第2話

 生まれた時のことなど、アイツらから聞いたこともろくになかった。

いつも自分たちのことしか考えていないようで、俺はその渦中にすら居なかった気がする。

きっと生まれた時くらいは俺も普通に泣いていただろう。

その後をよく生き延びたもんだと思う。

最初の記憶でさえも怒鳴り声だったのだから。


 飯は勝手にあるもので、食べられそうなのをかじっていた。

たまに咎められて平手打ちを食らったが、まともな飯を出されたことも無い。

そして何を言ってるのかも本当によく分からない。

食べれそうなものと、食べられないものの区別は、おかげでよく分かっていた。

ただくたばらないように生きてただけだ。

人生についてなど、考える脳みそもなかった。


 そうして、あのバカ達と別れて、晴れて浮浪児になった俺は、ゴミ箱やらなんやらを漁って、たまに金を拾ったりして、そんな毎日をいつも生きるか死ぬかのスレスレで過ごしていた。

もう涙なんて一切出なかった。

なにが悲しいのかも忘れてしまっていたようだ。

ただ、胸になにかが突き刺さって、それが栓の役割もしているし、大きな傷を作っていることも、理解していた。


 だからといって、それを引き抜くとこになんの意味があるだろう?

悲しみが必要な生活ではなかった。楽しさも嬉しさもなくても生きられるんだ、と自分で実証していた。


 なのに、あの日、あの時、ふらふらと歩く子供の姿を見つけてしまった時。

俺は胸に刺さったなにかが身勝手に主張を始め、酷く胸の傷を切り広げようとした。



「おい、なにやってんだよ」



 胸の傷の広がりにたえかね、俺はその子供の背中に声をかけた。

振り返った彼は、自分とだいたい同じくらいの年のようだ。

うっすらと笑みを浮かべて、遠くを見るような目をしていた。



「それ、腐ってるぞ。食べない方がいい」



 他人に干渉したことなどなかった。

けれど、この得体の知れないふらふらと歩く少年を見ていると、酷く胸が痛むのだ。

息が詰まるような感覚を感じながら、笑ってばかりで受け答えも乏しい少年の手を掴んだ。

久しぶりに触れた肌の感触は、柔らかく温かかった。


 なにか、また、胸の傷が深くなった気がした。



「お前、どこからきたんだ?」

「わかんない……」



 うっすらと笑う少年は、まともな返事は一切返さなかった。

家も歳も名前も、なにも分からないと言い張る。



「いい服着てるんだから、金持ちの子だろ?」

「服……?」



 ダメだった。言葉がまるで通じない、宇宙人と話しているようだ。



「……行くあてないのか?」



 分からない、と彼はまた答えた。

そしてふらりと立ち上がり、何にも興味はないようで、そのまま足取りもおかしく、少年は歩いていった。

その後ろ姿など追う気はなかった。

自分だって、自分が今日を生きるだけで精一杯だ。

あんな頭のおかしい奴に構ってる暇などない。

そんなことを思って、なんとなく歩いていく背中くらいは目で追っていた。


 すると、どうだろう。

近くの川の上に、住民が勝手にかけた不安定な橋があるのだが、その上をもっと不安定な足取りの少年は歩いていた。

あっ、と声をかけるまもなく、橋は傾き、少年も川へ放り出された。

その様子はスローモーションのように、くっきりと目の裏にこびりつく。



「おい!!!バカ!!!!」



 自分以外は気がついていなかった……のか無視されたのか、そんなことはどうでもいい。

橋から転げ落ちた少年は、川に沈んだり少し浮かんだりしながら、弱くもがいていた。

そしてそう強くない流れだが、川に沿ってだんだんと遠ざかっていく。


 他にどうしようもなかったのだ。

その姿を追って必死に走り、そして自分も川へ飛び込んだ。

家を抜け出し勝手に川に行っては、何かをとって飯にあてていたくらいには泳ぎは出来たので、緩い流れの川など何でもなかった。

そして、もがく少年の背中の服を掴み、そのまま川辺へと泳ぎ続けた。


 人を引くのははじめてだ。ずいぶん重たい塊だが、しばらく本気で泳ぎ続けたおかげで、俺たちは川から上がることが出来た。


 二人ともびしょ濡れの服のまま、酷い疲労と酸欠で、その場にぐったりと横になった。

少年は虚ろな目の焦点を、命の恩人へと合わせる。



「ありがとう」



やっとまともな声を聞いた。

俺はなんて返事したのかも覚えてないが、テキトーに答え、そのまま眠ってしまった。

疲労が酷く、濡れた服が体温を奪っていく。

隣で少年はその姿をぼんやりと見つめていた。

立ち上がることも無く、ずっと隣に座っていた。

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