第10話


「──美緒」

 冷たいけど愛おしい……そんな声が聞こえて、私は慌てて振り向く。

「洸、さん……?」

 いるはずのない、旦那様の姿がそこにあった。


「え。もしかして、旦那さん……?」

 由良くんの問いにかろうじて頷くことはできたけれど、驚きで上手く頭が回らない。私たちを見てふっと笑う洸さん。

「ふーん……いい男じゃん」

 それは頭からつま先まで見た後に出た、由良くんに対する称賛の言葉。だけどその瞳の奥は全く笑っていない。


「僕はただの美緒ちゃんの同僚です。だからご心配なく」

 由良くんはいつものフレンドリーさなんてチラリとも見せず、冷たく言い放った。

「心配?してねえよ、そんなの。こいつは俺しか見てねえから」

 信頼されているんだな、と同時にやっぱり彼が私に対して“嫉妬”を抱くことなんてないんだと実感する。


「……あなたは?」

 由良くんはとても挑発的だ。

「は?」


「あなたは──あなたの気持ちは?」


 やめてよ。

 そんなの、分かりきってるから。


「俺の気持ち?……んなの“ある人”が持って行っちまったから」

 それでも容赦なく突き刺さる旦那様の言葉にぐっと奥歯を噛みしめる。

 そんな私を横目で見て、心配そうな顔をするのは誰よりも愛する旦那様ではない。


「……行こう、お昼終わっちゃう」

 由良くんにそう声をかけ、旦那様には「お気をつけて」と言って踵を返した。


「──帰り、飯でも行くか。迎えに来る」

 背中にそんな声を受け、顔だけ振り返ると「はい」と微笑んだ。


 彼からのお誘いなんて、喜ばないわけがない。それもきっと旦那様にはお見通しなんだろう。

 もしかして、由良くんに対抗してるのかな?傷心の中でもそんな彼を可愛く思える私は重症だ。




 お洒落なカフェに着き、二人でテーブル席に座る。道中は何だか気まずくて沈黙が続いていた。だけど、由良くんはカフェに着くとすぐいつもの笑顔で話かけてくれる。

「何にするか迷うね」

 きっと私を気遣ってくれているんだろう。


「んー、パンケーキ食べる!」

 メニューを見ながらそう言うと「え!?お昼ご飯だよ!?」なんて驚く声が返ってくる。

「女の子は甘いものに目がないんです!」

 そう言い返したら「それもそっか」って謎に納得した由良くんに思わず笑った。


「……美緒ちゃんは、笑顔が一番」

 いつだったか、気障だと思った台詞。ポツリと零した彼の言葉はひどく胸に響いて、コップに伸ばした手を思わず止めた。

「辛くなったら、いつでも相談に乗るよ」

 優しい彼はパンケーキのように甘い。


「愛することが苦しくなったら……愛して欲しくなったら、いつでも言って。僕はここにいるから」


 大きな愛と広い心。それをもっと価値のある女性に向けたらいいのに。私はそれを貰えるほどの資格も価値もない。


 そんな溢れんばかりの愛ですら、旦那様に言ってもらえたら……なんて考えるくらい、最低な女なんだから。


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