第31話
あまりない体力で息が切れても走り続け、たどり着いた屋上でフェンスに寄り掛かった。
「美緒ちゃん……」
後を追って来てくれたのはもちろん、そっと横に来て私の背中をさすってくれる由良くん。
(格好悪いところ、見せちゃったな)
そう思えるほど意外と余裕はあるのかもしれない。
「あんなの、酷すぎる」
由良くんの方が声を震わせて、泣きそうだった。思わずふっと笑ってしまう。一人じゃなくてよかったと痛感した。
「なんで美緒ちゃん、泣かないの?」
そう聞かれると思わなくて、言葉が詰まる。
「泣いちゃだめなの。そんな資格なんてないんだから。わたしは、お姉ちゃんの代わりなんだもん。泣いてる暇があったら、はやく好きになってもらわなきゃいけないのに。そのために、奥さんにしてもらったのに」
自分で自分の言葉にまた、泣きそうになった。
愛してもらえないのは自分が悪い。そんな価値がないのが悪い。
「僕にくらい、本音を言ってよ。吐き出してよ。こんなことが続くなら、美緒ちゃんが壊れちゃうよ……。僕は、何があっても君の味方だから」
彼の強い瞳に、この人になら言えると思った。涙を見せても、嫌じゃないと思った。
「だって、言ってくれたんだもん……。笑顔が好きだって。だから泣いちゃダメ。笑ってないといけないの。初めてもらった、洸さんの『好き』だから……。だけど、いつだって洸さんはお姉ちゃんばかり見てる。わがまま言って嫌われたくないのに──」
彼は子どもっぽい私のことは好きじゃないだろう。お姉ちゃんとはまるで違っているから。
「今日だって、記念日を忘れていてもかまわなかった。『おめでとう』って言って、笑いあって、一緒に過ごせたらって──なのに、私……わがままなのかな?」
些細な日常の一コマは、私にとってあまりにも眩しかった。だから憧れた。
心から大好きな人が、そばにいて笑ってくれる。そこに愛がなかったとしても、温かな陽だまりの中で微睡むような幸せがどこかにあるんじゃないかと。
「私は洸さんの奥さんなのに。どうしていつも留美さんが優先なの?いくらお姉ちゃんに似てるからって、お姉ちゃんじゃないのに。お姉ちゃんじゃない、赤の他人なのに……妻より優先されるものなの?諦めるつもりで、忘れるつもりで、私と結婚したのに……。あのね、私あんな風に大事そうに抱きしめられたことなんてないんだよ。私が抱きついても洸さんは軽く手をまわして、背中をポンポンってなだめるようにたたくだけ……」
それだけでよかった。嬉しかった。
私の愛を少しでも受け止めてくれているように感じたから。
(それだけで、よかったはずなのに)
涙が出そうになるけれど、また無意識のうちに我慢してしまっている自分に気がついて嫌気がさす。だけどこれまで必死に塞き止めていた想いは言葉となって、もう決壊してしまったかのように溢れて止まりそうにない。
「俺だって美緒ちゃんの笑顔が何より好きだよ。でも、だからって泣いちゃいけないなんて思わない!」
私が洸さんに望むものを全てを捧げてくれる人。こんなに近くにいたのに……どうしてもっと、早く気付けなかったのだろう。
もっと早く気付けていたら……夢のような微睡の中で、ふわふわと浮かんでいられたかもしれないのに。
──いや、例えその事実に気が付いていたとしても……結局、洸さんと出会ってしまうなら早かれ遅かれ私の心は彼のものだったろう。
「……ごめんね」
どうしてもっと、君を好きにならなかったんだろう。
「ありがとう」
それでも、やっぱり私の目は、耳は、心は──洸さんを探してしまうのだ。
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