第4話


──そして、どうあっても来るであろう、その明日。



「久しいな、弟よ……」


「え? 誰です? どちら様ですか?」


「俺だよ、俺、俺、お前の兄ちゃんだよ。……それにしても、随分と立派になったなあ。俺を迎えに来た女性から聞いたよ、超一流大学の教授だそうじゃないか。自慢の弟だよ、お前は……」


「え? あの、どういうことでしょうか?」


「どうもこうも、お前のご希望だろう? 会いたかったぞ、弟よ……」


「ええっと……? 少々、少々お待ちください! ──ちょっと、チヅ子さん、チヅ子さん!」


「──っわ! ……はい。何でしょうか?」


「今の人物は誰です?」


「……ふむふむ、どうやらそのご様子ですと降霊術は成功したようですね。あれは福田先生のお兄様ですよ」


「兄? いえ、私は兄を呼び寄せて欲しいと頼んでいませんよ」


「そうですか? でも確かに先生は『にいちゃん』と仰っていましたが」


「ああ、なるほど、そういうことでしたか。それは私の説明不足でした。私が申したのは『ニーチェ』です」


「にいちゃ……?」


「ニーチェです。十年ほど前に亡くなったドイツの哲学者です。超自然現象を否定するような発言をしていましたから文句を言ってやろうと思いまして」


「……そうでしたか。これは失敗しました」


「それと、申し上げにくいのですが……」


「なんでしょうか?」


「何と言いますか、その……」


「なんでしょうか? 仰ってください」


「では、──そもそも私に兄はいないのです」


「あら、そうでしたの。なるほど、なるほど。これは大失敗です」


「ええっと、これはどういう……?」


「そうですね、これは嘘です」


「はい?」


「降霊術なんて嘘っぱちです。そんなの私に出来る筈がありません」


「チヅ子さん。それはちょっと……」


「何ですか?」


「そういうご冗談はお止め下さい。私は積極的肯定派の学者です。危うく嘘を肯定するところでした」


「だから言ったではないですか、私は大ウソつきのペテン師だって。すでに先生はそんな嘘まみれの私を肯定しているのですよ」


「……また世間の評判のことですか。それは真実を見誤った学者たちの戯言です。貴女は本物の神通力をお持ちだ。実際に私はそれを目の当たりにしている。それに、そもそも貴女はかつて幾度も奇跡を起こしてきたではないですか。私は新聞報道でそれを知っています。それで私は貴女のもとに参ったのですから」


「それはたったの一度や二度、偶然にも成功しただけです。それこそ奇跡が起こったのでしょう。それに先生が知らないだけでその十倍も百倍も失敗し続けているのです」


「それはたまたま調子が悪かっただけでしょう。神通力とは繊細な力です。そうやすやすと成功するものではないのですよ」


「……まるで先生が神通力の持ち主かのような言いかたですね」


「もちろん私は持っていません。神通力を持っているのは貴女です。チヅ子さん」


「……福田先生、もう止めてください。これ以上は私が苦しいだけです。もしかしたらどこかに本物の神通力の持ち主がいるかもしれません。だから、お願いですから、他を当たってくれませんか?」


