第2話
広い城の廊下は、昼と打って変わって人気がない。左右の壁に取り付けられた照明はすでにいくつも消されて疎らにしか点いておらず、壁にできた影の中にぼんやりと乳白色の円を描き出していた。
どちらに行こうか。
少女は左を見、右を見て、もう一度左を見る。もしかしたら兄は自分の部屋へ帰ったのかもしれない。城の中でも、少女の部屋は両親や兄の部屋と同じ棟にあった。うむ、と頷くと、少女は熊を抱えて歩き始めた。しんと静まり返った空間にぺたぺたと足音が鳴る。
一つ、二つ、三つ……背の高い扉が両側に並ぶ間を、ぺたぺた歩いて行く。近いとは言っても少女には遠い。しかし幸い、左右に部屋が並ぶこの廊下には窓が無く、あの恐ろしいがたがた言う硝子の音も、地震のようなどぉんという音も聞こえない。
——よっつ……
ぺた、ぺた、ぺた、
——いつつ……
ぺたぺた、ぺたぺた。
あと少し、と思うにつれ、次第に早足になる。
——むっつ。
ぺたぺたぺたぺたぺた。
「着いたぁ」
背中を反らせて七つ目の扉を見上げる。白木に少女の部屋とよく似た装飾が施された扉は、確かに兄の部屋のものだ。熊を胸の前に抱えたまま、お辞儀をしてから息を吸い、腕を伸ばした。
妹である自分が入る時には必要ない、と兄は言ったけれど、他の人たちがやるのと同じように、とん、とん、と白木を叩く。取手より随分と下だけれど。
「おにいさま」
返事がない。扉に耳を当ててみる。何も聞こえない。寝ているのかもしれない。
床に熊を座らせて、背伸びをして取手を掴む。
中は真っ暗だった。寝台が見えるところまで入ってみるが、そこに兄はおらず、布団は綺麗に整えられていた。寝間着の上に重ねる羽織も畳んで枕の横に置いてある。
「はずれちゃった」
戸を閉めて寄りかかり、少女は熊の顔を両手で挟んだ。
「どうしましょうね」
すると、廊下の向こう、少女がいましがた歩いて来た方から、侍女の声が聞こえてきた。いつも少女の世話をしてくれる者たちである。
もしかしたら聞いてみるといいのかもしれないと思い立ち、少女は一歩進み出た。しかし、踏み出した足を見て慌てて引っ込め、一番近い柱の窪みに身を隠す。
そういえば少女は裸足だった。そして、裸足で部屋の外をやたらと走り回らないように、いつも当の侍女に言われていた。危ないところだった。
侍女二人は三つ向こうの部屋の前で立ち止まり、議論を交わしていた。
「この部屋のお掃除、陛下たちがお出かけの間に終わらせておいた方が良いかしら。お戻りになった時にお邪魔になるといけないし」
「そうねぇ、姫様もカエルム殿下も、もっと大きくなられたら必要なものも増えるのよね。今より広いお部屋の一つはやっぱりここ?」
「そもそもいつお移りになるのか……陛下もお妃さまも突然仰ってもおかしくないし」
侍女たちの会話はしばらく続きそうだ。運がいいことに自分がいる辺りの照明は消されており、遠くからなら影になってよく見えないだろう。
意を決して、少女は一番近い階段を目指して走り出した。
**続く**
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます