File. 2 ハミングバードの贈り物

ハミングバードの贈り物①

ある秋の晴れた朝の午前8時30分、アルマーはいつも通り寝ぼけ眼をこすりながら、薄い塩味しかしないジャパリパンを、全く美味しくなさそうにムシャムシャと囓っていた。パンが味気なく感じるのは大量生産の安物だから———だけではなく、つい5分前に叩き起こされたからだ。起きてからたった5分しか経っていないので、味覚もまだ眠っている。味のしないパンを流しこむために飲み干した甘いココアでさえ、いつもより水っぽく感じた。


「もうちょい寝かしてくれても良かったんじゃないの? 今日は日曜だよ?」


アルマーが不機嫌そうに口を尖らせると、向かいの椅子に座っていたセンは電子新聞から目を離してアルマーを一瞥し、


「いい加減目を覚まして下さい、今日は月曜日です。依頼人が45分に来るって言うんですよ。早く髪を梳かしてきた方がいいですよ」


はいはい、とアルマーは食器を片付けて洗面所の方へフラフラと向かっていった。センは飲みかけのコーヒーを一口啜ると、窓の外から流れてくる小鳥の囀りを聞きながら、また電子新聞に目を落とした。



よろずやの玄関の呼び鈴が鳴ったのは45分丁度。センが玄関の扉の前に立ち、どちらさまですかと声をかけると、「先刻お電話いたしました、エマ・リードです」と返答があった。扉を開けると、そこには茶色の髪を肩まで伸ばした、若い欧米人の女性が一人、スラリと立っていた。服装はシャツにジーンズという、観光客らしい格好をしていたが、化粧は派手すぎない上品な塩梅を保っていた。

女性はセンの顔を見て、軽く会釈した。


「あなたが、”よろずや”のセンさんでいらっしゃいますか。その、どんな頼み事でも果たしてくれるという……」


「私がセンです。どんな依頼でもきっちりこなすのがウチの稼業ですが、お話を伺わねば始まりません。さ、中へお上がり下さい」


センは丁寧にそう言って女性を事務所に通した。


依頼人の女性には来客用のソファーに腰掛けてもらい、センとアルマーはテーブルを挟んで依頼人に正面から向き合うように席についた。

アルマーに淹れてきてもらった紅茶を勧めながら、センが話の口火を切った。


「さてと、エマ・リードさんでしたね。電話で伺った所、今朝何か妙な事があったそうですね」

「……ええ。大変奇妙というか。とにかく突拍子もないことがありまして」


エマは口元を手で隠しながら、目をキョロキョロさせていた。その様子から、今朝エマは大変奇妙な事象に遭遇し、それに対しエマは怯えているというよりも、ひどく戸惑っているように見てとれた。


「それでは今朝起こったことについて、お話ししていただけませんか」

「ええ、お願いします。聞いて下さい。

私はエマ・リードと申しまして、アメリカのロサンゼルスの会社に勤めています。ジャパリパークには観光目的で昨日やって来ました。昨晩はシティータワーホテルに宿泊していました。

それで、今朝のことなのですが……ハンドバッグの中身を整理していると、バッグの中に、見覚えのないハンカチが丸まって入っていたのです。一体どこで紛れ込んだのかと私は不思議に思いながらも、その丸まったハンカチを取り出して、広げて見ました。するとハンカチの中から何かがコロリと転がり出てきたのです。それがコレなのですが……」


エマはそう言って、テーブルの上にキラリと光る何かを置いた。センとアルマーはそれを見ようとしてテーブルに身を乗り出し、一目それを見て息を呑んだ。

テーブルの上で燦然と輝きを放ったそれは、大粒のダイヤモンドがはめ込まれた指輪であった。しかも指輪のショルダーにもダイヤの小さな粒がいくつも並んでいる。指輪はカーテンの隙間から差し込む白光を浴びて、多重のまばゆい銀色の輝きで部屋全体を照らした。


「セ、センちゃん。あたしこんなスゴい指輪を手に取るの、初めてだよ」

「私もですよ」


センもアルマーも指輪の美しさにすっかり魅了され、感嘆した。


「大変見事な指輪です。しかしエマさん、少々野暮なことをお聞きしますが、あなたはこのダイヤモンドの指輪が非常に高価なもの、つまり偽物ではないと確信されているようですね。だからこそ、そんなに戸惑っていらっしゃると思うのですが、あなたがこの指輪が安物ではないと考える、その根拠はなんですか?」

「そのことでしたら、指輪のリングの裏側の刻印をお読みになってくだされば、わかるかと思います」


エマの言う通り、センは指輪を手にとって、リングの裏側を覗いてみた。そこには、

Dear Mary Apr. 20th

という刻印があった。


「ということは、この指輪は結婚指輪エンゲージリングということですね」


センはエマに指輪を返し、ノートにメモを取り始める。


「そうです。しかもこの結婚指輪は、失踪した私の母のメアリが、パーティーなどの際に必ず身につけていた物なのです。当時私はまだ幼かったのですが、母の左手を握った時、このダイヤモンドの指輪が私の目の前で輝いていたのをはっきりと覚えています。それに、4月20日というのは、両親の結婚記念日なのです。それ故私はこの指輪を見て、自分の母親の結婚指輪だと確信したのです」

