第3話

 ふと目が覚める。

酷い寒気はともかく、なんとか今日も目を覚ましたな、と思った。



「ねぇ」

「あ?」



 ふと顔を上げると、至近距離にとつぜん顔が現れた。



「うわぁ!」

「なんで助けてくれたの?」



 とりあえず距離を置き、バクバクと鳴る心臓を手で押える。



「そりゃ……目の前で川に落ちたヤツがいたら……助けるだろ……」

「他に何人も大人もいたのに」

「そうだっけ?」



 本当に純粋に覚えていなかった。

けれど少年の言うことの方が正しいのだろう。

あの時間帯に人通りがなかったとは考えにくい。

みな、彼を見捨てて、というか気にもかけずに去っていたというだけのことだったのだ。



「俺は目の前で川に落ちるヤツがいたら助ける……そういうおせっかいな人間ってだけなんじゃねーの」

「なんで?」

「知らねーよ!」



 最初よりかはいくらかマシになったが、それでも感情の起伏がない声で聞かれると、やっぱり不気味になってくる。



「そういうもんだからそういうもんなんだよ」

「また落ちたら助けてくれる?」

「……わざと落ちたりしたら見捨てるぞ」



 戸惑いながら答えたが、少年はそうなんだとよく分からない納得をしていた。

やっぱり不気味なので、俺はそっと立ち上がり「それじゃ」と一声かけて歩きだす。


 ……意図が伝わらなかったのだろうか。

その後ろをずっと、少年は着いてきていた。



「なんだよ!なにが欲しいんだ!?」

「欲しい…?」



 そのとき、少年の腹はぐーっと鳴った。

わかりやすい奴だ。俺は酷くウンザリしながらも、仕方なく少年と歩いた。



「……まともな飯なんて俺といても食えないぞ」



 その言葉どおり、俺はゴミ箱を漁った。

そして比較的まともなゴミをいくらか手にして、ゴミの山から引き上げる。



「……食うか」



 目の前でゴミ箱から取り出された飯を食える奴はなかなかいないだろう。

それもこんな仕立てのいい服を着たおぼっちゃんが、嫌がらないわけが無い。

そう思っていたのに、少年は差し出された破片を受け取って、なんの抵抗もなく口にした。



「おいしい」

「マジかよ……」



 俺は頭を抱えるしか無かった。なんなんだこいつは。

聞いてもなにも覚えていないというくせに、特に焦った様子もない。

ただ……もしも俺が見捨てたら、こいつは死ぬんだろうと思った。

川も渡れず沈んでいくように、誰にも気にもとめられないまま、死んでいくのだろう。


 あのゴミ山の中で打ち捨てられた犬の死体を、俺は思い出していた。



「せめてなんか、名前くらいないのかよ」

「君は?」

「は?」



 君なんて呼ばれただけでまず鳥肌ものだが、それ以上に聞き返されるとは思ってなかった。



「俺は……名前なんてないよ」

「じゃあ俺も、ない」



 ずいぶん不毛なやりとりをしたものだ。

二人はお互いの情報を何一つ得ることなく、けれども何故か一緒に行動することになってしまった。

とにかくその仕立てのいい服は目立つ、今なんて何に狙われるか分からない。

俺は確かそう言った。その瞬間だけ、なにか酷く冷たいものを少年から感じた。

そんな気がした。


 けれど相変わらずお互いになにも語らないまま、二人で協力して、軒先に干された人民服を盗んだ。

彼はそれまでの服に特に愛着もなかったようで、適当に脱ぎ捨てて、人民服へと着替えた。

