第53話
これは罰だと思った。
あの日──美緒が別れを切り出した日。初めて見た美緒の涙に、鈍器で頭を殴られたような感覚がした。
俺の前でいつも笑っていた。苦しそうな顔なんて見たことがないくらいだった。
いつも隣で笑っている美緒。最初、俺はこの笑顔が苦手だった。だから「美香さんに似てないから笑うな」なんて言葉で封じ込めたんだ。だけどそれは、自分自身が汚く見えてしまうから。
美香さん以外、好きになってはいけないと言い聞かせて。美香さん以外、好きになるはずがないと決めつけて逃げていたのかもしれない。
美緒の笑顔は、俺の大好きだった美香さんでも敵わない。俺が恋しているのは美香さんで、これからもそれは変わらないと思うけれど。
その笑顔は次第に俺にとって癒しとなり、純粋に好きだと思うようになった。それは嘘じゃない。
美香さんを忘れさせてくれるというから、俺はこいつになら──美緒なら好きになれると思った。眩しいくらいの笑顔が美香さんとは違った存在感を放っていて必ず、好きになる。好きになってみせると誓った。
──はず、だった。
だけど、俺の目の前に留美先輩が現れた時、美緒の汚れのない笑顔でも、俺に向けられている無償の愛でさえも──どうして陰ってしまったのだろう。
俺はいつからか美緒の笑顔を見ると罪悪感に襲われるようになって。いつからか、好きだったはずのあいつの笑顔を面と向かって見つめることができなくなっていた。
だからあいつの苦しそうな表情にも、変わっていく気持ちにも気付いてあげられなかったのか。
あいつが初めて涙を見せた時──それは、俺と彼女の終わりの瞬間だった。
こんなにも、俺を想って
こんなにも、我慢をして
こんなにも追いつめていたなんて。
(思ってもみなかった?本当に?)
美緒といて楽しかったのは本当だ。だけどやっぱりあいつの向こうに美香さんを見ていたのも本当。
何をしても「美香さんとならどうだったかな」とか「美香さんなら何て言うだろうか」とか、比べてばかりでちゃんと彼女を見てやったことなんて、なかったのかもしれない。
「あ、いた!洸!」
美緒が去って行ったあと、この部屋に飛び込んできた頼は俺を見て眉を顰めた。
「頼……」
放心状態の俺に矢継ぎ早に話し出す。
「今日、奥さんの誕生日じゃないの?さっき、由良くんが慌てて探してたけど!」
正直あまり聞いていなかったこいつの話も、ある部分だけやけにクリアに聞こえた。
「え、今なんて……」
(──俺は最低だ)
『──今日は、何の日でしょう』
忘れさせてくれなんて偉そうに言っておいて、好きになるなんて言っておいて──結局は彼女を傷つける結果にしかならなかった。
誕生日すら知らなかったなんて、いったいどれだけ彼女を傷つけただろう。
「まさか、忘れてた……?」
顔を歪めた頼が心配そうに聞いてくる。
「……いや、知らなかったよ」
正直に答えれば、ある程度予想していたのかため息をついた。
「お前、留美さんにプレゼントあげたんだってな。俺、それを買ってるとこ見ちゃってさ。てっきり奥さんのだと思って、落ち込んでる時に聞いてみたんだよ。そしたら今日が誕生日だって言うし。奥さん、すげー嬉しそうにしてたよ。結局、俺の早とちりだったみたいだけどさ。後で謝んなきゃ」
「お前も早く謝ってプレゼント考えなよ」と続けて言った頼には悪いが、もう何もかも手遅れだった。
こうなることが予想できなかったわけじゃない。全く、気がつかなかったわけじゃない。
バレなきゃいいやと、心のどこかで思っていた。バレたとしても彼女なら、俺だけをいつまでも愛してくれるという確信があったのかもしれない。彼女のもとへ帰ればいつだってあの笑顔で癒してくれると思っていた。
「あー……これじゃあ、捨てられても仕方ないな」
そう自虐的に呟く。
『もう──頑張れないよ』
そう呟くように言った彼女の呆れるような、憐れむような、苦しそうにした表情が彼女の蓄積し続けていた想いを表しているようだった。
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