第57話


 美緒と別れてから、一度も呼んでいなかった留美さんを家に招いた。もちろんそういうことをする気はない。今回の目的は、話をすることだけだから。


「洸、出前でも取る?」

 当の本人は呑気にソファで寛いでるけれど、今から告げる俺の自分勝手な話を聞いてその態度はすぐに崩れるだろう。


 ──自分勝手、なんて。

 どの口が言っているのか。



「なあ」

 俺が話し出しても、ぺらぺらと自分の愚痴を話し続ける留美さん。美緒は俺の話に耳を傾けて聞いてくれていた。絶対に途中で遮ったりしなかった。




「──俺、美緒とやり直すわ」


 彼女の話に被せるようにして少し大きめに発した声はさすがに彼女の耳にも届いたようで、ぴたりと動きが止まった。

「え?」

 ぴくっと口の端が引きつっている。もう美香さんに似ているとか似ていないとかは関係なくなっていた。


「留美さんは美香さんの代わり。これ以上の適役はいないって言える。だけど、俺の嫁の代わりにはなれない」



 美緒だけじゃない。この人にも悪いと思っている。利用するだけして、期待を持たせて──結局、元の女に戻るなんて、本当に最低な男がいたものだ。



「ごめん。俺の奥さんに代わりはいなかった」




 ただ、真っ直ぐ留美さんを見てそう告げた。





“──私は、あなたを愛しています”


(お前はいつも、どんな気持ちで俺に愛を告白していた?)




“お姉ちゃんの代わりでも構わないんです”


 俺が他の女を愛していると知っていながら、お前はどんな気持ちで結婚した?

 俺が美香さんのことで苦しんでいる時、お前はどんな気持ちで俺を見ていた?


 留美さんと俺の近付く距離に、どんな思いをした?


 愛する女の影しか見ていなかった俺は、いつも美緒がどんな気持ちでいるのかなんて興味すらなかった。



 でも、俺がどれだけ酷いことをしても、どれだけ傷つけても──マンションのドアを開ければパタパタと笑顔で駆け寄ってきてくれた。優しく手を伸ばしてくれた。


“おかえりなさい、洸さん”


 そんなお前は、いつもどんな気持ちだった?



(──なあ、美緒)


 お前の無償の愛はどれほど広くて大きくて──温かく俺を包むのだろう。


 もう一回だけ、チャンスが欲しい。


 俺を導いてくれるのは、お前しかいなかった。

 他の誰も、お前の代わりにはならない。






 わなわなと震える留美さんに俺は目を伏せる。殴ってもいい。罵りたいだけ、罵ったらいい。

 それだけのことを俺はしたのだと理解しているから。


「──話は、それだけ」

 俺たちの関係は曖昧だから「別れよう」なんて言葉で終わらせるのは違う気がした。彼女に背を向けて、玄関へと向かう。



(無性に美緒に会いたい)


 早く迎えに行かないと──今日の夜は雷予報が出ていたな。








 しかし、俺のそんな思考もすぐに途切れた。



 ドンッという衝撃が背中に襲ってきて、次に痛みが急激に広がって──。



 一体何が起こったのか分からないまま、俺はその場に蹲った。



「私は……“美香さん”の代わりなら許せた。死んでしまった人だから。いつかは私のものになるって……そう思えば耐えられた。だけど、あの子に負けるのは許せない!!」



 留美さんの言葉が上手く理解できない。その悲痛な叫びは、俺が見て見ぬふりをしてきた罪だった。


 何も分からない中で、ただ──俺はこの人に何かで“刺された”んだと直感した。

 意識をすれば痛みが強くなる。


「あー……やられた……」

 走り去っていく彼女の背中を見て、俺はそう呟くことしかできなかった。







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