第14話
「奥様、副社長がお待ちです」
洸さんの会社へ資料を届けたついでに、彼が忘れていたお弁当も渡そうと受付の方に告げればすぐに彼へ連絡し、通してくれた。
エレベーターを待って開いた扉の向こうには──。
「また、会いましたね」
爽やかに笑う頼さんの姿があって、会釈をした。
「ご無沙汰しております」
頼さんに「副社長のところ?」と聞かれたので素直に頷く。もう案内は必要ないから彼の手を煩わせることもない。
しかし、見つめた頼さんの表情は何故か曇っていて首を傾げた。
「あー……今は、やめておいたほうが……」
言葉を濁す彼に「洸さんに了承は取ってあります」と伝えると、しぶしぶ頷いてエレベーターのドアを押さえ私をエスコートしてくれた。最上階のボタンまで押してくれるという紳士っぷりは健在だ。
閉まるドアの向こうで、心配そうに眉を下げた頼さんにまたぺこりと頭を下げて見送った。
何だろうと首を傾げる。頼さんはどうして私を止めるようなことをしたのだろう。
妙な胸騒ぎがして、早く洸さんの顔を見たくてうずうずする。
やっとたどり着いた最上階。エレベーターのドアが開くと同時に身体を滑り込ませて副社長室まで早足で向かった。
部屋の前で深呼吸をする。コンコンとノックし、洸さんの声が聞こえたらやっと騒がしかった胸も落ち着いて、私はゆっくりとドアを開けた。
「洸さ──」
開いたドア。目の前では副社長しか座れないその椅子に腰かけた旦那様。そして、そのデスクの前に佇む女の人が振り返った瞬間目を見張った。
──そして私は、しばらくの間言葉を発することができなかった。
「おねえ、ちゃん……?」
私が、世界で一番羨む人。
私が世界で一番愛する人が──ただ一人、その愛情を捧げる相手。
真正面に見える、洸さんの表情に指が震えた。その表情は、どういう意味が込められている?
「一週間前から俺の秘書に就いた留美さんだ」
──愛する旦那様。
あなたが最近、とても嬉しそうに……楽しそうに出勤する理由がこれでしょうか?
あなたの機嫌が良い理由が、これだとしたら。
どうか、涙は零れないで。
「奥様、よろしくお願いします」
にっこり笑った“留美さん”。その表情も、声も、仕草も。
お姉ちゃんと瓜二つ。妹である私でさえ、見間違えるんだもの。
「どうぞ、よろしく、おねがいします……っ」
どうか、声は震えないで。
洸さんは私の笑顔を褒めてくれたんだから。
笑うの。笑わなきゃ。
それだけがあなたを引き止めておけるかもしれない、私の弱く細い頼みの綱。
鍵を開ける音に反応して、玄関に向かう。
「おかえりなさい、洸さん」
笑顔で出迎える、この習慣。安堵するこの瞬間。
──ああ、今日も私のもとに帰って来てくれた。
そう思えるからホッとするのだろう。
今日は彼女──お姉ちゃんに良く似た留美さんという存在を知ってしまったから、気が気でなくて。今までで一番、不安だったかもしれない。
「ああ」
私のそばを通り過ぎる彼のスーツから、甘い香りがした。きっとその相手は秘書である彼女のものだろう。
副社長である彼のそばにいるのは当たり前だもの。それが仕事だから。
そう、だから仕方がない。大丈夫。
「これ、やるよ」
ふと立ち止まってぶっきらぼうに渡してくれた、可愛くラッピングされたプレゼント。手のひらに転がったそれに、あっという間に頬が緩んだ。
丁寧に開けてみれば目に入ったのは口紅だった。色を確認するためにキャップを開ければ、驚く。
──その真っ赤な色。
私はあまり、使わないような色だ。きっと旦那様は知らないだろうけれど。
それはお姉ちゃんが好んで使っていた色と酷く似ていた。
「ありがとうございます!!」
彼は、赤が好きだ。
正確に言えば、赤が好きだったお姉ちゃんのことが、好きだから。私に贈ってくれたドレスも、口紅も、パンプスも……。赤ばかりだった。
それに気付いた私も相当姉にこだわっているのだろう。
だけど、私にとって彼からのプレゼントを使わないなんて選択肢はない。私がどれだけ赤が似合わなくても、洸さんから貰ったものはすべて、キラキラ輝く宝物なのだから。
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