腕も足もまくり、ぶかぶかな服に身を包んで、相変わらずぼんやりとしている。


 最初に出会った時のような不気味さは、この頃はだいぶ減っていた。

それでも腑抜けたような姿は変わらず、目を離したら死んでそうなのも変わらなかった。

どうしたものかと思っていると、少年はとある建物の前でふと足を止める。



「なんだよ」

「カンフー映画だって」



 少年はポスターの文字をすらすらと読んだ。

俺は最初はかなり驚いたけど、もうその姿にも慣れていた。

そしてわざわざ足を止めるってことは。



「観たいのか?」



 分からない、なんていつもと変わらない返事だったが、仕方なく、本当に仕方なく、俺はその映画館に忍び込む方法を考えた。

俺も見たかったからなんてことは無い。

ただ、言われてしまったから仕方なくだ。



「裏口のほうにまわれば、わりと人目につかなかいかもな…。

いや、トイレの窓がある」



 子供の体格なら通れそうな窓が、トイレの外壁に付けられていた。

特に柵がある訳でもない。

夜に忍び込めば行けるかもしれない。


 ……と話したのは全部俺だ。

目の前の少年はうんうんと頷いていたが、それ以上はなにを提案することもなく、ただ賛同していた。



「全く〜、本当にお前が見たいなんて言わなきゃやらないのになぁ。本当だぞ」



 ねちっこく声をかけてみたが、イマイチ伝わってないらしい。

俺はいつも通りため息を着く。本当になんでこんなやつと一緒にいるんだろうか。


 なんて、気が抜けていたせいで気が付かなかった。

少年の目の色が一変していることに。



「まぁ、今日の夜とかに行くだけ行ってみるか?見つかっても殺されはしない……」



 まだ喋っているのに、少年は立ち上がりどこかを遠くを見て歩き出した。

これはさすがに今までになかった反応だ。

変なやつではあるが、多少焦って振り返ると、彼が歩いていく先に、紅い腕章をつけた大人がひとり、壁にもたれてタバコを吸っていた。


 知り合いかなんかなのかな……?なんて、よく分からないままその背中を追っていると、急に少年は大人の腹に蹴りを入れた。

なんの防御もしてなかった大人は、戸惑いながらその場に崩れ落ちた。

もっと驚いてたのは俺の方だ。

俺が駆け寄るより先に少年は近くのレンガを持ち上げて、うめく大人の顔を思い切り殴った。


 たったの二発で、大人は気を失った。

そんな馬鹿なと俺が言いたい。けれど本当にそうだった。

俺は大人が起き上がらないか警戒しながらそろそろ近づいていたが、そんな俺の予想を遥かに上回り、少年はぶっ飛んでいた。

大人が背中に下げていたよく分からない大ぶりの刃物を抜き取ったかと思うと、なんの躊躇もなく、それを倒れた体の首元に構えたのだ。



「ちょ、ちょ、ちょっと待て!!!」




 ビビり倒した俺の声が響く。

少年は動きを止めたが、ぐるりと振り返ったその目に光はなかった。

これはそうとうにヤバい。

どうしたもんかと考える前に、俺もそう頭は良くないので、気がつくと少年の横っ面を平手打ちしていた。

衝撃で少年は目が覚めたように、ふっと歪んだ表情が消える。



「しょ、正気になったか?」



 つい聞いてしまった。しかし少年はオロオロとしだして、俺の後ろに隠れてしまう。



「俺が……倒したの……?」



 途切れ途切れに聞こえた声は弱々しく、俺は本当に意味がわからなかった。

だってお前、殺そうとしてたのに、どういうこと?


