第21話


 今日は朝から身体がだるかった。だけどそれを旦那様に悟られるわけにはいかない。

 自己管理すらできていないと思われるのは嫌だったから。平然を装って彼を送り出し、自分も出社する。


「美緒ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」


 真っ先に声をかけてくれた由良くんにぎこちない笑みで応えるけれど、今日が休めないことは彼もよく知っているだろう。洸さんの会社で大事なプレゼンがある。由良くんと一緒に会議に出なきゃいけないのだ。


 体調はすこぶる悪かったけれど、会議さえ終われば……と二人で洸さんの会社へ向かう。受け付けはもう顔パスになった。会議室に行けばまだ人はまばらで、私は気分転換にとお手洗いに行こうと歩き出した。


 ──だけど、目の前がぐらりと揺れて思わず壁に手をついてしまう。


「美緒ちゃん!?」


 そんな私に気付いた由良くんが慌てて身体を支えてくれるけど、脚には力が入らなくて頭がガンガンする。彼の声もあまり聞こえなくなっていた。とうとう床に膝をついてしまって、意識も朦朧とする。


「大丈夫!!?」

 ふわりと身体が浮き、抱えあげられたのが分かる。はっきりしない意識の中で視界の遠くにうつる洸さんの姿を見つけ、運んでくれているのが彼じゃないことだけは理解した。


 そしてそのまま、私の意識は完全になくなった。





 目を開くと、白い天井が見える。


 はじめに感じたのは柔らかいソファーの感触と、誰かにぎゅっと握られている右手。その手の方をゆっくりと見ると、そばで泣きそうになりながら座っていたのは由良くんだった。


「美緒ちゃん、大丈夫……?」

 目が合うと安心したように笑う彼。黙って頷くと、そっとおでこを撫でてくれた。


 辺りを見渡せば、見覚えがある景色が広がる。ここは副社長室だ。

 私に掛けられているジャケットは由良くんのものだとすぐに分かる。洸さんのものとはまるで匂いが違うから。彼がワイシャツ一枚で寒そうなのも、きっとそのせい。


「由良くんが、運んでくれたの?」

 そう尋ねると、由良くんは照れたように下唇を噛む。温かな気持ちが胸に広がった。


「重かったでしょ。ありがとう」

「そんなこと、ないよ……」

 おでこを撫でていた手を引っ込めて、優しく呟いた。そんな彼の心地よい声色が、私を何度救ってくれただろう。


 その時、ガチャッと副社長室の扉が開く。


「美緒、大丈夫か?」


「洸さん!」

 彼の姿が見えた途端、嬉しくなってがばっと起き上がる。なんて現金な女だろう。


 だけど次の瞬間──その高まった気持ちはどん底へ落ちて行った。私の身体に掛けられていたジャケットも、膝までずり落ちる。


「奥様、大丈夫でしょうか?」


「留美、さん……」

 そこにいた綺麗な女性は他でもない。

(どうして、留美さんがいるの?)

 表情からして、彼女が私を心配してくれているのはわかる。たとえそれが建前だとしても。



 だけど、仮にも妻である私の前で──体調不良で倒れたっていうのに──洸さんと一緒に居る必要が、どこにあるだろう。

 彼女は旦那様の秘書だけれど、友達でも、恋人でもない。彼の身内である私の心配など不必要だと──あまりに冷たい感情が自分の中に確かに存在して、ゾッとする。

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