第34話


「あの……」

 いつもと変わらない自分の会社の自分のデスク。いつものように自分のパソコンに向かって事務仕事をしていた。

 それなのに、目の前ではいつもとはまるで違うことが起こっていた。


「え……」

 声を掛けられて何気なく振り返れば、そこにはいるはずのない人がいた。

「あ、明さん……?」

 以前、家に招いたことのある洸さんの友人だ。頼さんとは違った雰囲気の持ち主で、私のことをあまり良く思っていないのか、ただの人見知りなのか──私に対して好意的でないような気がしていた。


「少し、いいですか?」

 彼はうちの会社に用事があったみたいで、課長のそばでは頼さんがにこやかに挨拶をしているのが見えた。私にまで律儀にも挨拶しにきてくれたのかとも思ったが、そうではなかったらしい。

 明らかに、私に話があるようだった。

「はい……」

 頼さんも後からこちらに来るのかもしれない、と思ったけれど、明さんが「二人で話したい」と言うものだから思わず背筋が伸びた。彼と二人きりだなんて初めてで、なんだか不安だけが募る。彼の表情から、あまり良い話ではなさそうなのがその理由だ。



 彼に今使われていない会議室に誘導されて、少し驚く。

 そして彼が放った最初の言葉には、もっともっと驚かされることになる。


「奥さんにこんなこと言うのは間違ってると思う。だけど──もう、見てられない」


 明さんの目はとても淀んでいて、私を冷たく見る。その目は留美さんと似ている気がしてゾクッとした。


「君は、美香さんの代わりなんだろ?洸にはもう留美さんがいるんだから君は必要ないよね?」


(どうして、あなたがそれを知っているの?)

 洸さんが話したのだろうか。親しそうだったし、それもあり得るのだろう。けれど、留美さんのことまで知っているのだとすれば、それはもう──。


「……洸さんは、約束してくれました。私のこと、すきになってくれるって──」

 動揺して、呂律が上手く回っていない気がする。

 友人にまで話したということは──それはもう”公認”だということで。私はもう、要らないということ。


「それができてたら洸はあんなに悩んでないよ」

(──悩む?)

 悩んでいるのが、洸さんだけだなんて思わないでほしい。辛いのが彼だけだと思わないでほしい。


 息がうまくできない。酸素が脳に回らないということは、思考を巡らせるのも遅くなってしまうということ。


「洸を、解放してあげて……」


 解放?まるで私が縛り付けてるみたいな言い方だ。

 ひどい言い草だな、と他人事のように思った。


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