークに行ってみようと思い立ったんです」

「ここに来ることを誰かに話しましたか」

「仲の良い友達2,3人におしゃべりがてら言っただけです」

「ご自身の近辺に、日本人の親戚や知り合いはいますか」

「いいえ」

「わかりました。ちょっとハンドバッグを見せていただけませんか……ふむ、チャックでカバンの口は完全に閉まりますね。これだと、チャックが多少開いていないと指輪をハンカチごとバッグに入れるのは難しそうですが、チャックを閉じ忘れることはよくありますか」


バッグを返しつつそう尋ねると、エマは恥ずかしそうに顔を少し赤らめた。


「ロスはスリが多いですから、普段でしたらバッグを開けたまま放置することはまずありませんが……昨日の晩、酒でフラフラだった昨晩はちょっとわかりません。タクシーの中などで、タツヤさんがこっそりチャックを少し開けて、指輪をバッグにねじ込んだとしても、正直気づけなかったと思います」

「なるほど。タツヤさんとはどんな話をされましたか。その際の彼の振る舞いで、何か印象に残っていることは……?」

「そうですね、特には。……あ、ただ……」

「何でしょう?」

「昨日、彼はこれまで出会った面白いお客の話をしてくれたのですが、その話の中にピーターという名の人が出てきたんです。ですが、ピーターというのは私の父の名前と同じでしたから、私はどうにもその話を楽しめず、つい暗い顔になってしまったんです。すると彼は話を止めて、どうかしたかと尋ねてきました。それで、行方不明の父を思い出してしまったと答えると、彼は狼狽し、私を悲しくさせたことを何度も謝っていました。そのくらいです」

「むむむ……」


センは目をぱちくりさせながら、メモを取る手をせかせかと動かす。


「彼はその後で、あなたのお母さんの名前についても聞いてきましたか?」


するとエマは首を傾げながら曖昧に頷いた。


「聞かれたわけじゃありませんが、話の流れで母の名前も言った覚えがあります」


それを聞いてセンはまたペンを走らせた。

センの頭の中で事象をつなぐ推理の糸が伸び始めたのを、センの雰囲気から察したアルマーは、耳元でそっと訊いた。


「何かわかったの?」

「ちょっとずつですけどね。裏付けが全然まだなので明言はできませんが、もしかすると———」


その時、センの言葉を遮るように、エマが息を飲み、椅子を倒して立ち上がった。


「突然どうしたの?」


アルマーがぎょっとしながら尋ねると、エマは正面を見つめたまま、顔を凍りつかせていた。


「タツヤさんが……通りの向こうで、こっちを見ている。はっきりと見ています……!」


センとアルマーは彼女が指差す方向を振り返り、そしてエマと同じように仰天した。

通りの向こう、数十メートル先に立っていたのは、スーツに赤ネクタイの男。その爽やかな微笑み顔は紛れもなく、”Q"で見せてもらった動画に映っていた男の顔———タツヤだった。20日前にシティを出たはずの彼が、今シティの真ん中で、センたちの前に現れたのだ。

彼は硬直した3人をちょっとの間観察した後、くるりと背を向けて細い路地へと歩き去りはじめた。


「いけない! 彼に話を聞くことができれば依頼解決に大きく近づける! 追いますよ!」

「オッケー! エマさん、ついてきて!」


センは真っ先にテラス席と歩道を隔てる柵を飛び越えて走り出し、アルマーもそれに続いた。


「ま、待って下さい!」


エマも倒した椅子を直してから、柵と柵の隙間を通り抜け、行き交う歩行者を避けながらアルマーの後を追った。

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