 とは言えず、俺は多少ヤケクソになり、どうせならと倒れた大人から持ち物を奪った。



「……お前強いんだな!これで今日の晩御飯はなんとかなるぞ!」

「え、あ、ありがと……」



 少年は戸惑いながらも頷いていた。

俺はそれ以外の方法なんか分からなかった。

深く尋ねることも出来なければ、この場を誤魔化すことでさえも精一杯だったから。



「なんかお菓子も持ってるな……こいつ。やるよ」

「いいの?」



 何の気なしに渡したのだが、そこで初めて少年の目が少し輝いたのを見た。



「なんだよ。好きなのだったのか?」

「うん。チョコってお菓子」



 少年はじっと手の中のチョコを大事そうに持っていた。



「お前のことで分かったの、そのチョコのことだけだな」



 俺はまだ持ち物を漁りながら、ほとんど冗談で言った。



「お前、名前もチョコにしたらいいんじゃねぇの。そんなに好きならさ」



 本当に、思ってもなかったのに、その提案が喜ばれてしまったのだ。

かすかなほほ笑みだったが笑ってるところを初めて見た。

なにかとんでもない失敗をしたのではないか?とその顔を見て後悔が走ったが、俺は考えるのをやめた。

本人がいいならいいんだろう。

俺も近々適当な名前を考えよう。


 倒れた大人から金なんかも奪って俺は立ち上がった。

ひとけのないところで助かった。

しかし、チョコはそれだけでは終わらず、また物騒な刃物を手にしていた。



「おい、だ、だからやめろって」

「ちがう。これ貰ってく」



 はぁ?と思ったが、チョコは器用に刃物を振った。



「俺強いから、きっと役に立つよ」

「お、おう……」



 この言葉が何を意味しているのか、この時は分からなかった。

ただ、刃物を振っている姿が割と恐ろしくて、俺はそれ以上追求しなかったのだ。

そんなことがあったので、映画館への侵入作戦もしばらく見送った。

あの大人達が、無駄に周りを固めてるらしかった。


 なのにその数日後の朝。



「おはよう」



 ふっと目を開けると、公園のすみで寝てた俺の前に、チョコは食べ物やら日用品やらを並べた。

俺は寝起きの頭で理解が追いつかず、ただ混乱した。



「なんだよこれ。買ってきたのか!?」

「買ったのと奪ったのと、全部」



 チョコはまた少し笑った。

その片手にはあの刃物がしっかり握られていた。



「殺し……たのか……?」

「脅しただけ」



 チョコはそばに座り、食べ物のひとつを手に取る。



「俺は強いから」



 今度こそ取り返しがつかない事が起きたことに俺は気がついた。

しばらく頭を抱えた……けれど、果たして俺たちの方が間違っているのだろうか。

大人なんてそれこそ、全員切り倒したっていいくらじゃあないだろうか。

自問自答はわりかし早く結論に至った。



「ありがと。チョコ」



 チョコはまた少しずつ人間らしい顔で笑うようになってきた。

少しだけ嬉しそうに見えた。

なのにやってる事は泥棒だ。夜な夜なチョコは姿を消して街のどこかにいってしまう。

「さすがに一人で行かせるのはよくないんじゃないか?」と天使とも悪魔ともつかないやつの囁きを聞いた。

けれど、チョコ自身がなんとなく嫌がってるようだった。


 仕方なく俺は、映画館への侵入作戦を練り直したり、金で野菜やらなんかを買って、焚き火の火を借りて、料理を作ってみることにした。

それが意外と上手く行き、ちぐはぐながらも俺たちは飯にだけは困らず生きられた。

そして、やっとの思いで、あの映画館にも忍び込む。

本当は正面から行ってみたのだが「浮浪児め」という顔をされて追い返されたのだ。



「チョコ、アイツもし見かけたらやっちゃっていいぞ」

「わかった」



 お金はあるのに、この扱いだ。

なら忍びこんでやるまでだ。


 俺たちはもうすっかり息も合うようになり、隠していた竹のハシゴをトイレの窓の下に立てかけ、夜の闇の中近づいた。

鍵については、外から見てもいつも窓自体開けっ放しなので、問題はなさそうだった。


 そうして難なく2人で滑り込み、トイレで息を潜めて朝を待つ。

気がつくとお互いに眠っていた。

しかし、外が賑やかになってきたのを聞いて、俺は扉を薄く開けて、ちらっと様子を伺った。



「人の波に隠れちまおう。なんの映画に向かってるか分からないけど」



 チョコは頷き、俺たちは何食わぬ顔で、ガヤガヤと賑わう波に加わった。

そして、チケットの所も簡単に目を盗んで通り越し、俺たちは座席よりもっと後ろの所に腰かけて、ついに映画館の中にまでたどり着いたのだ。



「やったな」



 声をかけるとチョコはいつもより表情が豊かになっているようで、ソワソワしながら笑った。

