第19話
「洸さん──っ」
旦那様の欲を一身に受け止める。意図せず漏れてしまう声に、慌てて手で口をおさえた。
「声、出すなって」
彼が嗜める声にコクコクと黙って頷く。
彼は行為中、私が声を出すのを嫌う。だってそれは「美香さんに似てない」から。
私はそれに従う。彼は私を私として腕に抱くことはないから。
「美香さん……」
何度も何度も呼ばれる名前にも、もう慣れた。彼はお姉ちゃんに重ねて私を抱く。大きな快感に身を委ねても、心は冷え切っていた。
愛を確かめ合うはずの行為なのに、私にとってはとても辛い時間。早く終わってしまえといつも思う。
だけど──。
「おやすみ、美緒」
その地獄のような時間も、終わってしまえば“私”を見てくれる。旦那様の腕枕で眠るのは幸せだから。
ちゃんと私の名前を呼んで、頭を撫でてくれるなら……涙を堪えてあなたに抱かれるのも不幸とは思わない。
「今日、頼が家に来る」
唐突に聞かされた約束。直前にならないと伝えてくれないのは洸さんの悪い癖だ。
それでも今回はいつにも増して急すぎるけれど。
「ええ!?今日ですか?」
こんな平日に、十分な準備もできやしない。頬を膨らませれば、流石に今回はまずいと思っているのか洸さんはバツの悪そうな顔をする。
「晩飯だけ食って帰らせるから。頼ともう一人……俺と同期入社の奴が来る」
朝ごはんを食べながら淡々と告げる旦那様。頭の中でスケジュールを確認すれば、今日は少し早く帰れるだろうと分かって少しだけ安心した。
「何が良いでしょうか……」
あまりよく知らない人たちに、何を振るまったらいいのかわからない。戸惑う私に洸さんは鼻で笑った。
「なんでもいいだろ。お前の料理で不味いもんはないんだから」
呆れたようにそう言ったけれど、私にとってそれは何よりも嬉しい賛美だ。その言葉だけでとんだ御馳走が出来上がりそう。
「はい!お待ちしています、とお伝えください」
今日は忙しくなりそうだ。帰りに買い物をして、部屋の掃除をして──いつもとそう変わりない支度だけど、いつもより丁寧に仕上げなければ。
以前、頼さんと世間話をした。その時に「肉じゃがが好き」だと言っていたような気がする。記憶の片隅にあった情報を引っ張り出した。
いろいろと考えているうちに、旦那様の出勤時間が近付く。立ちあがって準備し始めた彼に慌ててコートと鞄を手渡した。ネクタイが少し曲がっているのに気がついて、そっと直すと「さんきゅ」と声が降ってくる。
「いってらっしゃい」
私はいつもと変わらず、笑って送り出す。
これが私の愛する旦那様との日常。誰にも侵されない、私たち夫婦の朝だ。
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