第36話

「ああ、最低でいいよ。洸と留美さんの幸せそうな顔を見てたら誰だってこうする」


(ああ、少しくらい、怯んで欲しかったな)

 私の苦しみや悲しみを理解してほしいなんて言わない。けれど──。



「君が、二人の邪魔してるんだよ」



 この世界で私という存在が否定されたような気がした。言葉で心臓を刺される。

 私だってたくさんの愛情を受けてこの世に誕生したはずだ。それなのに彼の言葉は、誰からも望まれない存在になってしまったみたいでとても辛い。世界で一番愛する人に“いらない”って言われたみたいな、そんな気分。



 明さんにとって、私は物語の脇役なのだろう。洸さんをハッピーエンドにさせるには、いらない存在だ。洸さんの幸せに邪魔な存在。ただの、洸さんに縋ってる悪い女。




「明……と洸の奥さん?なにしてんの?」

 ガチャッと会議室の扉が開いて振り返れば、背の高いシルエットが現れた。頼さんは浮気現場?と言って茶化すけれど、この禍々しい雰囲気には彼も気付いているはずだ。


「頼さん……」

 明さんは彼の登場に焦ることもなく、淡々と告げる。


「この子に忠告してた。洸と別れてくれって」

 そんな彼の言葉に頼さんは顔を顰めた。不機嫌そうなその顔は初めて見た気がする。

「は?なんでだよ」


「お前だって見てればわかるだろ?洸は留美さんと一緒になるべきなんだ」


 明さんが詰め寄れば目を泳がせて動揺するから、頼さんも少なからず二人の関係には気が付いているんだろう。

「だからってなあ──」

 ため息をついて睨むように明さんを見据えた頼さん。


「お前はなんも知らねえから、そんなことが言えるんだ。美緒ちゃんがどれだけ洸を好きで、どれだけ傷ついてきたか」


(──え?)

 頼さんは、私のことなんて何も知らないはず。洸さんから聞いたのだとしても、私の心情なんてものは理解できないはずだ。

 そもそも彼は洸さんの友人なのに、どうして私の味方なんてしてくれるんだろう。


「美香さんとのことだって承知で結婚して……留美さんが現れた時は絶対に辛かったと思う。二人が一緒にいるところを何度も目撃して……それでも洸に問い詰めたりしない。嫌われたくないからって文句の一つも言わない」


 まるで見てきたように話す頼さんに驚く。由良くんしか知らないようなことも、彼は知っていた。


「美緒ちゃんだって、女の子だし、人間なんだ。辛いよ、苦しいよ。──そんなことも分かんないから、好きな女にも振り向いてもらえないんだろ?これは二人の問題であって、お前が無理強いすることじゃねえだろ」


 存在を否定されたような闇に陥っていた、私に差す一筋の光。私の愛をきちんと理解してくれる人。頼さんは外見だけじゃなく、内面も素敵なんだと思い知った。



 流石に友人に詰められては居心地が悪かったのか、軽く舌打ちをした明さんは私たちに背を向ける。

「俺は、忠告したから」

 そう私に言い放って去っていった。



「──なんか、ごめん」

明さんが出て行った後、頼さんは申し訳なさそうに頭を掻いて謝るから慌てて首を横に振った。


「謝らないでください。頼さんには感謝したいくらいなのに……」

こちらに顔を向けたその時には、もういつもの頼さんの雰囲気に戻っていた。


「私を掬いあげてくれて、ありがとうございます」

勢いよく頭を下げる私に、動じることなくやんわりと頭を上げさせる。


「笑ってよ、良い女が台無しになっちゃう」

ジェントルマンというか、プレイボーイというか──本気なのか冗談なのか分からない頼さんの言葉にくすっと笑ってしまった。




「美緒ちゃんに朗報だよ。洸、この前雑貨屋でプレゼント買ってた!近く、記念日とかある?」


(……嘘)

思い当たるのは一つしかないけれど、まるで夢のようで現実味がない。


「十日……私の誕生日だ……」


来週は私の誕生日だ。去年はお披露目パーティーの準備で忙しくて、気が付いたら過ぎてしまっていた。それを思い出した時、『洸さんは私の誕生日なんて知らないんだよな……』と寂しく思ったのを覚えている。


「嬉し…っ、洸さんが私に……?」


うんうんと頷く頼さんに、涙目になりながら満面の笑みを向ける。

久しぶりだった、こんなに嬉しいことは。心から笑ったのも、いつが最後だったか分からない。それでも、何もかもを吹き飛ばすような吉報に胸を躍らせる。


「これで、まだまだ頑張れます」


そんな私に頼さんはホッとしたような、安堵の表情を見せてくれた。

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