「チヅ子さん。残念ですがそれはできない。私は貴女が本当に神通力をお持ちだと確信している。それに貴女ほどの素晴らしい才能の持ち主を私は他に知りませんからな」


「ですから、それは嘘。私の力は嘘なのです」


「……ふむ、前々より貴女はご自身を嘘つきと仰っていますが、それは私ほどではありませんよ」


「……どういうことでしょうか?」


「腹を割って話しましょう。実は私は超一流大学の教授ではないのです」


「え?」


「いえ、超一流大学であるのは嘘ではないのですが、教授ではない」


「それは、身分を偽っていたのですか?」


「そうなります。実は私は、助教授なのです」


「助教授?」


「いえ、助々教授」


「助々教授?」


「失礼、嘘はいけませんね。本当は、助々々教授──」


「助々々教授?」


「──の補佐」


「補佐?」


「はい。実は私は助々々教授の補佐なのです」


「……そうですか。でも『学者先生』には変わりないのですね?」


「それはもちろん! きちんと博士号を取得しています。文系のやつです」


「それなら別に私としては……」


「他にも嘘をついています」


「他にもあるのですか」


「実は私は福田フクダではないのです」


「……それは、お名前も偽っていたと?」


「はい。本当は『フクダ』ではなくて『フクタ』です。最初に貴女が私をフクダと呼ぶので、そのままフクダと偽っていました。でも私はフクタです」


「ああ、そうですか」


「それと英国留学の件ですが、実は私は英国には一度も行ったことがありません。せいぜい観光で京都に行ったことがあるくらいです」


「へえ」


「これでお分かりでしょう? チヅ子さん、私は貴女より遥かに嘘つきだ」


「それは見栄っ張りともいいます。それくらいでしたら私もいくらでもありますよ」


「ですが、こと千里眼の力に関しては嘘をついたことがないはずだ。このような悪評が起こる前には貴女はご自身に神通力があると信じていたでしょう? 貴女がご自身を信じていた時は、貴女がご自身に嘘をついていない時は、貴女は誰かを騙すつもりで千里眼を使ったことがないはずだ」


「……それはまあ、そうだった、かもしれません」



 確かにかつての私は自分には他の誰もが持ちえない神通力、千里眼があると信じていた。だからこの力は誰かの助けの為に使うのであって、それで誰かを騙そうなんて考えた事はない。


 でも思えば、それも少し違う。



「──そう、自分の為です。確かに私は誰かを騙すためにその有りもしないその力を使ったことはありません。でも私は自分の為にその力を使っていたのです」


「……自分の為、と?」


「はい、そうです。私は幼い頃より孤独でした。両親は早くに先立たれ、身寄りも無く、そんな私を娶ってくれた夫もいましたが、すぐに離縁しました。ですが私には力がありました。神通力の千里眼の力です。この力を悪用しようと考えたことは一度もありません。誰かの助けに使おうとしていました。でも考えてみればそれも違うと思いました。私は誰かに構って欲しかった、私を見て欲しかった、だからこの力を使っていたのです。ただそれも私の勘違い。そんな力なんてありません。やはり私は偽物、私は卑しいだけの只の女なのです」


「……なるほど、ならばそれは私も同じだ」


「先生も?」


「私も自分の為に貴女を利用しようとしている。私のような風変りな学者は他の学者連中からしたら目の上のタンコブも同然で除け者扱いされています。でも、そんな私でも、他の学者連中に認めてほしいから貴方の千里眼を利用して一旗揚げようと考えている。つまり私も卑しい男です。チヅ子さん、私たちは似た者同士です。私たちは除け者、異端者であるのを受け入れているはずなのに、でも一人でいるのに耐え切れなくて「誰か自分を認めてくれ!」と声を上げるような困った存在なのです」


福田フクダ先生……」


「フクです」


「……福田フクタ先生」


「だから明日から検証を始めます」


「検証?」


「貴女の千里眼が本物であると実証するのです」


「それは、やりたくありません。他の学者さんがそれで嘘と見抜いたのですから。もはや無意味なことです」


「いいえ、やるのです! これは貴女の為であり、そして私の為である。我々を除け者にする嫌味な連中に我々の存在を認めさせてやるのです! ──例えばそう、嫌になるくらいに!」


「ですが……」


「明日から検証を始めます。来るなと言われても私は来ます。覚悟を決めてください、チヅ子さん」


「……でも」


「チヅ子さん!」


「……分かりました。やります」


「そうです。それでよろしい! それでは、また──」


「ですが! 少し考える時間をくれませんか? 気持ちを切り替えたくて……」


「それでは、また明日!!」


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