「お母さんが失踪されたのはいつでしょう」

「私が10才の時ですから、12年前です。実は父のピーターも母と一緒に失踪しております。それ以後私は祖父に引き取られ、そこで生活していました。失踪の理由———あまり言いたくないのですが、父と母は投資詐欺に遭って、借金に苦しんでいたと、祖父から聞かされました」


行方不明になってしまった両親の面影を指輪に重ねているのだろうか、エマは指輪を見つめたまま、ダイヤモンドの輝きとは対照的な、暗澹とした表情を覗かせた。


「嫌なことを思い出させてしまいすみません。その話はひとまずよしましょう」

と、センは謝り話題を変える。

「その指輪を発見したのは今朝だとおっしゃっていましたね。では、昨日から今朝にかけての、あなたの行動を教えて下さい」

「わかりました」


エマはカバンからスマホを取り出して、スケジュール帳アプリを見ながら、


「ええと、私はロサンゼルス国際空港発のジャパリパーク直行便に乗りました。シティのウェダー空港、つまりここに着いたのは昨日の13時。到着後、まず向かったのは宿泊先の、シティ・タワーホテルでした。ホテルの自分の部屋に大荷物を置いた後、シティ東部の大図書館公園を散策していました。大図書館には19時近くまでいたと思います。

大図書館からバスに乗り、繁華街のモトマチ・ストリートに着いたのが19時30分頃です。夕飯をどの店で食べようかなと、ガイドブック片手に繁華街を歩いていると、不意に誰かから呼び止められました。

『ちょっと、そこのお姉さん!』

振り返ると、若いハンサムな男性が、何かを握って駆け寄ってきたのです。私の側まで来ると、男性は握っていたものを差し出して、

『パークの入国証、落としましたよ。あなたのものですよね』

私はハッとなって、自分の上着のポケットを探ると、さっきまでポケットの中にあったはずの入国証がありませんでした。治安が良いと聞いていたので油断していたのか、うっかりしていたことに、私はどこかで入国証を落としていたのです。彼はそれを拾い、届けてくれたのです。

私は何度も彼に礼を言いました。すると彼はにこやかに笑い、

『これも何かの縁。もし予定がお決まりでなければ、僕と一緒にディナーなど、いかがでしょう? 素晴らしい夜を、あなたにプレゼントすることを約束します』

と、さらりと夕食に誘ってきたのです。

その後私は彼の誘いに乗り、繁華街の洒落たレストランに行きました。彼は気さくな男で、いろんな面白い話をしてくれました。彼は繁華街のクラブに勤めるホストだと言っていましたが、がっついた感じや胡散臭さを感じさせない、いい男だったと思います。彼との食事は本当に楽しかったです。

でも私はちょっと羽目を外しすぎたらしく、ワインを飲みすぎてしまい、フラフラになってしまいました。そんな私を見て、彼はタクシーを呼んでくれ、私をタワーホテルまで送ってくれました。ホテルに着いたのは、確か23時頃だったと思います。

彼はホテルのエントランスまで私を見送ると、『おやすみ、良い夜を』と言って去っていきました。彼と別れた私は自分の部屋に戻ると、上着を脱いでベッドに倒れ込み、そのまま寝入ってしまい———翌朝7時に目を覚ましてシャワーを浴び、着替えて、ハンドバッグを整理していると……」

「ハンカチと一緒にその指輪が出てきたということですね」

「そうです」

「シティに到着してから今までに、あなたのハンドバッグに物をこっそり入れられるくらい、あなたに近づいた人はいますか?」

「多分……タツヤ、つまりホストの彼だけだったと思いますし、私自身も彼がきっと入れたのだろうと思っています。それに指輪を包んでいたハンカチには、彼がつけていたライムの香水の香りがついている。きっと彼のハンカチなのでしょう。

私がよろずやさんにご依頼したいのは、この指輪を私にプレゼントしてくれた人を探して欲しいのです。できたら直接あって、お礼が言いたい。そしてもしその人が私の両親のことについて知っているのなら、教えてもらいたいと思っています」


これは面白い———! センは心のなかでそう呟き、ニヤリとした笑みを口角に浮かべた。


(突然贈られたダイヤモンドの指輪。しかもそれは失踪した母親の品だった。そんな品をどこの誰がどのように手に入れ、エマに届けたのか。この謎、解いてみたい!)


居ても立っても居られなくなったセンはソファーから立ち上がると、


「エマさん。その依頼、我々よろずやが必ず果たしてみせましょう」


そう高らかに宣言した。

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