そのまま上映を待ち、気がつくと館内が暗くなる。

そして聞いたこともないほど大きな音で音響が鳴り出し、驚く俺を他所に、チョコはもう映画に見入っていた。

俺も気がつけば映画の虜になっていた。

体を自由自在に動かし、敵を次々と倒していく。

チョコが見たがっていたカンフー映画のようだった。


 こんなに凄いだなんて、思いもしなくて。

俺たちはきっと、その映画を見ているあいだだけは、7歳に戻っていた。


 そうして映画が終わり、俺たちはなんとかまた窓から抜け出して、事なきを得て寝床に戻った。

寝床なんて言ってもボロボロの廃屋なのだが、雨がしのげるだけでもありがたい。

今日の映画のことを夜になっても眠れなくて、ずっと話していた。

チョコはまだ、たどたどしい話ぶりだが、もしかしたらいつか笑えるようになるんじゃないかと、そんな気がした。



 けれど、それから数日後の今日も、チョコは誰かを襲って食べ物や金品をまきあげていた。



「……せめて俺も特訓するよ。チョコばっかりこんなことさせられねぇ」



 チョコの動きは本当に凄かった。

映画館で見た動きをそのままできているんじゃないかと思うほど、身体能力が高かったのだ。

しかし、ただ負けてるのも不愉快だ

俺は絶対勝ってやると思いつつ、やっぱりちょくちょく映画館に忍び込んでは、その動きを真似た。

足をもっと高くあげようと、お互いに泣きそうになりながら背中を押して、足を広げた。

そのおかげで俺たちは、バク転まで出来るほどには強くなった。


 たぶん俺もチョコも9歳になった時、いつものように映画館に忍び込んで映画をみていたら、チョコが言った。



「ねぇ、バニラ」

「ん?」


 俺はその頃には名前をバニラに決めていた。

ずっと気になってたバニラアイスを盗んでみたらめちゃくちゃ美味しかったから。



「なんだよ、急に」



 映画を見てる最中に話しかけられることなど、ほとんどなかった。

なにか大事な用なのか?と思っているとチョコは笑った。



「いつか一緒にさ、映画に出よう」



 今まで見たことがないくらい、最高の笑顔だった。

それに少し照れていた。ああ、チョコは、人間になったんだな、なんてめちゃくちゃ失礼なことを思って笑った。



「うん、いつか一緒にな」



 それからはまたずっと、映画を見た。

バニラはやっとチョコが普通の顔でわらったのを見れたことがとても嬉しかった。


 ……のだが、チョコの背中にはあの日からずっと、大きな刃物が背負われていた。

「もうやめよう」といつ言い出せばいいか迷っていた。

ドロボウをやめたところで、食い扶持に困るだけだったから。


 でもチョコにだけ背負わせ続けるのは間違ってる。分かってはいる……。


 堂々巡りから抜け出すことが出来なかった。

自分が着いていけば解決することでもない。むしろ足を引っ張って、二人とも捕まるかもしれない。

それでも、俺も行くと言った事はあったのだが、チョコは曖昧に頷きつつも、気がつくと消えていた。

忠犬みたいなのはいいが、いつかもしもチョコが捕まったり、やり返されたりしたら…。


 俺はもうそのほうが怖かった。

共にすごしてから4年が経つ。やっとチョコはマトモに笑えるようにもなった。

やっぱりこの現状を何とかしなきゃならない。

絶対に間違ってるんだ。


 バニラはあしたこそ、チョコとちゃんと話をしようとしていた。

けれど、チョコはまた、バニラに気が付かれないように、ふっと姿を消した。



「他人なのに、子供なのに、助けてくれたの、嬉しかったんだ」



 チョコは呟きながら、マチェーテを持って夜の街をさまよった。


 そして今日も、くたびれた大人の背中を見付けた

どうせろくな人間じゃないだろう、髪もボサボサで服もヨレヨレだ。

月明かりが弱かったせいか、チョコは相手をこの日に限って見誤ってしまった。


 脅せば簡単に金を出すだろう。

いつものように刃物向けたのだが、その瞬間に気が付く。

なんだこいつ、背が高すぎる。


 しかし、もう引っ込みはつかなかった。



「……金を出せば命は助けてやる」



 どうせ大人なんて腑抜けばかりだ。

ちょっと刃物で脅せば金を出す……なんて慢心が砕かれるまであと5秒。

大人は軽やかに身を翻す。


 運命の歯車が回りだした。





終わり

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バニラとチョコ(夜光虫シリーズ) レント @rentoon

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