第22話
心配して来てくれたであろう彼女に、そんな風にしか思えない自分がとても醜く思えて、慌てて首を振った。
「大丈夫です、心配おかけして、すいません」
そう言うと、二人とも顔を見合わせてホッとしたように笑った。ズキン、と胸が痛む。
どちらが“夫婦”という言葉に似合うのか。
「川島も……こいつを運んでくれてありがとな」
ぽん、と私の頭に手を乗せる。その仕草に少しだけ自分の汚い心が浄化された気がした。
「いえ──」
由良くんは何か言いたげな表情で、睨みつけるように洸さんを見る。
そんな視線に気付く暇もなく、壁にかかっている時計を見て留美さんが「あ」と呟くから、私に向けられていた洸さんの視線はまた、彼女に戻った。
(わざとじゃない。大丈夫)
そう自分に言い聞かせなければ、喉が詰まって言葉さえ出なくなりそうだ。
「洸、そろそろ行こうか」
「……ああ」
そうか、もうすぐ会議が始まる。平社員の私の代わりはいくらでもいるけれど、洸さんの代わりはいない。
「俺ら、もう行くけど……平気か?」
(──俺“ら”?)
ああ、だめだ。すごくネガティブな思考に向かう。平気じゃないって言ったら……傍に居てくれるのだろうか。
「平気です。大事なプレゼンなんですから、頑張ってきてください」
自分に自信も、勇気も、プライドも持ち合わせていない私が、それ以上何を言えるのだろう。
喉のあたりがきゅうっと苦しくなって、床へと視線を向ける。すると隣で由良くんが椅子から立ち上がる音がした。
「僕が、いますから。広瀬さんは心配しないでください」
彼が言うと、洸さんはすこし目を細めて彼を見た後、小さく頷く。
「……頼んだ」
ただ一言、私に重たい鉛のような言葉を落として、彼は留美さんと副社長室から出て行った。
私はぎゅっと由良くんのジャケットを握りしめる。おかしいな、と呆れたような笑いが漏れた。
(これじゃあ、どっちが夫か分からないじゃない……)
「大丈夫……?」
由良くんが遠慮がちに言うが、私は頷くことしかできない。体は平気だ。もう気分も悪くないし、どこにも異常はない。彼が聞きたいのは、そんなことではないのだろうけれど。
「ごめんね」
なぜか彼が謝るから、俯いていた顔を上げると由良くんは辛そうに笑っている。
「なんで、由良くんが謝るの……?」
やっと、言葉が出た。掠れて、途切れるようなみっともない声だった。
「ここに居るのが、僕で……ごめんね?」
何も、言えなかった。彼が何を言いたいのか分からない。分からないのに、泣きたくなるような罪悪感が私を襲う。
「広瀬さんじゃなくて、ごめん……。ここに運んだのも僕じゃなくて彼だったら、美緒ちゃんはそんなに苦しそうにしなくてよかったのに。僕が留美さんと出て行ったらよかったのに──ごめんね」
「そんなことない」と口に出すことは簡単だ。そうすればいい。けれど、きっと彼は──そんな私の嘘を見抜くだろう。
彼にそう思わせてしまったのは、他でもない私だ。
「今日はもう帰ろう。旦那さんじゃないけど……ちゃんと、送り届けるから」
話を変えてくれたのは、返事に困っていた私への気遣いだった。
「でも、由良くんだって仕事──」
「大切な人が辛い思いしてるのに、放っておけるわけないでしょ?」
(大切な人──それはどういう意味?)
“辛い思い”?
──それは身体?心?
彼の意味深な言葉に戸惑いつつ、私が声に出せたのはたった一言だけ。
「ありがとう……」
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